2005/1/31
先週、模擬試験がありましたね。数年前までは、土曜日の午後にわざわざ残って、実施していました。一週間の終わりにとどめのように行われる試験は、みんなの本当の実力を確かめるものとして機能しているだろうかという議論をした末に、その学期で曜日の多い日に当てることで決着して、今のような形態になりました。
その目的はある程度、理解してもらえると思うのですが、本校のように大学受験する人が多い場合、校内の定期試験だけではデータとして十分ではありません。大学受験を考えると、大げさに言えば全国八十万人の受験生が相手になります。その中で、自分の今の実力はどのようなものかを測るものとして機能します。公立中学から偏差値が追い出されて久しいのですが、実態としては相変わらず偏差値は存在し続けます。そういう数字で生徒を切り分けていくことに対する抵抗としては、正論ですし評価できますが、現実はそれによる混乱の方が大きいですし、結果として公立中学は進学指導を形骸化させてしまうことになってしまったことを考えると、ある種の必要悪として偏差値の存在を無視できないのかもしれません。その事情は、大学受験においても同じです。
ただこう書きながら、ふと不思議に思ったことがあります。みんなが中学の時に受けていた北辰テストは、埼玉県の公立試験と同じような形式の試験です。ということは北辰は公立の模擬試験だと言えます。模擬というのは、似せるとか、真似るという意味なのです。北辰は、公立の試験に似せた試験だと言えます。ところが先日、あなたが受けた模擬試験は何の真似なのでしょう。とみんなに受験させておきながら、不思議に思ってしまったのです。センタープレという試験があります。これも分かりますよね、センター試験と同じ形式の試験です。さらに高校三年になると、早慶プレというものがあります。難易度が早稲田や慶應義塾のものに合わせて、設定された模擬試験です。と、ここまで書くと分かるように、ターゲットの定まらない模擬は本来あり得ないのです。その意味では先日、受けた試験は模擬ではなく、あくまでも実力試験と考えるべきなのでしょうね。
ともかくあの試験では、点数が分かるだけではなく、偏差値が出てきます。この偏差値が、良い悪いという論議は別に置いておいて、受験というものでは一つの物差しの役割を果たします。この物差しで、ある程度の判定ができます。ただ気を付けなければならないのは、この偏差値に振り回されないことです。つまりこの偏差値だけで大学を選ばないことですね。前述の通り、こういった模擬試験と一般に呼ばれるものは、特定の大学の模擬という色彩を持ちません。だとしたらその大学を受験して受かるどうかは、その試験では判定しきれるものではありません。あくまでも一つの物差しでしかないわけです。
もしも今の段階で、この大学に是非、入学を果たしたいという明確な目標があるのなら、その大学の試験に対応できる力を付けることです。それは決して模擬試験でいい成績を残すことだとは限らないかもしれません。しかし過去にもそうして自分の第一志望の大学への入学を果たした先輩がいることを考えれば、やはりむやみに偏差値に縛られているよりも、自分のやりたいことを決め、それができる大学を見つけ、そこに入るための努力こそが大切だと言えますよね。定期試験も大切ですが、それだけではいつまでも井の中の蛙で、いずれ大海に出て行くであろうあなたには、こんな機会に少しだけ次の世界をイメージしてほしいのです。そういう意味では、先日の試験も意義ありですよね。

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2005/1/30
昨日は県大会の準決勝でした。どちらも結果としては順当だったのだというものでしたが、グランドは熱かったですよ。第1試合の深谷対熊谷工業は、先制したのが熊工でしたが20分近く攻め込んで、結果としてペナルティの3点でした。その直後にモールで押し込まれて、あっさりと逆転です。ゴール近くまでは持って行けるものの、得点できない熊工と対照的にチャンスを確実にものにする深谷に試合巧者ぶりがうかがえました。第2試合は、前半は所沢北のいいところばかりが目立ち、それが得点にも現れて、前半は22−7で所沢北でした。しかし正智の外人の潜在的な力もあり、後半に入りあっという間に逆転でした。それでもあきらめずに、後半のほぼノータイムで4点差、1トライで逆転の状況の中で所沢北が攻め続けました。が、最後にはやはり正智に取られ、ノーサイドでした。この時期はまだまだ上位も完成にはほど遠く、おもしろい試合が見られます。決勝も、3位決定戦も楽しみです。
さて今日は東部選抜の練習会でした。獨協からも5名が参加しました。(今日は4名でしたが…)今日と2月11日の二日間で25名前後を選ぶことになります。ここ数年では2名が選出されています。今年は何人、選んでもらえるか、楽しみにしています。ただ選ばれることだけを考えているわけではなく、より上のレベルを経験させて、それをチームに持ち帰って生かしてほしいと思うのです。北風も強く、寒そうでしたが、試合で走ると汗ばむほどでした。

