ピンチヒッター
カレンダー
2005年
March
Sun
Mon
Tue
Wed
Thu
Fri
Sat
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
最近の記事
隊長(笑)
ブルー強し
コメント
感謝
ワラビーズやぶる
過去ログ
2022年5月 (6)
2022年4月 (17)
2022年3月 (22)
2022年2月 (20)
2022年1月 (27)
2021年12月 (26)
2021年11月 (26)
2021年10月 (28)
2021年9月 (27)
2021年8月 (30)
2021年7月 (25)
2021年6月 (26)
2021年5月 (27)
2021年4月 (29)
2021年3月 (32)
2021年2月 (27)
2021年1月 (31)
2020年12月 (31)
2020年11月 (29)
2020年10月 (31)
2020年9月 (29)
2020年8月 (31)
2020年7月 (30)
2020年6月 (30)
2020年5月 (30)
2020年4月 (30)
2020年3月 (31)
2020年2月 (29)
2020年1月 (31)
2019年12月 (31)
2019年11月 (30)
2019年10月 (32)
2019年9月 (32)
2019年8月 (36)
2019年7月 (31)
2019年6月 (30)
2019年5月 (30)
2019年4月 (30)
2019年3月 (30)
2019年2月 (27)
2019年1月 (31)
2018年12月 (31)
2018年11月 (30)
2018年10月 (31)
2018年9月 (31)
2018年8月 (38)
2018年7月 (31)
2018年6月 (30)
2018年5月 (31)
2018年4月 (32)
2018年3月 (31)
2018年2月 (29)
2018年1月 (33)
2017年12月 (32)
2017年11月 (30)
2017年10月 (33)
2017年9月 (30)
2017年8月 (39)
2017年7月 (31)
2017年6月 (31)
2017年5月 (30)
2017年4月 (33)
2017年3月 (36)
2017年2月 (29)
2017年1月 (36)
2016年12月 (35)
2016年11月 (30)
2016年10月 (30)
2016年9月 (33)
2016年8月 (36)
2016年7月 (30)
2016年6月 (32)
2016年5月 (35)
2016年4月 (32)
2016年3月 (31)
2016年2月 (29)
2016年1月 (32)
2015年12月 (34)
2015年11月 (32)
2015年10月 (31)
2015年9月 (32)
2015年8月 (33)
2015年7月 (30)
2015年6月 (29)
2015年5月 (31)
2015年4月 (30)
2015年3月 (31)
2015年2月 (27)
2015年1月 (30)
2014年12月 (31)
2014年11月 (29)
2014年10月 (30)
2014年9月 (31)
2014年8月 (32)
2014年7月 (30)
2014年6月 (29)
2014年5月 (31)
2014年4月 (29)
2014年3月 (32)
2014年2月 (27)
2014年1月 (30)
2013年12月 (30)
2013年11月 (30)
2013年10月 (31)
2013年9月 (31)
2013年8月 (34)
2013年7月 (30)
2013年6月 (33)
2013年5月 (29)
2013年4月 (30)
2013年3月 (30)
2013年2月 (28)
2013年1月 (30)
2012年12月 (27)
2012年11月 (30)
2012年10月 (32)
2012年9月 (32)
2012年8月 (33)
2012年7月 (28)
2012年6月 (26)
2012年5月 (31)
2012年4月 (29)
2012年3月 (29)
2012年2月 (27)
2012年1月 (33)
2011年12月 (30)
2011年11月 (29)
2011年10月 (28)
2011年9月 (26)
2011年8月 (32)
2011年7月 (27)
2011年6月 (26)
2011年5月 (25)
2011年4月 (28)
2011年3月 (27)
2011年2月 (23)
2011年1月 (32)
2010年12月 (26)
2010年11月 (28)
2010年10月 (31)
2010年9月 (30)
2010年8月 (34)
2010年7月 (27)
2010年6月 (28)
2010年5月 (28)
2010年4月 (31)
2010年3月 (29)
