追悼碑のある庭のお隣の家を「ほうせんかの家」と名づけ開放しています。  ● 毎週土曜日  13時から17時まで。  ● 順次、お料理を作ったり、映画をみたり、イベントを組みます。参加をお待ちしています。  訪問される方は、当ブログの予定をチェックして、来てください。 尚、日程が合わない方は、事前に申し込んでみて下さい。誰かが、あなたの都合に合わせれるかもしれません。  お待ちしています。   ===⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒   .   .   .   .   .   .   .   .   . 「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会」のホームページも 参照下さい 「追悼する会の来歴など」や、「震災時の事件について」詳しく、わかり易く紹介させて頂いています。是非、立ち寄ってみてください https://housenka.jimdo.com
2021/10/9 | 投稿者: minmin

2021年9月4日
追悼式での追悼の歌

歌う朴保(パクポ)氏、キーボード 柴田エミ氏、サックス S wing MASA

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2021/10/9 | 投稿者: minmin

関東大震災98周年 
韓国・朝鮮人犠牲者追悼式 ご報告


    
 数日雨が降り続いた荒川河川敷は、9月4日の朝も水がたまり、ぬかるみでした。
当日朝のほうせんかブログには「主催者のみにて、縮小して行います」としました。8月末には新型コロナ感染症の猛威が止まず、混雑を避けるため追悼式当日は追悼碑訪問を中止とし、追悼式への参加も慎重に検討をとSNSで発信しました。
そういう中で、140名程の方が2021年の追悼式をご一緒下さいました。雨と足下の悪いなか、ご参列ありがとうございました。
 この荒川河川敷での追悼式は、1982年以来、40回目となりました。主催を代表し落合博男からご挨拶しました(後に掲載)。

 朴保さんの追悼の歌は、祈りのようでした。「もし川が話せたら」「雨に咲く花」そして、「ほうせんか」を歌って下さいました。柴田エミさんのキーボード、かけつけたSwing MASAさんのサックスが、さらに深みを増してくれました。
 
 続いて、今年はパクウォンガンさんにお話しいただきました。パクさんは、追悼碑ができる前から追悼式に来られ、毎年追悼式の準備にも駆けつけて下さり、9/4も雨のなかテント張りなどを共に行ってくれました。在日外国人として一番早く1980年に、東京の公立中学校正教員として採用された方です(後に掲載)。

 最後に、関東大震災中国人受難者を追悼する会の川見一仁さんから、中国人犠牲者のご遺族のメッセージを代読いただきました(後に掲載)。中国人遺族は2013年にはじめてこの追悼式に参加され、以後毎年メッセージをいただいています。

 今年も小池都知事は朝鮮人虐殺犠牲者に対し、追悼辞を送りませんでした。オリンピック・パラリンピックを開催しながら、自国のジェノサイドに向きあうことをせず、再発防止のメッセージも都知事は発信しないのです。
 しかし、そのことを新聞各紙やネット上の論説が多く取り上げ、コロナ禍で追悼式への一般参列が難しいなか、9/1も今日もIWJさんがインターネット中継をして下さる等、虐殺事件を忘れない、なかったことにしない努力を重ねて下さっています。私たちも、長らく品切れだった『風よ 鳳仙花の歌をはこべ』を増補新版で出しました。今日の追悼式を含め、こうした努力が98年たっても公的に謝罪も追悼されることもない、無念の犠牲者へのせめてもの追悼になることを願って追悼式を終了しました。

 今日の追悼式準備は、水たまりの水をかい出しスポンジでとることから始まりました。
40回の市民による追悼式は、会場を設営し、運営し、見守って下さる方々なしには行えませんでした。支えて下さる仲間の皆さんに、心より御礼申し上げます。そして、9/4は参加を見合わせるという形で、追悼式運営にご協力下さった多くの方々にも感謝申し上げます。どうにか事故なく無事に追悼式を終えることができました。各地から、お花代やジュースやメッセージもありがとうございました。
 ぜひ若い方々が、追悼事業を引き継いで下さることを願って今年の報告とします。
                               

