2005/4/28
孔子の言葉から四十歳のことを不惑と言います。四十歳になる頃には「惑わなくなる」ということのようです。この八月にそんな不惑を迎える選手が、三十二人目の二千本安打を達成しました。捕手というポジションでは二人目です。しかも彼は、彼というのはヤクルトに所属する古田敦也選手なのですが、無名の公立校から立命館大学に進学し、大学四年の時にドラフトの期待がかかりながらも指名されず、社会人野球(トヨタ自動車)を経て、二十四歳にプロ入りしたのです。こういう経歴でこの偉業を達成したのは初めてですし、年齢では四番目に高齢での達成です。
捕手というポジションは、どうしてもケガが多いためにこういう記録と無縁だったのでしょう。その意味でも彼の記録は格別です。彼は現シダックスの監督である野村克也監督にその才能を見出されることになります。捕手というポジションから、投手と打者の心理について学び、それを捕手という立場から打者という立場に応用させて、打率を上げることに成功するのです。学んだことを学んだ領域でとどめてしまうのではなく、変形応用しようという姿勢は私たちも見習う必要があるかもしれません。
彼の原点は、大学の時にドラフトに指名されなかったところにあるようです。メガネをかけた捕手は大成しないと敬遠されたようです。ある種の反骨精神のようなものがあったのでしょう。いつか自分を評価しなかった人たちを見返してやりたいという思いもあったのでしょうね。そういう気持ちって大事かもしれませんね。評価されたいところで、自分が評価されなかったら、やはり悔しいという思いを持って、絶対に見返してやるという気持ちを持ちたいですね。それは私の実感でもあります。自分が認められたい世界では、認められるためのあらゆる努力をしようと、私はそう考えるのです。そういう世界が見つかっていない人は、まずは自分が勝負を賭けて、認められたい世界を見つけることから始めて、見つかったら認められるまでやってみるというのは大切なことです。
彼は記念ボールにサインをすると、そのまま自分たちを応援する席にボールを投げ入れたのです。選手会長として、何よりもファンを大切にしてきた彼らしいパフォーマンスだったと言えます。昨年、球団再編問題でもめ、ストライキを決めたときも、ファンに対する申し訳なさをまず口にしました。自分にとって何が大切なのかもよく分かっている人ではないでしょうか。先日もサッカーの時に書きましたが、プロは見てくれる人がいて、成り立つ世界です。観客が一人歩きしてもいけませんし、選手が観客を無視することがあってもいけません。自分がどんな立場になっても、大切な足下を見失わないことは重要です。私もあなたがいて成り立つ存在です。そういう当たり前で、基本的なことをいつまでも忘れずにいようと今さらながらに考えるのです。
才能にあふれた人が、その才能の通りに成果を出すのも悪くないのですが、時にこういう遅咲きの人が、コツコツと積み上げることでしかなし得ないような記録を残してくれると、私たちは単純に勇気をもらえますよね。それは自分が勝負する世界を間違えなければ、努力次第でいくらでも私たちにもチャンスがあると言うことを意味しています。まだまだあなたは自分の底を見せてはいないはずです。自分に何ができるかということを意識して、できることを自分のものにするための努力を続けてみましょう。そうするとどうなるのか、それが気になった人は、どうなるのかを見るために歩いていきましょう。

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2005/4/27
関東大会県予選の1回戦で負傷したムックの経過は良好で、昨日、手術となりました。結局、腓骨も関節部分は無傷に近い状態で、ボルトを入れました。心配していたかかとの脱臼部分についても靱帯を傷つけてはいなかったということで、術後四週間といわれていた入院も二週間程度ですむようです。それでも一月以上も使わずにいるため、くっついてから運動ができるようになるまで、まだ時間を要するでしょう。秋の花園県予選に間に合うかは未だ難しい状況であることには変わりありませんが…最後にみんなとグランドに立って終わりたいのですが…
昨日、福岡から高校時代のラグビーの仲間が出張で上京してきて、飲みました。彼はこの2月に試合中、タックルを受け、頭蓋骨骨折の重傷を負い、一時はICUに担ぎ込まれていました。3月には仕事にも復帰しますが、彼に実際に遭うまでは心配でしたね。まだ頭の中にはプレートが入っているそうです。ラグビーにけがはつきものですが、やはり致命傷に至らないための体作りが欠かせませんね。私も含めて6人で本当に久しぶりに飲んで、騒いできました。やはり仲間と飲むのは楽しいものです。