2010年2月 (23)
2010年1月 (27)
2009年12月 (28)
2009年11月 (32)
2009年10月 (25)
2009年9月 (30)
2009年8月 (26)
2009年7月 (23)
2009年6月 (31)
2009年5月 (35)
2009年4月 (30)
2009年3月 (29)
2009年2月 (27)
2009年1月 (27)
2008年12月 (28)
2008年11月 (27)
2008年10月 (24)
2008年9月 (26)
2008年8月 (28)
2008年7月 (28)
2008年6月 (29)
2008年5月 (32)
2008年4月 (30)
2008年3月 (31)
2008年2月 (28)
2008年1月 (31)
2007年12月 (26)
2007年11月 (28)
2007年10月 (30)
2007年9月 (30)
2007年8月 (26)
2007年7月 (23)
2007年6月 (26)
2007年5月 (28)
2007年4月 (27)
2007年3月 (26)
2007年2月 (26)
2007年1月 (30)
2006年12月 (30)
2006年11月 (29)
2006年10月 (22)
2006年9月 (22)
2006年8月 (16)
2006年7月 (13)
2006年6月 (5)
2006年5月 (9)
2006年4月 (9)
2006年3月 (20)
2006年2月 (25)
2006年1月 (19)
2005年12月 (11)
2005年11月 (20)
2005年10月 (21)
2005年9月 (22)
2005年8月 (3)
2005年7月 (13)
2005年6月 (21)
2005年5月 (19)
2005年4月 (19)
2005年3月 (10)
2005年2月 (25)
2005年1月 (27)
2004年12月 (18)
記事カテゴリ
ノンジャンル (5898)
スポーツ (1)
リンク集
検索
このブログを検索
カウンター
本日のアクセス
昨日のアクセス
総アクセス数
ブログサービス
Powered by
2005/3/19
「可能性の扉〜次の一年のために〜」
今日で今年度が終わります。終わりは、次の始まりを予感させます。終わった瞬間から次がスタートしているとも言えるでしょう。そう考えると、どう終わるかと、どう始まるか、始めるかは密接な関係にあると言えますね。始まりのための終わりと、今日の日を位置づけてほしいのです。
先日、みんなが嫌がるレポートを書いてもらいました。一項目に一行だけの人もいれば、しっかり自己分析をした人もいました。内容はともかくそうやって自分と向き合うことが大切だと私は考えて、ことあるごとにレポートなどを書いてもらいました。どこまでいっても自分からだけは逃げられません。ところがその自分というのがあるようで、よく分からないのがあなたの年代です。だからどうしても真剣に自分などという存在と向き合うことがないのです。でもその自分をほったらかしにしておくと、自分のこれからという課題に答えられない場合が多いのです。そうなると、今の足下にあるとりあえず楽しそうなものに目を奪われ、ますます自分のこれからを見つける機会を逸する羽目になります。気づいたときには、手遅れになっていたということもあり得るわけです。
ああいうレポートは担任である私に向けてではなく、自分に向けてであったのですが、ああいうものは男子は苦手ですね。だからこそ一行だけでも書いてみることに価値があるわけです。そしてそれが次のあなたの最初の一歩になればいいと考えています。どうしてそんなことを考えるのかと言えば、自分の可能性について自覚をしないと、伸びるべき可能性の芽をつぶしてしまうことになるからです。あなたはあなた次第で、これからをどのようにでもできる可能性を持っています。ところがその可能性は放っておいて、どうにかなるものではありません。自分でその可能性の扉を開けなければなりません。それを何とか自覚してほしいのです。
私は成績の善し悪しよりも、与えられた環境の中で主体的な生き方が自分で選択できるかどうかの方が大切だと考えています。そのために成績が必要なこともありますが、ただ点数さえよければいいというものではないでしょう。自分の可能性を広げるために、時に点数や数字という後ろ盾が必要なこともあります。自分の可能性が広がることで、生き方も、生きる姿勢も今よりももっと主体的になるはずです。生きることそのものを楽しむために、自らの可能性を広げる努力を、私たちは欠かすことができないのです。生き物の多くは、個体の保存と種の保存という二つの大命題のために努めますが、私たち人間だけはどうしても生き方というものにこだわるのです。今はあまり先々のことなど目に入っていないでしょうが、いずれ生き方という目には見えないけれど私たちの中に確かにあるものに目を向ける必要が生じます。そのときまでに少しでも自分探しや、生き方を見つける方法の予行練習になればと、折に触れみんなに考えてもらってきました。