     
主催者挨拶

1923年の関東大震災の時、日本の軍隊・警察・流言蜚語を信じた民衆は韓国・朝鮮人を虐殺しました。
当時、朝鮮は日本の植民地でした。そのためこの事件の真実の解明は日本政府によって徹底的に弾圧されました。事件直後に朝鮮人による調査が行われましたが、日本国内で発表することは禁じられました。
この調査をした方々の一人である崔承萬(チェスンマン)氏は解放後にこう書いています(『極熊筆耕』1970年、原文は朝鮮語)。「『亀井戸(ママ)虐殺事件』亀井戸署に働いていた羅丸山(ナハンサン)氏が目撃した話だ。『私は八六名の朝鮮人が銃と剣で切り殺されたのをこの眼で見た。九月二日夜から九月三日午前までに亀井戸警察署錬武場に収容された朝鮮人は三〇〇余人になっていた。そしてその日の午後一時ころに騎兵一ヶ中隊がやって来て同警察署を監視していた。その時、田村という少尉の指揮のもとで軍人どもはみんな錬武場になだれこんで来るや、三人ずつ呼び出しては錬武場入口で銃殺し始めた。すると指揮者は銃声が聞こえれば付近の人びとが恐怖を覚えるだろうから、銃のかわりに剣で殺してしまえと命令した。それから軍人どもは、一斉に剣を抜いて八三名を全部いっしょに殺してしまった。この時妊娠していた婦人も1人いた。その婦人の腹を裂くと腹の中から赤ん坊が出てきたが、赤ん坊が泣くのでその赤ん坊まで突き殺してしまった。殺された人の屍体は次の日の明け方二時、貨物自動車に乗せてどこかに運んでいった。その外の人達もみんなどうなったか知るよしもない』と話した。殺された人の姓名と本籍は全部を知ることはできなかった。ただ何人かの分だけ知ることができたという。朴庚得(パクキョンドク)(二四)京畿道開城郡長瑞面九下里/金在根(キムジェグン)(四四)全南順昌郡豊山面年昇里/趙妙城(チョミョソン)済州島大静面仁城里(妊娠していた女性)/趙正洙(チョジョンス) 右に同じ/趙正夏(チョジョンハ) 右に同じ」
この証言は、加害者・被害者(の一部)の名前が明らかにされている、とてもまれで貴重なものです。私達が1980年代に行った調査では犠牲者の名前にたどり着くことはできませんでした。しかし異郷の地で殺された方々を「ていねいにお弔いしたい」という証言者の気持ちをうかがうことはできました。そして多くの人達の協力を得て、2009年に荒川河川敷の土手下に、追悼碑を建てることができました。また追悼碑の横の家をミニ資料館として開放しています。
 さて、戦前の日本では植民地であった朝鮮の人達の人権が認められませんでした。では今の日本社会はどうなのでしょうか。今の日本政府は、日本が侵略戦争をしたことや、台湾・朝鮮を植民地支配したことを反省していません。また日本社会はアジアの若者を技能実習生という形で安い賃金で働かせています。名古屋入管局のスリランカ人女性の死をみても日本政府の人権無視は明かです。また朝鮮高校への授業料無償化からの排除が続いています。「拉致」に無関係の高校生への差別はやめるべきです。また横網町公園の「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」へ小池東京都知事が追悼文を送らなくなってから四年にもなります。墨田区も同様です。本堂でのすべての犠牲者の慰霊で足りるというのは、自然災害と人間による犯罪を混同する悪質な考えと言わざるを得ません。このような態度は「慰霊」に名を借りてヘイトスピーチを行う人たちを力づけるものでしかありません。
強く抗議します。
 ご参列の皆さん、多民族が共に生きられる社会をめざして、これからも共にがんばりましょう。

2021年9月4日
関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会
一般社団法人ほうせんか


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大虐殺は決して繰り返してはいけない  パクウォンガンさんのお話