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2005/4/26
私は日曜日をほとんど休むことがないので、昼間は家にいることがありません。審判などをして夕方に戻って、夕方からテレビを見ることが多いのですが、いくつかのお薦めの番組があるので紹介しますね。
まずは六時半からTBSで放映されている『夢の扉』という番組です。趣旨はNHKの『プロジェクトX』に近いのですが、違いは『プロジェクトX』がどちらかと言えば、過去の実績を評価している番組なのに対し、この『夢の扉』はそれこそ現役バリバリの人たち田を紹介しているのです。私はこの番組を見て、日本もまだまだ捨てたものではないぞと感じて、私もまだまだだな、もう一踏ん張りしなくてはいけないなって思うのです。疲れて帰ってきても、また次の日をやれそうな、そんな元気をもらうことができる番組です。二十四日は自転車の部品開発をしている人の紹介で、わずか数人で数億という商売をしているのです。大企業でないからこそできることもあって、何となく大きなものに巻かれなくてもいいんだって、思わせてくれました。その人は「日本人の職人魂を伝えていきたい」という思いを語ってくれました。職人魂って、好きな言葉です。一つのことにとことん取り組んだ成果として、手に入る領域ですからね。
その後、七時からNHKの教育テレビで『トップランナー』という番組が放映されています。今、その世界でトップクラスにいる人について、インタビュー形式で紹介する番組です。二十四日はロッククライマーの小山田大さんでした。彼は小学生の時に見たロッククライマーが岩に取り付いている写真を見て、感じるものがあったそうです。メルボルンにある制覇の難しい壁を成功させて、世界から注目されることになりました。彼は「マニュアル」が苦手だそうです。岩を登っていく過程をたどるのをルートというのですが、このルートを造るのが、ロッククライマーの楽しみです。そしてこのルートは一つとは限りませんから、ルートを構築ルするのに大切なのは、想像力だと言えそうです。マニュアルに従うタイプには、どうしてもこの想像力が欠落しますから、マニュアル嫌いの彼はやはり自分でルートを探すのに向いているタイプなのでしょうね。
もう一つ、彼の語っている言葉で印象的なものがありました。彼の今後の抱負として、これまでの第一人者の制覇したルートを、自分も制覇してみたいとのことでした。それによってその人たちの精神に近づけるのではないかというのです。この言葉にひどく反応している私がいました。私の好きな言葉で、座右の銘にしている言葉に、「古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ」という言葉があります。これに近い言葉に感じたのです。同じ道をたどりながらも、それにより彼らに近づき、その精神を感じ取ろうというのです。ある領域にたどり着かないと分からない世界というものがあります。おそらく誰もがたどり着ける世界ではないのでしょう。もし私たちの努力で、その世界にたどり着けるのだとしたら、簡単にあきらめることなく、その領域までたどり着いてみたい、私はそう考えるのです。そのための努力は苦にならないタイプです。せっかくだからそんな領域にたどり着いてみませんか。もちろんたどり着くべき世界は、人それぞれですから、大切なのはあなたにあう世界を見つけることですね。
こんな番組を見ながら、単純な私はすぐに自分に置き換えて、まだまだ上には上がいるし、努力を続ける人がいるのだと元気をもらって、月曜日を迎えるのです。

