だったかな?ミュージカル『SEMPO』の主題歌の出だしの歌詞なんですが…
そらちゃん。。。リトアニアは遠かったよ。
そうそう、主題歌初め挿入歌は全て中島みゆきさんのオリジナルでした!
一昨日は千秋楽でした。お友達とランチをして観劇&出待ちなんて思っていたのですが
水曜に母の検査が入ったので研修を火曜日に変えてもらって午前中は出勤しました。
(結局友達も仕事が入ったということで『リトアニア』で会いましょうと約束をして)
無事に研修を終わらせて
日本脱出!!!と行くはずが。。。
まず新宿駅でK王新線に乗り換える時飛び乗った電車が逆方向(アセ)
あーーーーばかばかばか・・・ロスタイム5分ほどこの時点で開演まで20分を切る。
それでも無事に劇場にたどり着き。。。
ロビーで友達と無事に会えていざ劇場へ。 と行くはずが
チケットがない!!!!
バッグのチケットホルダーから出した覚えがないのに何処にもない。
(あるのは事務所に申し込んだ時の申込用紙と振込依頼書の控えのみ)
悠生ちゃんがかつて言っていたみたいにチケットは携帯に撮っておくべきだったか。
泣きそうな顔で立ち尽くしているとさえちゃんの事務所の方が通りかかる。
『一陽さん大丈夫です。お席が何処だか記録がありますから、ちょっと待っていて下さい』
と直ぐに手書きのお忘れ券を発行して下さる。でもね、どこの劇場でも同じだけど
万が一チケットを持ってそこに座っている人がいたらこのチケットは有効にはならない。
従って開演5分前までは中に入れません。友達には先に入って貰いひたすら待ちます。
劇場の入口がリトアニアとソ連の国境のように見えてきました。
私はビザの発給をまつユダヤ人か・・・
劇場のチケットもぎりのお姉さんが杉浦千畝に見えてきました。

『お待たせしました一陽さん、さあ急いで!!』
『ありがとうございます。感謝します』
席に着いたと同時に開演のベル!
無事リトアニア到着。
SEMPO千秋楽 素晴らしかったです。
杉浦千畝、国策に背いてまで何の利益もないのに何千人のユダヤ人を救った日本人。
彼のような人が今の日本の政治の舞台にいたら…いや、きっと彼も白洲次郎のように
凄いことを成し遂げているのに決して表舞台には出ず、でも何よりも日本を愛する
そんな人だったに違いありません。晩年は鎌倉で静かに暮らしておられたそうです。
今まで杉浦千畝の存在を知らず、吉川さんのファンだったという事で劇場に足を向けた
若い女性の心にも何か響いたかなぁ。吉川さんの最後のご挨拶が可愛くて素敵でしたよ。
そして。。。出待ち。
ゾクゾクと出演者が出てくる中で最後から2番目に出てきたのが吉川さん。
その直前楽屋口に横付けされたのは、、、真っ黒なフェラーリ!!
ぶおーんと全面パネルが上がって(意味わかります?)ドアが開きました。
ファンの人たちの興奮は最高潮に!
しかし事務所の人が人垣の前にガードを作り
『これ以上一歩でも近づくと危険ですから!!!』と叫ぶ。
で、吉川さん登場。 そのとたん事務所の人の声はかき消される!
キャーーーーーーーーーーーーーー!!!!
吉川さんあっという間に車中の人となりぶおおおおおおおおんと消えていきました。
その直後、、、さえちゃん登場。
例によって静かに一列に待つ私達。儀式のようにお手紙やプレゼントを渡しさえちゃんの『どうもありがとうございました』と小さな声を聞き漏らすまいと耳を澄ませ。。。楽屋口横のエレベーターから別の場所へ移動すると思われるさえちゃんの後を静々歩きエレベーター前に再び整列!無言で手を振り合う私達。きっと吉川さんファン達には私達も奇怪な集団に見えたことでしょう。。。笑
JRの入口で友達とまた劇場でね。。。とお別れして湘南新宿ラインに乗った時はまだ幸せな気分。気持ちとしては船旅でのんびり日本帰国と行きたかったけれど現実は厳しいなぁ。。。
一駅過ぎたところでパパの病院から呼び出し電話。
電話を取るべく途中下車。なんとそこはパパの病院の最寄り駅に乗り換えたら一つという駅。
なんだか面倒な内容なので『今から行きます!』ということに。