 私は在日朝鮮人で公立中学校の教員になり、今は退職して2年になります。
 この地は、関東大震災の時多くの被災者が橋の上に避難しておりました。その時、自警団の朝鮮人狩りが行われました。「朝鮮人はいないか」と朝鮮人を探し、朝鮮人を見つけるやその場で殺していました。見つけられる直前、荒川に飛びこんで生きのび、後に証言された方がおります。何人殺されたかわかりませんが、この方以外、橋に残った人は殺されたそうです。ほうせんかの方々の調査では、その後、他のたくさんの朝鮮人が河原に集められ、軍隊に銃で撃たれて殺されて埋められたという目撃証言が残っています。
 また、他の場所では、デマを信じて襲ってくる群衆から保護するという形で朝鮮人は警察署に集められたりしました。集めるために朝鮮人を連行している途中、「朝鮮人を出せ!殺せ!」と怒りに満ちた群衆の収まりがつかず、保護すべき警察官が何人かの朝鮮人を差し出し、群衆に殺させてしまったところもありました。
 保護された朝鮮人をもっと安全なところに、と、連行された集団がありました。しかし、何の罪も無い彼らの手は針金で縛られていました。彼らは遠く熊谷まで連行されましたが結局最後は民衆によって虐殺されてしまいました。
殺された朝鮮人の死体に、ある老婆と娘が「自分の息子は東京でこいつらのために殺された」と言って、死体の目ん玉をくりぬいていた。という証言も残っています。デマを信じていたんですね。
 どの証言を見ても、現在の私たちに取っては信じがたい蛮行です、想像するも恐ろしい虐殺がいたるところで起こりました。

 その後、犠牲になった、その人たちの御魂は報われたのかというと、何も報われていない。先ほど主催者側から犠牲者で名前がわかっている方の名前を言っていただきましたが、当時の記録をみると、中国人や日本人の犠牲になった人は名前はわかるのに、朝鮮人は「鮮人男□名」「鮮人女□名」と氏名不詳扱いにされてしまいます。これは何を意味するかと言うと、朝鮮人が死んだということをはっきりさせないためだと思います。当時、ほとんどの朝鮮人は身分証明書(渡航証明書)を持っていたはずです。
 そもそもどうして死体から朝鮮人だと分かったのでしょうか。1919年に起きた三一独立運動のあとでもあり、警察は常に朝鮮人の所在を把握していました。その記録を調べれば、犠牲者の氏名は分かるはずです。これは死者に対する冒涜であることは言うまでもありませんが、被害者が分からないのではなく、特定しないことにより、出来るだけ事件にしたくない、うやむやにしてしまいたい、朝鮮人にはそれが出来る、文句は言わせない、と考えたことの表れとみられます。植民地支配はこのような悲劇を生んだのです。
 それが、そのままになっている。何の罪もない人。地震で家の下敷きになって死んだわけでもなく、火事で死んだということでもなく、地震で生き残った朝鮮人たちを、デマによって「やらなければ、やられる」あるいは「復讐する」という気持ちで一杯になった一般の民衆、警察・軍隊が、朝鮮人と見れば惨殺したわけです。
 これをこのままにして良いんでしょうか、僕らの今の常識ではあり得ないことですよね。殺されたのは二人や三人でない、十人二十人でもない、百人でもない、千人でもない。はっきりとはわからないが、六千五百とか六千人台ではないかという民間人の調査が残っています。教科書などには「関東大震災と朝鮮人虐殺」とありますが、これは朝鮮人「大虐殺」と、「大」を付けた方が良いと私は思います。