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2005/1/29
高山先生から預かったレポートに目を通しました。夏休みの課題であった、総合学習の環境に関するレポートです。一口に「環境」と言っても、その切り口により、様々なテーマがあり、興味深く読ませてもらいました。とても身近な視点で、たとえば自分の一日の行動を追いながら、環境との関わりを考えたものから、私たちの目にはハッキリとは見えにくい地球規模での温暖化などを扱ったものまで、実に広いジャンルの問題としてとらえられるのだなぁと感じました。
獨協埼玉の授業カリキュラムの中に、高校三年生で希望者を対象に国語表現という科目があります。これは表現全般を扱うのではなく(科目の本来性は全般を扱うのですが)獨協では小論文の指導になります。担当の先生によって、授業の進め方は多少異なるのですが、基本的には一週間に一つのテーマについて、八百字程度で書いて提出するという形式を取っています。それを一枚一枚、添削して、翌週にコメント付きで返却します。この授業の中で、おそらく多くの先生が一度くらいは環境問題について調べて書くという課題を出していることでしょう。もちろん私もその一人なのですが、提出してもらう際に、課題のテーマについての考え方を話します。環境問題の場合、学部系統により考えるべき中身は変わるのだと話します。もちろん温暖化やオゾンホールを論じて間違いはないのですが、たとえば社会学などを専攻したい人の場合、環境という言葉のとらえ方そのものが変わることになるでしょう。経済分野から環境問題を論じるとどうなるでしょう。問題をある一定方向から見て、論じるのではなく、広い視野を確保してから論点を決め、そこに焦点を持って行こうと話します。なかなかすぐに実践できるようなことではないのかもしれませんが、だからこそ意識しなければ身に付かないのですから、そういう訓練は大切なのかもしれませんね。小論文というのは、思考の訓練には最適かもしれません。
小論文では意見提示が必要になります。それは実は高校生としての自分の意見で構わないのですが、高校生の自分の意見には自信が持てないため、どうしても誰かの意見に乗ってしまいがちです。そこも訓練なのかもしれません。今の自分はどんな意見を持っているのかを、自分の言葉で表現するという訓練です。そうしないとありきたりな言葉で、ありきたりな意見に乗っかってしまうことになります。そうするといつまでたっても自分の本音は見えてきません。小論文で大切なことは、どんな経過をたどり、自分はこういう考えに至ったかの思考の回路を明らかにすることです。そこが相手に伝われば、評価されることになります。知識を問う学科ではないですからね。
みんなのレポートを読みながら、そんな小論文の本質に思い当たり、そして多くの人が最期に語っていたように、環境問題を自分の身近な場所でとらえ、一人ひとりの心がけで少しでも改善の方向に向けてほしいのです。実はこういう意見も、小論文では多くの人が書いてくれるのですが、それが実は要求される答えだから書いているという印象も拭えずにいます。頭の中でだけ分かっているのでは、現実は何も動かないし、変わらないですよね。変えるためには何か一つでも動き出さねばなりません。そういう実践家であってほしいと思うのです。ゴミ問題、エネルギー問題が現実問題として深刻なら、教室ではまず何ができるでしょう。エアコンの使い方、電気の使い方、ゴミの出し方が変わるはずですよね。みんなのレポートを読むかぎり、みんながそうしなければと考えているはずでした。

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2005/1/28
先日、大きく文系の学問の特徴と、理系の学問の特徴の話をしたのを覚えているでしょうか。すごく乱暴なくくりだけれども、理系の多くの分野は未来に目を向けている部分があると話しました。それに対して、特に文学の世界などは、私の専門が『古事記』であるというのも関係していますが、先人の遺したものを検証している部分が大きいですね。何となく自分のしていることが、ひどく後ろ向きかもしれないと考え込んだ時期もありました。未来志向の発想を持てはしないかと考えてもみました。
そんな中で、先日、未盗掘のミイラ発見のニュースがありましたね。早稲田大学のエジプト学研究所が、エジプトのカイロ郊外で三七五○年前のもので、未盗掘、未破壊の完全な形で発見された例としては最古級だということです。このニュースを聞き、一種のロマンのようなものを感じたのです。私たちの知らない世界というものに思いを馳せるとき、そこにロマンという感覚が生まれるのではないでしょうか。そうすると、ロマンを感じる私たちの知らない世界がどんな分野になるかを考えたくなりますね。
ロマンを感じさせる世界として、一つに宇宙というものがありそうです。これまた先日、地球の起源によく似た特徴を持つ土星の衛星タイタンに探査機を送り込んで、画像が送られてきたというニュースは、私たちを遠い星の彼方へと誘ってくれる力を持ちます。この宇宙がどのように始まり、広がり、どうやって地球は生まれ、人類は生まれたのかを解明するのは、まさに人類のロマンだと言えるでしょう。そう考えてみると、あることに気づきます。宇宙のメカニズムの解明、それは一見、未来志向の前向きな方向にありそうですが、その前提にはしっかり過去の、これまでの検証があります。宇宙の起源などは、今ある宇宙を逆さにたどりたいということですから、私が文学という学問で行っていたのとほぼ同じ手法が用いられるでしょう。そうすると、実は学問のどの分野も本質はそれほど変わらないのかもしれません。
表題にした「温故知新」というのは、その本質を実に的確に表した言葉だと言えそうです。故き温めて、新しきを知るというのですから。私たちが知りたいのは、今の私たちの知らない部分です。それはこれから先のことの場合もあれば、知らないという意味では遙か昔のことの場合もあります。それを解明することの喜びは、方向は問わずに同じような価値を持つのでしょう。今回の発掘で、これまで仮説でしかなかった部分が、物証をもって証明されることになるかもしれません。分野を問わず、私たちの周りにはまだまだ「謎」や「不思議」が隠されています。それを一つでも解き明かしたいという思いを抱えてほしいというのが、私の願いでもあります。
あなたもまだまだ知らないことがたくさんあるでしょう。簡単に分からないとフタをしてしまわずに、しっかりと向き合ってほしいのです。あなたはまだまだ学問の入り口にさしかかったばかりです。これからその難しさも、楽しさも、あなた次第でいくらでも形を変えるでしょう。そのおもしろさを、せっかくですから知ってほしいのです。そして心構えとして理解していてほしいのは、文理問わず、故きを温めるという姿勢は欠かせないということです。歴史の重要性はそんなところにあります。未来につなげるために、一度は過去に目を向ける必要があるのですから。化学や数学のような答えが一つのスッキリした学問ばかりでなく、価値の見えにくい文学のおもしろさも知ってみましょう。

