「いつ頃から・・・」というある方の質問に答えたコメントを、プロフィルへの補完としてここに記載しておきます。
スカウト活動へ参加したのは、12歳になってすぐくらいでした。
愛知連盟碧海地区安城1団から分封した安城2団ができて1年くらいしてからの安城2団ボーイ隊へ途中入団です。
その頃はまだ、CS隊は存在していませんでした。
入隊後しばらくしてから、初の発団セレモニーがありました。
母方の叔母がBS隊の隊長と結婚、親戚中の男の子供に声が掛かり、新しく叔父さんになった人が隊長で、入団。
中2の時に第5回朝霧高原日本ジャンボリー、中3の時に第13回世界ジャンボリ朝霧高原IN日本に参加できました。
1・2歳上の先輩達はシニア班として存在していました。
私達同年3人がシニア隊に上進し、安城2団シニアSS隊が正式結成され、隊としての第一期生となりました。
SS(シニアスカウト)とRS(ローバースカウト)の時は、安城市内のお寺の住職である鈴木了生さん(当時の日本連盟総コミッショナー<副コミの時もありました>・現先達)が隊長を引き受けて下さり、プレッシャーを感じながら様々な活動を実行しました。副長が日本山岳会所属の山屋の野沢さん(市役所勤務)でした。
他の指導者の方々も、みんな若く20代〜30代前半で、登山・ワンゲル・サイクリング等の市内若手男女専門家グループからの出身でした。
SS・RS頃の7年間に鈴木隊長・野沢副長の多大なバックアップを受け、山岳系・長距離移動・離島無人島・イカダ・雪中・ヨット・カヌー・自転車移動・各隊後輩達へのサポート等〜果敢にチャレンジしました。
・・・失敗惨敗ばかりでしたけど。
高校1年生時では、愛知県連主催のSSトレーニングで福井県の日本海から琵琶湖長浜と関が原あたりを経由、太平洋まで山越えしたこともありました。
もの凄く過酷で遠かったです。
愛知県連のおっさん達が考えたコンセプトは、「日本海の海水を太平洋にそそげ!」というもの。
個人装備野営装備以外にも意味のない重い海水を余分に背負い、ひたすら歩きました。
今考えると無意味ですなぁ〜。
ですから、湘南地区藤沢8団SS・VS隊の活動の源は全て、安城2団のSS/RS時代にありました。
藤沢8団に関係するようになって、安城2団SS/RS時代での昔の失敗した笑い話をいつもしていたら、スカウト達・団関係者達みんなが、やってみたい、やりたい・やろう・・・ということになって・・・活動内容が継続した・・・続いたのです。
藤沢8団:F8に関係した経緯は、20年前の30歳の頃四国の四万十川をカヌーで下ってきた写真を(東京の設計事務所勤務時代)のデスクの上に放置していたら、当時の上司が見て、F8のシニア連中にカヌーレッスンを頼まれたのが最初でした。
それから・・・湘南地区関係です。
*1987年に実行した四万十川カヌー下りは、当時作家デビューした野田知祐氏の名著「日本の川を旅する」(日本ノンフィクション賞新人受賞だったか?)を読んで感銘を受け、私も清流四万十川と那珂川にリバーツーリングを行こうと思いました。この頃は、椎名誠氏「わしらは怪しい探検隊」も発刊され、雑誌ビーパルも創刊された頃でした。
スカウト活動へ参加したのは、12歳になってすぐくらいでした。
愛知連盟碧海地区安城1団から分封した安城2団ができて1年くらいしてからの安城2団ボーイ隊へ途中入団です。
その頃はまだ、CS隊は存在していませんでした。
入隊後しばらくしてから、初の発団セレモニーがありました。
母方の叔母がBS隊の隊長と結婚、親戚中の男の子供に声が掛かり、新しく叔父さんになった人が隊長で、入団。
中2の時に第5回朝霧高原日本ジャンボリー、中3の時に第13回世界ジャンボリ朝霧高原IN日本に参加できました。
1・2歳上の先輩達はシニア班として存在していました。
私達同年3人がシニア隊に上進し、安城2団シニアSS隊が正式結成され、隊としての第一期生となりました。
SS(シニアスカウト)とRS(ローバースカウト)の時は、安城市内のお寺の住職である鈴木了生さん(当時の日本連盟総コミッショナー<副コミの時もありました>・現先達)が隊長を引き受けて下さり、プレッシャーを感じながら様々な活動を実行しました。副長が日本山岳会所属の山屋の野沢さん(市役所勤務)でした。
他の指導者の方々も、みんな若く20代〜30代前半で、登山・ワンゲル・サイクリング等の市内若手男女専門家グループからの出身でした。
SS・RS頃の7年間に鈴木隊長・野沢副長の多大なバックアップを受け、山岳系・長距離移動・離島無人島・イカダ・雪中・ヨット・カヌー・自転車移動・各隊後輩達へのサポート等〜果敢にチャレンジしました。
・・・失敗惨敗ばかりでしたけど。
高校1年生時では、愛知県連主催のSSトレーニングで福井県の日本海から琵琶湖長浜と関が原あたりを経由、太平洋まで山越えしたこともありました。
もの凄く過酷で遠かったです。
愛知県連のおっさん達が考えたコンセプトは、「日本海の海水を太平洋にそそげ!」というもの。
個人装備野営装備以外にも意味のない重い海水を余分に背負い、ひたすら歩きました。
今考えると無意味ですなぁ〜。
ですから、湘南地区藤沢8団SS・VS隊の活動の源は全て、安城2団のSS/RS時代にありました。
藤沢8団に関係するようになって、安城2団SS/RS時代での昔の失敗した笑い話をいつもしていたら、スカウト達・団関係者達みんなが、やってみたい、やりたい・やろう・・・ということになって・・・活動内容が継続した・・・続いたのです。
藤沢8団:F8に関係した経緯は、20年前の30歳の頃四国の四万十川をカヌーで下ってきた写真を(東京の設計事務所勤務時代)のデスクの上に放置していたら、当時の上司が見て、F8のシニア連中にカヌーレッスンを頼まれたのが最初でした。
それから・・・湘南地区関係です。
*1987年に実行した四万十川カヌー下りは、当時作家デビューした野田知祐氏の名著「日本の川を旅する」(日本ノンフィクション賞新人受賞だったか?)を読んで感銘を受け、私も清流四万十川と那珂川にリバーツーリングを行こうと思いました。この頃は、椎名誠氏「わしらは怪しい探検隊」も発刊され、雑誌ビーパルも創刊された頃でした。
投稿者:imori masuda takao