2005/6/18
ちょうど一週間前の保護者会で、保護者に向けて、家庭での子どもの様子について話しました。子どもというのは、もちろんあなたのことですね。特に男の子のことでした。保護者会に来ているほとんどが母親です。この時期の男の子の気持ちは、どうにも不可解で、見失いがちのようです。だからこの時期に男の子をしていた私の視点で、もう少し放っておいてくださいと伝えました。さてあなたはいつまで放っておいてもらえるでしょう。
あなた自身はあまり自覚していないでしょうが、あなたは心も体も成長期の最終段階に入っています。体の変化には気づきやすいのですが、心の変化にはなかなか目を向けるというか、気づかずにいる場合が多いです。あなたに反抗期があったでしょうか。理由もなくイライラしたり、何を聞いても釈然とせずに否定的に考えたりした時期はありますか。もしそれに近い状態があったとしたら、それが反抗期だと言えるでしょうし、今現在がそうであれば、今まさにあなた反抗期の最中にあります。これは心の成長過程の中で、ごく自然にわき起こるものです。それはあなたが一人の独立した個人としての立場を確立するための手続きだと言えます。家庭からの独立、親からの独立、社会からの孤立、そういうもの一連の手続きを経て、あなたは自立を遂げていくのです。経済的な自立はもう少し先になりますが、その前にやはり精神的に自立しておく必要があります。
では自立した個人となるためには、どんなことが必要なのでしょう。そこで表題の「自我同一性」という言葉が出てきます。あなたは自分自身をどんなパーソナリティーを持った人間だととらえていますか。まずはしっかりと自分の言葉で語る能力が必要です。次の段階として、自分の評価が、本当に自分で下したものであるかの確認に入ります。実は自分を評価する目を誰かに頼っている場合が少なくありません。それでは「自ら」と「我」は別の存在です。つまり外の目と、内の目とが別と言うことです。反抗期は、この外の目から解放されたいという思いがどこかにあるのでしょう。それは内の目が強く自覚され始めていることでもあります。その反抗期が終わる頃に、外の目を受け入れつつ、内の目で見た自分との調和を手に入れます。ここで初めて「自ら」と「我」とが一緒になるのです。
あなたは今、まさにそんな時期にさしかかっています。周囲の期待に対し、応えようと必死になる一方で、それが負担になり息切れしそうなほどクタクタになっていて、「私」って何なのだろうと立ち往生しているかもしれません。そんな状況にある人は、腰を据えて考えてみましょう。本当の自分はどうしたいのだろうって。なかなかすぐには答えは出ませんし、出た答えの通りに行動するわけにもいかないかもしれません。それでも一度は自分の本音の部分と向き合っておく必要があるのです。
それでも私たちは一人で生きているわけではありません。周囲の期待というものも無視はできないのは、そういう点です。ただ周囲の期待にだけ応えて、自分を見失っていては自分という存在に懐疑的になります。最終的には自分の本音と、周囲の期待とのバランスの中で、自我というものを確立させていくのでしょう。これが今のあなたに課された一番大きな課題なのです。学校に通うことで、親、友人、先輩や後輩、教師という様々な視点の自分に出会い、自分とは何かを問い、社会生活を営む上で必要な自我を確保していくというなります。答えをすぐに出すものではありません。頭の隅でいつでも問うてほしいのです、自分はこの先、どんな風に生きていきたいのかということを。

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