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2005/1/27
ハワイで行われたソニーオープンというゴルフの大会で、丸山選手が三位に入りました。といっても、前日まで首位であったことから考えると、三位に落ちて終わったというのが正直なところかもしれません。さらに加えると、丸山選手が落ちたのではなくて、抜いた選手がスコアを伸ばしたというべきなのでしょう。最終日に集中力を高め、一気抜き去る力を発揮した選手を誉めるべきなのでしょうね。私はゴルフをやらないので、その難しさはあくまでも画面から伝わるものから判断するしかないのですが、力だけでも、技術だけでも勝てるわけではなく、武道でよく使われる用語の「心技体」がそろって、初めて結果がついてくるのかもしれません。しかも自然相手の要素もあるようですね。風の向きや、強さなども克服すべきもののようですね。
丸山選手の今後の課題は最終日をどのようにプレイするかだそうです。プロゴルフツアーの場合、一日のラウンドで勝敗が決まるものではなく、三日から四日にかけてラウンドした結果のトータルで決まります。忍耐力なども問われることになるのでしょうね。我慢をして、上位をねらえる位置について、最終日の勝負所で一気にスコアを伸ばすための仕掛けを行うということが世界のラウンドで勝つための条件なのかもしれません。そうするとああいうところで、上位争いを演じ、プレッシャーを感じながらも結果を出していけるために、今回の経験が次につながることを願いますね。彼の明るいキャラクターが世界のメディアから注目される時代が来ることを願って止みません。
どんなものでも、勝敗が出るものには、勝つための理由、負ける理由が存在します。特に勝つための条件には間違いなく精神力が入るでしょう。特に競ったときに、相手よりもあと一歩出るためには、この精神力がものをいいます。たとえば正月の箱根駅伝でも往路優勝を初めて果たした東海大学の越川は五区で、二位の駒澤大学の村上に一時は十数秒差にまで詰められたけれども、勝負所で踏ん張り、なんとか三十秒差で一位を守りました。追いつめた側と、追いつめられた側とどちらが精神的に有利であったのかは、長距離の苦手な私には測りかねるところなのですが、あそこでは東海の越川に軍配が上がったということですね。あの五区では話題を順天堂大学の今井にさらわれてしまいましたけれどもね。今井は大会記録となる十位人抜きを達成し、十五位でたすきを受け取りながら、四位で往路を終える走りを見せたのですから、彼に賞賛が集まるのは仕方ないことですね。
スタートダッシュを華麗に決めて、ラストにエネルギーを割かなくてもいいレースができれば一番ですが、今年度も残りわずかです。スタートから徐々に遅れ始めてしまった人は、ここで来年度も見越したラストスパートの時期にさしかかっています。ラストスパートをかけるだけのエネルギーは貯めてあるでしょうか。精神力だけでは乗り切れないですから、最後の試験に勝負をかけるだけの準備が必要です。最後の試験に自分の将来を賭けざるを得ない人たちがいますよね。そしてこれから自分の進路を、現実味のあるものにするためにも今年度のラストスパートを見たいものです。
思いだけでは、結果は付いてきません。勝つための条件があると前述しましたが、勝つための条件の中にはどれだけのことをしてきたかという自信があります。自分のやるべきことを先延ばしにしてきた人には持てない自信です。この一月であなたがしなければならないことは、結果を出すための具体的な取り組みというラストスパートです。

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