与えたまえ
絶えざる光 照らしたまえ
世の旅終えて ゆきししもべに
あわれみの主よ み使いもて
みちびきたまえ このしもべを
なみだの地より 天のみくにへ


パパとしばしのお別れが無事に終わりました。
本当に近しい人達だけで穏やかな見送りだったと思います。
パパは5人兄弟で全員男子!
パパは上から3番目ほぼ真ん中ですね。
一番下の弟がポチが生まれた頃に交通事故で亡くなっておりそれから病気で他の3人が亡くなり今回パパが亡くなったことでお式にはたった一人残ったパパの二つ上の伯父夫婦が参列して下さいました。伯父はお顔もパパとよく似ています。年も近かったので特に仲が良かったみたい。当時はまだ長男は家長になるべき人で畏敬の念を持って接するように育てられていた為かパパは長男だった伯父は大人になっても結婚しても頭が当たらない様子で家族より兄弟の方が大切なようなそぶりを見せることがしばしばありそれがママとの間に微妙な隙間風を吹かせる原因の一つにもなっていたように思います。ただこの二つ上の兄とは多分似たような立場だったのでしょう。○ちゃん、△ちゃんと呼び合い。あらゆるいたずらを一緒にしていた仲だったようです。
今回お式は都内のとあるお寺で行なわれました。父の菩提寺だと聞かされてはいましたが訪れたのは今回初めてでした。いつ頃ココを菩提寺と決めていたのかはよくわかりません。江戸時代から多くのお寺がある場所なのですが都会のど真ん中とは思えない静けさがそこにはありました。最期のお別れが桐ヶ谷でありお寺に戻って食事を取っている時。私だけが知ってる弟の事と言って伯父が色々な話をしてくれました。その後私や弟から質疑応答という感じになり…
一陽ちゃんがずっと疑問に思っていたことが二つほどクリアになりました。
一陽ちゃんはカトリックの信者です。
洗礼を受けたのはママと私。子供の頃でした。
パパと弟は信者ではありません。
ただママがキリスト教と出会ったのはパパと結婚して北海道に渡ってからの事だとぼんやりと知っていました。パパが子供の頃祖母(一陽ちゃんにとって曾祖母)に連れられて子供の頃毎週日曜日近くの教会に通っていたと聞いたことがあったからです。ただ曾祖母も祖父も祖母もお葬式はお寺でしましたから曾祖母が信者だったけれど婚家先で亡くなったのでそうなったのかとずっと思っていたのでした。彼女がキリスト教徒になったのは札幌で曽祖父が同庁に勤めていた頃で内村鑑三氏との出会いからだったと思っていたのですが昨日その辺りを伯父に聞いてみました。
すると・・・
伯父が言うには内村鑑三氏と親交があり無教会派のキリスト教徒だったのは曽祖父の方で札幌で亡くなった時のお葬式は確かに教会だったというのです。山形(うおっ!千ちゃん、Jude姉様!!)の武士の娘だったという曽祖母はキリスト教の洗礼を受けることはなかったけれど曽祖父が札幌で亡くなってから祖父の住むM蘭に移ってからもずっと家の近くのカトリック教会に子供や孫を連れて通っていたというのです。パパや伯父は友達から時々からかわれたりするので嫌だったけれどミサに行くと飴玉をもらえるので通っていたそうです。そうかそういうことだったのか。
へぇ〜〜〜
もう一つの質問は我が家の北海道以前のルーツについて。。。
曽祖父が同庁に勤める為に北海道に渡るまで曽祖父が生まれ育ったのは滋賀県だというのは知っていました。そこにはまだ総本家が残っていてパパとママも行った事があるはずです。一陽ちゃんも以前大学の史料編纂所でルーツを辿った事があるのですが相当昔の祖先まで名前を辿っていくことは出来るもののそこで何をしていたか全くわからなかったのでした。ただ一陽ちゃんはそのことで一つの結論を何となく導きだしていたのですがどうやらそれは本当かも・・・
と伯父からも似たようなの話を聞けたことで確信をしました。
それは・・・
一陽ちゃんのご先祖様は忍者だった!ということ
伯父が総本家を訪れた時も曽祖父や祖父の話をよくしてくれるのに過去の家の歴史の事になると急にはぐらかされるというかお茶を濁されて話してくれないというのです。その地域は歴史上では殆どが忍びに通じるといわれる場所なので伯父もまぁそういうことなんだろうな〜と言っていました。徳川の時代になり殆どの民が草となってもいざとなると…?だから先祖代々運動神経が良かったり足が速い人間がわりと多いということらしいです。ポチもそういうわけで足が速い!?


お通夜の夜はお寺の近くのホテルで一泊。
私とハナゲン父。弟夫婦。ポチと従兄弟君と3室に分かれて泊まりました。
窓からは東京タワーのライトアップがよく見えます。
お寺から見上げる昼間のタワーも圧巻的でしたけどね…
冷蔵庫に入っていたウエルカムシャンパンでほろ酔い加減なハナゲン父。。。
お通夜の時間が近づいてもなかなか到着しない伯父を探しにみんなで右往左往。やっと伯父が到着したのはいいけれど、途中ではぐれたらしい伯母を探していたとわかり顔がわかるのは一陽ちゃんと弟だけ、喪主の弟をお寺に残し。。。やっと伯母を発見してお寺に滑り込み!と泣いている暇もなかった一陽ちゃんでしたが、桐ヶ谷でのお別れはさすがにキツカッタかなぁ〜〜。ハナゲン父がずっと手を繋いでいてくれたので漸く控え室に辿りつきました。ただ…今は同じ経験をされた皆さんがよく言われるように形としてなくなってしまったパパは凄く身近に感じたりしています。

孫達はお通夜の晩に部屋でおじいちゃんにお手紙を書きました。それとおじいちゃんの大好きだったシュークリームを入れようという話になり朝ホテルの喫茶店に行ったけれど朝早すぎでまだありません。ホテルを出るときは嵐のような雨、彼らはお寺の近くで車を降りコンビニでシュークリームをゲットしてきました。天国できっと美味しい美味しいって食べているかもしれませんね…
それにしても、、、ポチくん。
お通夜が始まる頃配られた冊子をみてやってくれました。
『浄土宗・・・ええと、天台宗が空海だから浄土宗は最澄か?』
すると後ろから係りの人の声が。。。
『浄土宗は。。。法然です』
『あ。そうか!』
『あ、そうかじゃないよ!日本史選択してるでしょ。』
『うるせー』
『だいたい天台宗が最澄で空海は真言宗だよ。浄土宗は天台宗から派生してるけどさ』
『へぇ〜』
『へぇ〜じゃないよ。ほら始まるから静かに!!』
あたま痛いです。。。泣
全てが終わり今後の流れを確認(梅田と博多やポチの合宿、修学旅行を避けて四十九日法要や納骨の予定を組む事ができました)弟の家族とお寺で別れる間際『今までみたいにしょっちゅう会うことまたなくなるね。じゃ!元気で。そのうちまたみんなで会いましょう』と弟と握手をしました。

夜はハナゲン父のリクエストで『普通のカレー』人参ジャガイモ玉ねぎ豚肉入り。こういうの作ったの10年ぶりくらいかも?たまにはいいですね。今日まで一陽ちゃんはお休みです。ハナゲン父は近くで学会に出ていて午前中で終わるみたい。午後から2人でちょっとお出かけしてきます。お天気もいいし少し遠出するらしい。何か美味しいもの食べようっと。。。では行ってきます!
☆一陽からのお返事はコメント欄にて☆