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2005/4/25
先週、新しいローマ法王が決まりました。システィーナ礼拝堂で四回の投票で決まり、その後、礼拝堂の煙突から白い煙が上がったのです。この煙、最初から白ではなく、判別できないほどで、しかも鐘も鳴らないという状態で、広場に集まっていた人たちも半信半疑だったのですが、やがて鐘も鳴り、煙も白と判断し、喝采に包まれました。この新しい法王を決める儀式を、コンクラーベと呼ぶそう。そこでカソリック教の主要な役職を担っている枢機卿の中から、投票で新しい法王を決めることになっています。過去のコンクラーベでは新しい法王が決まるまでの投票を平均で八回だったそうです。今回は四回目での決着でした。決まったのは、亡くなったローマ法王の葬儀を取り仕切った、ある意味では本命と言われていた人物でした。
今回のローマ法王はベネディクト十六世を名乗っています。彼の本当の名は、ラッツィンガーです。前ローマ法王はヨハネ・パウロ二世でした。命名にもそれなりの意味があるようです。ベネディクト十五世は、第一次世界大戦で和平を呼びかけました。今回、ラッツィンガー氏が十六世を名乗ったのも、戦争反対への意志の表れだと言えそうです。何を名乗るのかが、どういう姿勢で法王という役職を全うしようとしているかを意味するのだと言えます。ベネディクト十六世の場合、十五世の意志を受け継ぐ形で、世界中で抱える火種に対する姿勢の表れだと言えそうです。
世界が注目する人事だとも言えますね。ドイツ人からの選出は実に九百五十年ぶりです。前法王の側近中の側近であったラッツィンガー氏は、まじめさ、表情の堅さから「宗教裁判所所長」などのあだ名があったほどです。彼は少年時代にナチスドイツに所属した経歴もありますが、本人はあくまでも「自分の意志に反している」としています。戦後、ミュンヘン大学で哲学・神学を修め、その後、神学校で教壇に立ちます。そこで無神論やマルクス主義の影響を受けた学生にマイクを奪われ、保守思想を強めるようになります。「世俗主義の広がりは人間社会を壊しかねない」と発言し、それは法王になって「キリスト教の結束再構築に向け、休みなく働かなければならない」と呼びかけることになるのでしょう。前述の通り、彼の法王就任は本命ではあったのですが、彼の決定を危ぶむ声もあったのは事実です。
それはあまりに保守的な考えの持ち主で、現実の問題との折り合いが難しいのではという見方があるからです。特に生命倫理の面で、妥協を許さないその考え方に戸惑いや失望があります。キリスト教の信者がアフリカでは急増していますが、そのアフリカではエイズ被害が深刻で、その予防に有効な避妊具の使用を認めない姿勢を今後も貫くのかが焦点になりそうです。ヨーロッパでは信者数、聖職者数共に減少しており、若者の教会離れも深刻で、それに対する対応策にも注目が集まっています。とろこが彼の保守的な思想、運営方針のために、「柔軟性のなさが教会をより脆弱にする可能性もある」と指摘します。
古き良きものを守りたいという気持ちは理解しますが、それがあまりに現実からかけ離れたものの場合、人々の理解が得られず、人心が離れていくという結果をもたらします。実はラッツィンガー氏の七十八歳という年齢にも不満をもらす声があります。人の上に立つ人が意識しなければならないのは、現実とどのように折り合いをつけるかということかもしれません。人があって、始めて成り立つ文化なのですから。

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2005/4/24
久しぶりにクラス通信とは別にコメントです。火曜日にムックの手術が決まりました。腓骨のボルトと、かかとの脱臼の処理になるだろうと思われます。今日も夕方、顔を見に行ってきました。彼なりにいつも気丈に振る舞っています。
ここのところ、2・3年生が揺れています。クラブと何かを天秤に掛けているようです。高校時代です。その気持ちは分かります。ただうちのクラブの場合、最後まで続けたメンバーがその後、どうしているかを日常的に知っているだけに残念です。今という足下のために、この後、何十年というつきあいを捨ててしまうことが残念でなりません。私自身がラグビーという競技に関わったことで、人生観まで変わってしまったのですから、ラグビーに関わった人たちにそんなことを伝えたいと考えているのですが…昨年あたりから受験という足下が大切になってしまっていて、凹んでいます。今年の卒業生も、結局は辞めたことを後悔していることを考えると、もう少し冷静に判断できるといいのですが…

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