 これだけの人が、何の罪もない人が惨殺されたんだという歴史、これはそのまま放っておいてはいけないんじゃ無いですか?この地であったことをきちんと、その人たちの魂を弔うというか、大虐殺が起きた原因をはっきりさせなければいけないと思います。それはここに集まられた皆さんも、同じ思いの方がたくさんいらっしゃると思います。
 何もしなければ本当にそのまま、報われない行き場の無い魂がたくさんただよった状態であったんですけど、きちんと正義を感ずる日本の方がいらっしゃる。ここに集まった方含めて、会を主催されている日本人の方々がその御魂を慰霊したい、と、自分たちの力でこういう会を立ち上げて、実際に慰霊碑まで作って下さいました。犠牲者の多く出たこの地に、毎年このように本当に簡略な、もうこの日しかない供養塔のようなものですね、この花が。今日も何人もの方が花を捧げて合掌されていました。けして立派ではないけれど、本当に気持ちのこもった美しい供養塔だと思います。ただ、式が終わるとすぐに撤去しなければならない。こんな感じで、今までずっと続いています。おかげで、御魂の人たち、少しは落ち着いていただけたのではないかと思います。
 残された在日朝鮮人は、皆さんもよくわかっているように、けして報われた状態が続いていない。今なおそうですね。植民地支配の時、日本人として軍隊に行った人も何万人もいる。戦争が終わって、日本が独立して、傷痍軍人になった人、腕がない人、目が見えなくなった人、足がなくなった人。本来ならそういう人には国は恩給などしなければならない。ところが日本の国は、そういう人たちを日本国籍がもはやないとして、何の補償もしませんでした。
 私は小さい時、傷痍軍人の人が地下道とかで、白い服を着て帽子をかぶって、膝をついて手をついて、ずっと土下座をしている、そういう方を何人もみました。朝鮮人が多かったと思います。何の補償もない。それは今でもそうです。
 先ほど主催者から高校の朝鮮学校の話が出ましたが、高校も小学校、中学校も保育園も、現在補助金をみんなカットされていますよね。朝鮮人にはあげない。という差別をしている。今朝鮮学校の女生徒は通学でチマチョゴリを着て歩けないんですよ。知っていましたか?今の日本、東京で。皆さん20年位前までは、ふつうに朝鮮学校の子がチマチョゴリを着て歩いているのを見ていましたよね。今は見ませんよね、歩けなくなってるんですよ。
こんな状態ふつうじゃないでしょう。今の日本は自分の民族衣装を着て歩けない社会なんですよ。これで良いんですか?良くないですよね。どうにかしなければならない。
 朝鮮人への差別が未だにたくさんありますが、私はその差別の大きな根は関東大震災時の朝鮮人大虐殺にあると思います。原因や犠牲者、デマがどのように起きてどのような結果をもたしたか、を、しっかり調査し事実を明らかにし、非は改める。それがこのような悲劇を二度と起こさない大切な取り組みです。ところが国はいまだに調べようともしない。都合の悪いことはしっかり明らかにしない。うやむやにする、なかったことにする。そういう姿勢が続いています。
 大震災後、デマ情報を新聞が大報道し、日本中に朝鮮人に対する差別感を敷衍(ふえん)しました。その影響が今日まで続いているのです。報道機関がきちんと調べて誤りの原因を明らかにし、きちんと訂正して報道していないことが、今日のレイシストを生む原因の一つになっていると言えます。今の社会は朝鮮人を差別して無視して、今までの悪いことをしたこともなるべくふれないようにする、そういうような人が上に立っていると見えます。そういう人は、結局は自分の国民にもそういうことをする事になるのではないですか。最近の政治をみていると。そう思いませんか。正義をきちんとする、ここに集まった方、会の方のような人が主体になるような、根幹になるような国に変えていっていただければと思います。日本の国が正義を大切にする国になる、大切なポイントとなると思います。
 私たち在日朝鮮人には未だに選挙権もありません。税金はちゃんと払っていますよ。うちは日本に、東京に、四代いますよ、私のおじいちゃんの時から。それでも選挙権も認めない。だから我々は社会に声を出せない。権利を主張するすべを奪われている。本来なら、自分たちの代表を議会に送って、自分たちにあった、我々のことも考えた法律を作るべきなのです。税金を払うものが選挙権を持つのが民主主義の基本です。ところが朝鮮人は常にそこから除外されている。こういう社会で良いですか?ずっと隣近所に住んでいる人間にそういう権利を与えない、関心も持たない。それで良いでしょうか。
 その結果どういう事になるかというと、私はパクと名乗っていますが、いまだに「日本語がお上手ですね」「いつ日本に来たのですか」と聞かれます。最近は答えるのも嫌になってしまっています。どれだけ在日朝鮮人を無視しているのかと。普通の人が在日の存在すらわからない。だからたまにパクと名乗る人と会うと、外国から最近来た人と思ってしまうんですね。それぐらい無視が広まっている。
 
 思いがたくさんありまして、長くなってすみませんでした。
 私がここで言いたいのは、ここにこうして大勢集まっていらっしゃる日本の方に、会の方に本当に感謝したいと言うことです。以前はここに来て、慰霊になればと思って、私は一人で自分の楽器を使って朝鮮の民謡を一人で吹いたりしていました。今はこうやってたくさんの人が集まり、日本の仲間の人たちと共に慰霊ができます。正義をきちんと愛する人たちが集まっていることを、本当に感謝します。どうもありがとうございました。



