日曜の昨夜、アトリエで仕事をしていると、階下・吹抜けの下から、神さん子供達が見ていた「華麗なる・・・」の挿入音楽エンディングが聞こえてきた。
Eeglesだった。
desperado ならず者だった。
なるほど、このプログラムのコンセプトは「ならず者」だったのか。
エンディングの音楽には結末が表現されている・・・
でも、そうか、Eeglesか・・・いいなやっぱり。そしてコレを聴いたら思い出したこと、自然に思い浮かんできたことがあった。
約30年以上前ですが、Eeglesを教えてくれたのは、1年先輩のAさんでした。大学は英文科でバンドも組んでいてヤマハのポプコンにも出場した本格派でした。
プログレッシブロックとかハッピーエンドも教えて貰いました。
当時、私たちはボーイスカウト安城2団のローバースカウトかつシニアスカウト隊の隊長(Aさん)と副長(私)でした。18〜20歳でしたが地区・県連から大目に見ていただき、若かったですが、一生懸命振る舞い元気良く何とかやっていました。
その昔のある夜、Eeglesを聴きながらスカウトプログラムを一緒に考えていました。
その時にまだ誰もやっていない・やっている所を見たこともない・雑誌の写真でも見たことがない「カヌーリバーツーリング」をやろうと思いつきました。
Take it easy ですね(^^)
この2年くらい前の高校生:シニアスカウトの時に、一級河川の矢作川をイカダ作って水源ダム上から海まで4・5日かけて川を下った(NHKニュース出演と毎日新聞に載りました)ので、その発展系を模索していたのです。
(この時のイカダ、装備も入れると重さ約1tになる代物、6人で人力のみのダム越えのキツイことといったら・・・その後30年かかって軽量化しましたが)
しかし、当時の日本でカヌーを扱っている所がいくら調べてもわからず、USAのアウトドア雑誌を取り寄せ、USAのカヌー製作会社に手紙を書きました。
「当方、日本のボーイスカウト、日本の川でカヌーツーリングをしたい、カヌー入手希望、どうすれば入手可能か、方法など教えをいただければ・・・うんぬんかんぬん、他等々」
英文で丁寧な長文を書きました。私じゃなくてAさんですけど(^^)
メールが無かった時代なので、何をするにも時間が掛かるしのんびりしていましたよ。
そうしたら、約1ヵ月後、分厚い大きな英語のハデな封筒が送られてきました。
分厚い書類とかっこいいカヌーのカタログが入っていました。翻訳して解読。
何と、日本でのカヌー販売直営契約書でした。今なら日本での独占販売契約が可能だ、有利な条件でカヌー直営販売会社を作らないかとの英文でのUSAからの優しいお誘い・・・(^^)
私は・・・
「ほしいのは3つのカヌーだ。カヌーなんぞ日本でたくさん売れるかいな?在庫かかえて赤字だぞ。どうするんだ借金は!20万以上する川下り高級品を買うヤツなんかいるか!(この時、私とAさんは買おうとしているのですが^^)アメリカは裕福だが日本はまだ貧しいはずだ!」
・・・と声を大にして言いました。
私は、普通でも大きい声なので凄く大きい声だったと思います。
この時先輩のAさん・・・
「そうか?そうか?契約してもいいんじゃない?」
・・・と小さく呟いていたような気がしていますが・・・記憶ですがね。
この後、USAには丁重な堅苦しい(^^)基本英文で直営店経営独占販売契約の断念のお手紙を、Aさんが書いて送付しました。
まあ、普通3つカヌーを買いたいと言えば中口の契約(特に極東だし)みたいですから、今思えば販売会社やりたい日本のヤツかも?と判断されても不思議じゃないか?
(後日談:この10年後くらいでしょうか、日本に一大アウトドアブームが到来、B―PAL創刊、椎名さん野田さんによりカヌーブーム、中曽根内閣誘導でバブル経済が忽然とやってきました。
バブル時代の頃のAさん曰く「あの時に契約していれば、結構一杯儲かったはず、今頃は 一大アウトドアショップの社長だったと思うけど・・・お前があんなこと言うから」と言われてしまいましたが、バブル崩壊の今現在30年後の時点では的確な判断だったと思います。断言!!)
しかし、30年前と今のカヌーの金額、変わっていないのはどういう理由か?
その半年後、私たちのスカウト師匠(ヨットマンで雪上パラセール自作チームのボス)がヨット雑誌の片隅に載っていたという京都のFカヌーという会社の小さな切り抜きを持ってきました。3cm角の雑誌白黒の切り抜き。記載電話番号に直ぐ電話。
自作キットもある日本製組み立てカヌー:ファルトボート、木製骨組みと船体布でできていてオリジナル発案はドイツとのこと。USAからドイツオリジナルへ方向転換。後で調べるとカヌーカヤックはフランス製も良いらしかったです。
まず、1艇を私たちローバーで作りうまくツーリングできれば、シニアスカウト隊で自作キットを作ろうということに・・・
発注する時に京都Fカヌーの社長曰く「自作キットはやめたほうがいいよ。挫折するかも?」
しかし、私たちは自作キットをまず1艇発注、うまく行き、その後合計6艇を発注。
無事製作完了。7艇のカヤック:ファルトボートは進水式を迎えることになりました。
この進水式の時は京都からFカヌーの社長も愛知県まで駆けつけてくれました。橋の上から祝福してくれました。
ちなみにこのカヤック:ファルトボートは京都Fカヌーの製造ナンバーの一桁番号とのことです。1号はFカヌーの社長、10番までのうち私たちが7艇所持していましたから、残りは2艇がどこかにあるでしょう。
しかし、30年の間に7艇のカヤックは2艇になってしまいました。幾度と無く激流に揉まれて、2つに折れたり、破損崩壊し、部品を相互供給していたし、保管状態の悪さから使えなくなってしまった艇もありその一部分も活用したので、7艇が2艇になってしまいました。
今でも2艇は現役で使用可能です。鵠沼野営場の倉庫にあります。
満身創痍の歴代のツワモノとして・・・
このカヤック:ファルトボートは海でも川でも湖でも使用可能は万能タイプ。
三浦初声長浜〜江ノ島片瀬50Kmまた、無人島「姫島」「三河大島」にも渡った経験があります。
カナディアンカヌーと競技用カヤックは崩壊の危険性があり廃棄してしまいましたが、他には激流対応スラローム用カヤックもまだ現役で使えるものひとつですがあります。
Take it easy ですね(^^)
長くなってしまいましたが、Eaglesで思い出したことです・・・
長かったですね(^^)
この当時、Aさんには色々教えていただき、多大な影響を受けました。
先輩のAさんは、今で言う「コンセプチャル」な思考ができていました。
物事の本質と目指すものを明確に説明し、コンセプトを提示することができた方でした。しかし、私はそのあたりが未熟で、具体的な方法手法は提案でき、アイデアが浮かぶのですが、考え方の骨組みと思考をコンセプトとして説明できることができていませんでした。
この時に気づいたことが建築設計・計画の道に入って行った時に役立ちました。
物事の本質と目指すものを明確に説明する・・・この大切さです。
今では何とかできるかな?というレベルですが努力しています。
昨年、友人でスカウト仲間の故金海敏氏の一周忌で20年ぶりにAさんと会って話した時に、このことを伝えました。このことは先輩のAさん、昔から自覚しわかっていたようでした。
・・・尊敬してしまいます。