最終的には私は、あなたに自分を正面から見据えて、自分をしっかりと肯定できる人になってほしいという願いがあります。そうならないと、私たちは常に誰かと比較をして、常に不安です。自分で自分の正しさを証明してほしいのです。そろそろ誰かに自分を認めてもらうことで、自分の存在価値を見出すところから抜けだして、自分で自分の存在価値を確認しましょう。生きている意味なんてないなんて考えず、誰のためでもなく何よりも自分のために生きて、それだけで十分に意味も、価値もあるのだと信じてください。
0
投稿者: 担任
詳細ページ
-
コメント(0)
|
トラックバック(0)
2005/3/14
「結果を受け止めるための過程」
「後悔、先立たず」という言葉はご存じですね。後で悔いるのですから、先に悔いることはできないのですよね。だから後で悔いないようにするのが一番ですが、人というのはなかなかそんなに思うようにはいきません。やはり後で悔いることはあるものです。それは私にだってあるのですから、いくつになったら、後で悔いなくなるかは分かりません。一生、なくならないかもしれません。しかしながら同じ悔いるのでも、ただ悔いだけが残るのと、悔いつつも納得できる場合とでは、悔いの質が違うのかもしれませんね。今日、受け取る試験に対してはどのような思いを持つのでしょう。
とにかくこの試験で高校での一年間が終わります。どのような一年だったでしょうか。高校という場所は、単位を修得しないと進級が許されません。その結果が今日の試験結果で明らかになります。一、二学期にあった追考査も行われないため、とにかくこの試験が一年の総決算として位置づけられるわけです。一年を締めくくるにふさわしい試験と、試験結果であったでしょうか。
私の目からは、厳しい見方なのかもしれませんが、多くの人が甘いなと言わざるを得ない結果に見えます。四回考査が終わった段階で、単位修得に必要な要件については話してきたつもりです。自分に必要な残りの数字も理解できていたはずです。そして過去四回の結果から学習するだけの機会も十分にあったでしょう。果たして、そういうことを分かった上での取り組みだったでしょうか。あまり危機感が感じられなかった人も見られます。自分のこととしてとらえることができていない人も見られます。結果として高校一年ではなく、中学四年生をやっていた人たちもいます。次の一年を自分で放棄した人もいます。「何とかなるだろう」という甘い見通しは、「どうにもならない」現実へと変換されることになりそうです。
結果を見てからものを言うのは簡単です。が、結果は必ずある過程を経て出てくるものです。だから気をつけなければならないのは、結果ではなく過程において悔いるところがないかどうかです。結果が悪いから悔いるのではなく、過程が悪いから結果につながらなかったことを悔いるべきですね。過程というのは、結果を受け止めるための準備期間でもあります。そこをおろそかにして結果が出ることはないですし、出した結果に満足をすることもないのです。
とにかくこの一年をしっかり省みる必要がありそうです。やれるだけことはやったという人は、その実感を次の一年につなげてください。まだまだやれたのではないかという人は、次の機会をしっかりと自分のものにしましょう。何度か話していますが、「次」があるうちが大切なのです。私たちは有限な存在ですから、「次」が常に約束されているわけではありません。だからこそ確実に約束されている「次」があるうちが大事なのです。今回の試験に関しては「次」はないですよね。これが今年度の最後の試験なのですから。
あなたのために、私に残された時間も、もう本当にわずかです。あなたのために何ができたであろうかと、ここ数日はそればかり考えています。そんなに大それたことができるとは、そもそも考えてはいないのですが、それでもあなたのために何ができたであろうかと省みる日々です。今日、私にも一つの結果が突きつけられます。これが私のこれまであなたと向き合ってきた過程の結果として、謙虚に受け止めることにします。
1
投稿者: 担任
詳細ページ
-
コメント(0)
|
トラックバック(0)
2005/3/12
「送辞」
ムックの雄姿です。雰囲気は伝わりますよね。
one for all,all for one がとても効果的でしたよ。
0
投稿者: 担任
詳細ページ
-
コメント(0)
|
トラックバック(0)
2005/3/11
「巣立ち」
私の仕事は、受け入れ、育んでそして手放すことです。今年も一つの巣立ちです。遠回りした数人をひどく感慨深い思いで、見送りました。忘れ物を取り返した気分も味わいながら…