結局先生とお会いするまでちょっと時間かかったこと。
パパの様子が少し心配なこと。
翌日の朝早くママの病室へ行かなければならなかったこと。
で初めて病院の家族控え室にお泊りしました。
ベッドとエキストラベッド用のソファがあるだけのガランとした空間。
これから何度ここに泊まることになるんだろう、
なんて思いながら眠りに着きました。
でも3時に目が覚めちゃって4時半にはパパの病室へ。

夜明けから少したった病室からの風景は都会そのもの。
目が覚めたパパはしきりに『水』と言う。呼吸器官に入ると危険だから氷を口に入れてあげます。
7時半ナースさんに後をお願いしてママの病院へ移動。
急遽カテーテルで検査を受けることになったママ。実はずっと怖がって拒否していました。それが何で急に受けることに同意したかというと不思議な出来事があったのです。私がカテーテルをやる医師ですがとやっていらしたドクターの顔にどこか見覚えのあったママ、思い切って聞いてみたそうです。『お母様のお名前は○○○さん?』『はい、そうです、あ…』
なんと20年ほど前にお互いの転居で音信不通になってしまった親友の息子さんでした。
ドクターは早速翌日嵐のような天候にも関わらず病室にお母様を連れてきて下さって。
それで昨日のカテーテル検査になったのです。
検査の前に例のドクターが挨拶に見えました。一陽ちゃんはぺこりと頭を下げ『ハジメマシテ』
するとドクターは『いえ、初めてじゃありません。僕が小学校5年位の時にお会いしてますよ』
そんなこと言われたって覚えているはずがない。研修医の若いお2人がニヤニヤしてます。
『先生、何十年か前かは仰らないで下さいね。わたくし年齢不詳ですから。。。』
と和やかにその場は過ぎて母はやがて手術室に運ばれていきました。入口で
『いってらっしゃい』と声を掛けると母は『さようなら!』だって、何処まで憎まれ口叩くのやら。。。
まったく!!
でも無事に1時間半後には病室にご帰還。ちょっと前に到着した弟に後は任せて。。。
ダッシュで。。。今度はポチの学校へ!

東海道でおにぎりをぱくついて。。。やがて爆睡!
気がついたらO船。。。で飛び降りる。しかし。。。
始まる時間を間違えていた一陽ちゃん。30分も前に海辺の町へ。
ま、遅刻するよりはいいけど、じじちゃんすれ違いでゴメンね。
何しに行ったのかというと本年度の年間授業計画を親に説明する会出席の為。
普段親らしいこと全然していなからねぇ。。。といってもコレに一陽ちゃんが
出たところで勉強するのはポチだし、成績があがるわけではないのだが。。。
開口一番先生が仰る。
『あいかわらずですが、この学年は相当能力があるのに勉強しません!』
『ですからやる気に火が点けば爆発的にやるのではないかと思っております』
ううう、、、、やる気に火を点けるにはもうマッチやライターじゃダメだと思う。
いっそ
火炎放射器 とか が必要なのでは!!!!
単科ごとの先生からのご説明に移る。
問題の英語。。。『この本を真剣にやろうというブームが起きておりまして…』
『実物がコレです!』(白地に赤いストライプが鮮やかな本を提示される、、、)
『真剣に取り組んでいる子は表紙もぼろぼろになり中身を持ち歩いております』
『ですが、常に持ち歩き使い込んでオレンジ色の表が黄色に薄れるほどやって欲しいです』
『お母様方、この本をご自宅で綺麗なまま見かけるということはマズイです。。。』
『はぁ、、、』
久しぶりに行ったというのに海も見ずに帰ってきちゃったよ(泣)
二日ぶりのおうちでのご飯(簡単にねぎとろ丼にしちゃいました)
今朝。。。ポチが出かけたあとスパイクやら教科書が出しっぱなしのところを一所に移していたら。。。見覚えるある白い表紙に赤いストライプの本が。うーーーむ、くだんの本だわ。
しかも
新品同様!!!
おのれ。、。。。。。ポチ!塾へ行きたいだと。。。
その前にこの本を擦り切れるまでやってみろおおおおおおおおお!!!!
塾や予備校はそのあとの話だ(怒)!
というわけで本日はママの病院&遅番です。
夕ご飯は久々、鳥のさっぱり煮を作りました。
ではいってきまーす。。。。
(英語の本を机の上にこれ見よがしに置いたのは言うまでもない。)
ポチの英語も諦めなければ道は開ける???
やることやらなくちゃ。。。志望校のビザは永久に発行されないよ!
☆一陽からのお返事はコメント欄にて☆