2005/7/5
既にみんなには知らせてありますが、いよいよ今週末に私は日本をしばらく離れます。私がとにかく英語が苦手で、使い物にならないというのも知らせたとおりでして、不安があるとしたらその点でしょう。もちろん旅行が好きで、少なからず海外にも出かけているので、海外に出かけることだけなら問題はないのですが、それはあくまでも自分のことに限定してのことです。今回は元気だけれども、まだまだ精神的に未成熟で、それだけに不安のある中学三年生を私が一人で六人も連れて行かねばならないことが問題なわけです。これが今の私のクラスの誰か六人だというのなら、さして問題はありません。それが誰であろうと、それなりにお互いが分かっていますから、私のできることはたかがしれているよと、初めから伝えて、特に語学力はあなた方の方が遙かに優れているから頼むよと言ってしまえばすむのですからね。
先週の木曜日に初めてその六人と顔合わせをし、元気な数名と、おとなしく何となく心配性な気配の二人くらいと、印象程度に確認しました。実は私のニュージーランド行きは職員会議で既に伝えられているのですが、あまり気にしている先生はおらず、ここに来て改めてそれを知り、どうして私なのかと問われることがしばしばです。担任を持っていなかった昨年ならいざ知らず、担任を持ち、クラブを持っている私に白羽の矢が立つなんてというのが、みんなの意見ですね。それは私も同意見です。しかも相手は中学生ですから、中学の職員室の誰かが対応すべきだろうと考えるのも自然なことです。
ところが中学の職員室のスタッフにはかぎりがあり、対応が難しいわけです。国際交流という部署がこういうものの手配をしているのですが、ある程度、頼めるところは手を尽くしてもいます。ということが、私には容易に想像ができたのです。だから無理を承知で私のところに依頼に来た係の先生に対し、むげに断ることができなかったのです。しかも同じ海外ならクラブの活動が本格していない時期で、しかも場所はカナダではなくニュージーランド言うのも彼なりの配慮だったのでしょう。何となくそのときに、別の先生が以前に飲みながらポツリと語った言葉が思い出されたのです。「誰かがやらなきゃならないのだから」と。こんな言葉を頭の隅に置いて、私は引き受けたのです。
不安は前述したとおりです。語学にまったく自信のない私が果たして勤め遂せる仕事なのかという思いは今でもありますが、大きな任務はまずは六人を無事にニュージーランドに送り届けることです。それくらいならまぁ、何とかなるだろうと、あまりネガティヴに発想しない、おめでたい私は考えるようにしています。向こうでもトラブルの対処といったって、そんなものは向こうに行って初めて遭遇することで、どんなにこちらで考えていったって、どうにもならないのだからと、もうすっかり初めてのニュージーランドを満喫する気持ちになっています。
同じ環境下でも、人それぞれ対応はまちまちです。簡単に言ってしまえば、発想が前向きか否かでしょう。客観的に見れば、どちらが得かは分かりますよね。それでも人によってはどうしてもマイナスにものを考えてしまう人もいます。そんな人はまずはそれを私学することから始めるしかないでしょうね。私はなるようにしかならないことを、クヨクヨ考えるのをいつからかやめました。今と真剣に向き合って、楽しんでしまおうと考えるのです。いつからか「どうせやるなら」をキーワードにしながらね。

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