私の仕事は、まさに一期一会を体感できるのです。とても恵まれた私です。個人的にはひどく冷たい人間なので、来る者拒まず去る者追わずで、私の元に集った人に手厚い歓待をしています。偉そうに人類愛を解くことはなく、自分を活かしてくれる人に感謝をして生きてほしいと伝えます。こんな私の元に、どうしてか多くの人が集います。そのことに感謝をしているのですが、今日は一年に一度の、最終決算みたいな日です。今年も最後は5人になってしまいましたが、心熱きラガーマンが巣立っていきました。彼らへの餞の言葉を、なんと彼らの後輩であるムックが送辞という大役を、見事に果たしたのです。河内も万感の思いで、あの壇上で特活表彰をされ、卒業生の背中をムックが押す、そんな特別な卒業式でした。
巣立ちを悲しいなんて思っちゃいけません。巣立ちを喜びの日としましょう。これを書いている今、林が顔を出してくれました。受験の報告と、2年間の謝辞を述べていきました。最後までやりたかった…これが彼の本音でした。それが聞けただけで十分ですね。
私の仕事は、なんて恵まれているのでしょう。つくづくそう思うのです。私も多くの人に感謝せねばなりません。私を、あなたが活かしてくれています。ありがとう。そしてこれからもよろしく。福岡、西、河内、麻生、わたる、さぁ飲みに行くぞ。
0
投稿者: 担任
詳細ページ
-
コメント(0)
|
トラックバック(0)
2005/3/8
「マイノリティ」
マイノリティという言葉をご存じでしょうか。少数派くらいの意味でしょうか。少数民族という意味もあるようです。少数派という言葉を聞いたときに、どんなことを連想しますか。ある共通の言葉を間に置いて、そこから連想することなどの意見交換すると、それぞれの視点が確認できるかもしれませんね。少数派ですから、当然のことながら、反対の概念として多数派があるわけです。民主主義を支える一つの原理して、多数決の原理というものがあります。ということは、日本の中では目立つのはとにかく多数派だと言うことになりますね。たとえば政府を組織する与党である自民党は多数派ですね。スポーツなら野球とサッカーは多数派ですね。野球は巨人という世代ではないでしょうが、かつてはそういう多数派の時代がありました。
多数派になると、どうもその位置というかポジションを守りたいという意識が人間にも、組織にもはたらくようで、気をつけないと重大な過ちを犯してしまうこともあるようです。先週、とうとう西武グループのドンと呼ばれていた堤氏が逮捕されました。「王国」とまで呼ばれていた世界を支配していたために、その王国を守るために手段を選ばなくなってしまったのでしょう。さらにニュースでは株を巡って、フジとライブドアとが対立しています。昨年、プロ野球の新チーム参入に真っ先に手を挙げて話題となった堀江社長です。結局、新チームはライブドアではなく、楽天に決まりました。その後も高崎競馬の面倒を見るなどと何かと話題を提供している人です。が、どうなのでしょう、堀江社長もマイノリティなのかもしれません。なかなかマジョリティ、つまり多数派になりきれませんね。フジとの関係に関しても、産業界では評価している人もいますが、なかなか世論そのものを味方につけて一気に多数派に、というわけにはいかないみたいですね。フジというか、ニッポン放送も自分たちの既得権を守るのに必死ですね。
前述のように組織は大きくなると、マイノリティを排除しようという傾向があります。ところがこのマイノリティを排除すると言うことは、社会という組織の健全性からすれば問題が生じます。社会の活性化のためには、このマイノリティの存在が不可欠だからです。マイノリティに対する寛容さというのが、社会の成熟度の一つのバロメータだといっても過言ではないかもしれません。少数派が台頭すること、活躍する場が用意できることが大切なのです。
この四月に復刊する作品があると言うことを、インターネットニュースで知りました。「チビ黒サンボ」シリーズです。ご存じですか。おそらくあなたの保護者は知っているはずです。これが本当に復刊するかは、まだ予断を許さない状況にあるようですが、出版社がその意向を持っていることは事実です。岩波版の復刊を計画しているようですが、当の岩波出版には打診が来ていないので、ノーコメントだと広報の方は話しています。なぜ「チビ黒サンボ」が絶版になってしまったかというと、黒人蔑視だという指摘が相次いだからです。ある時期にマイノリティに対しても、かなり過激に、神経質に似たような指摘が次次と起こったことがあります。「チビ黒サンボ」の絶版には、マイノリティに対するあまりに過敏であった時期の象徴が見えるかもしれません。そして冷静に読み直しをしたところで、そういう過敏な見方自体の見直しが行われたのかもしれません。ここから先はあなたが復刊した「チビ黒サンボ」を是非、手にとって確かめてみてください。
0
投稿者: 担任
詳細ページ
-
コメント(0)
|
トラックバック(0)
1
2
| 《前のページ |
次のページ》
/2
記事
画像
新着順
投稿順
teacup.ブログ “AutoPage”