2005/7/21
気づけば高校での最初の学期が終わります。振り返ってみて、いかがですか。満足のいく高校生活のスタートだったでしょうか。それともスタートをミスしてしまったと思っていますか。何かの区切りの際には、そういう検証をしてみましょう。そうすることで次のスタートが違ってくるはずです。その際に大切なことは、できるかぎり具体的に検証と対策を講ずることです。何度も同じことを繰り返すタイプに、これまでもただ呪文のように「がんばる」という言葉では何も変わらないと話してきました。何を、どのように「がんばって」どんな結果に結びつけたいのか、結びつけられるのかを具体的に考えないかぎり変わらないものがあるのです。一学期が終わるに当たって、それだけは実感を伴って、今後をどうするか考えてほしいのです。
私は私で、あなたに伝えたいことが山ほどあります。ところがこの仕事に就いて理解せざるを得ないのは、私の方の気持ちよりも、大切なのはあなたの気持ちなのです。どういうことか理解できるでしょうか、私に限ったことではありません、あなたを取り巻く環境はあなたに向けて何らかのメッセージを発しています。そのメッセージも受け取る側次第で、その意味は異なります。受け取る側に受け取る気持ちがなければ、どんなメッセージも意味を持たないのです。つまり私の伝えたいことも、あなたにそれを受け取る、又は受け入れる気持ちがなければ、何の意味も持たないものになります。
もちろん私はそれで簡単にあきらめて、あなたへの発信をやめるわけにはいきません。それでは私の仕事は成り立たないですし、第一、私自身の存在価値が見つからないからです。というわけで、私はこれからも勝手気ままに、私がよかれと思うことはやらせてもらうことでしょう。それでも忘れないでほしいのは、あなたがいなければ私は存在価値を持たないかもしれません。あなたがいて、私は初めてここにいる意味があるのです。そのことは忘れずにいてください。私は何かの節目に、こうして教室や、グランドで出会う多くの「あなた」に私の存在意義を確認するのです。
私は基本的にあなたがどんな人間であるかを問題していません。成績の良し悪し、生活状態の良し悪しも特には問いません。問題としているのは、あなたにとって獨協埼玉という場所が必要な場所であるかどうか、あなたが自分のこれからについて真剣に向き合う気があるかどうか、ほぼその二点であなたを判断しています。あなたが自分のこれからにも、そして今いるこの場所にも興味も関心も寄せないとしたら、私があなたにしてあげられることはなくなります。私が必要かどうかは、いつもあなたが決めます。そのことも忘れずにいてください。それでも今一度確認してほしいのです、あなたにとってここが必要な場所がどうかを。もしここが必要な場所であるなら、ここにいればいいのです。
学期が終わるにあたり、私は自問しています。あなたにとって、私は何であったであろうかと。そんなことを考えること自体、おこがましいことなのかもしれません。私が何かできると考えるのが、そもそも間違っていると言えますからね。それでも私は、あなたの何年か先を歩いている人間として、あなたにあるメッセージを投げられたらとは思いたいのです。学期の終わりに際し、私もいくつも具体的な場面を思い起こし、自省します。来るべき来学期に向けて、何をしたらいいかを判断するためです。私も、あなたも基本的にはここで一致します。互いに前を向いて歩きたいですね。いい夏休みを。

0
1 | 《前のページ | 次のページ》