 
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2021年関東大震災から98年 
韓国・朝鮮人犠牲者追悼式 ご挨拶
   1923年関東大震災下で虐殺された中国人受難者遺族聯合会(準)

       
朝鮮の友人の皆様、ご参列の皆様
 明日5日に私たちは“関東大震災中国人虐殺98年 中国人受難者追悼式”を開催します。本日、今から98年前、日本の関東地区で故なく虐殺された中国人労働者の先輩並びに朝鮮人犠牲者の先輩を偲び、受難者遺族として先輩の皆さまに対する深い哀悼の誠を捧げます。
 新型コロナ感染症の故に私たちは受難の地に赴き、関連行事に参加することはできませんが、私たちは故なく被害に遭った先輩の皆様方をこれまで忘れたことはありませんし、王希天烈士も忘れたことはありません。
 98年前、日本の関東地区にマグニチュード7.9の大地震が発生し、地震は膨大な人的被害、経済的損失をもたらしただけではなく、さらに一部の日本軍国主義暴徒に、罪のない中国人労働者を虐殺する口実を与え、世界を震撼させる虐殺、いわゆる“東瀛惨案(とうえいざんあん※)”を引き起こしました。当時東京で働く700名以上の温州・処州(青田)等から来た中国人労働者と6000名余の朝鮮人が日本軍国主義暴徒によって計画的に虐殺されました。
 王希天(おうきてん)は震災を生き延びたものの、中国人労働者の救済事業と虐殺事件の真相究明のため、尊い命を捧げました。虐殺されたとき、わずかに27歳です。王希天烈士の民族屈辱の時代における救国思想の探究と、同胞が危険な目に遭っている時に身を挺して発揮した何事も恐れぬ精神は、私たちが永遠に学ぶべきものです。
 私たちが、回顧するに忍びないこの歴史を改めて思い起こすのは、憎しみのためではなく、歴史から教訓を汲み取り、このような轍を繰り返さないためです。
 そのために、関東大震災虐殺事件殉難中国人労働者遺族として、以下の点を希望します。
1. 中日民間友好交流を推し進めることを希望します。関東大震災事件で故なく虐殺された先輩に哀悼を捧げることを機に、多面的多次元の追悼と宣伝を通して、歴史の教訓を深く心に刻み、日本社会が歴史を正視することができ、“歴史を鑑として、未来に向かう”との姿勢に基づき中日友好交流を進めることを期待します。
2. “関東大震災虐殺事件紀念館”(仮称)の建設に努力しましょう。紀念館は歴史を最もよく記録するものであり、日本社会にも、関連資料、遺物の収集し、資金の拠出などの努力をして下さることを希望します。
3. 日本社会全体が、積極的に歴史教科書に書き入れることを希望します。「関東大震災虐殺事件」から真剣に教訓を汲み取り、社会全体が本当に平和の尊さを感じ取って欲しいのです。
遺族として、私たちが今日推進している活動は、すでに狭い家庭の怨恨感情を超えており、公平と正義という抱負をもっています。友人のみなさん、いっしょに努力しましょう。
この発言の機会を与えてくださった追悼式主催者に感謝します。
  2021年9月4日
          
※ 東瀛=古来の日本の呼び方  惨案=大規模で反動的



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2021/9/12 | 投稿者: minmin

今年も追悼の花束を、河川敷に参加者みんなで作り上げました
会初期には、証言者の家族から花束が贈られてきました
近頃は、近所のお花屋さんに届けていただきます
何年になるでしょう
すっかり親しくなっています
今年はお花が高かったそうです
それでも、沢山のひまわりが際立っていました
菊は入れなけれど、スプレー菊が可愛かったから〜などと、いろいろ工夫してくださっています

庭への花など買うとおまけしてくれます
私も私的に利用させていただいています
働き者の奥様がニコニコしながら、五つ頼むとヒョイといくつも余分にくれるのです
嬉しくて、今年はお花をどう飾っているのか写真を見て貰いました
マアキレイに〜〜って、喜んでくれたの

会からの挨拶をする落合
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参加者が一本づつ手向けますクリックすると元のサイズで表示します

パクポ、柴田エミ、Swing MASAによる追悼の歌
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日本の中学で長い間教師を続けて来た朴氏からのお話
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