2005/7/4

好き好き大好き超愛してる。  ぶっくデイズ


相当遅ればせながら
舞城王太郎さんの「好き好き大好き超愛してる。」を読みました。
ひつじはあまり小説は読まないのですが、
なんやかんや云って舞城王太郎さんの小説は、
「世界は密室でできている。」以外は全作読んでいます。

最近の小説の傾向なのかもしれませんが、
舞城さんにしろ、乙一さんにしろ、
人が刺されようが、
手足を切り刻まれようが、
眼球や内臓が流出しようが、
生きたまま食べられようが、
それから生じる「痛さ」を感じとることがありません。
何ででしょう。
血が噴き出している描写があってもちっとも痛くないし、
かわいそうという気持ちにもなれません。
ストーリー上のとてもささやかな出来事として
淡々と読んでしまいます。

表題の「好き好き大好き超愛してる。」は
好きで好きでどうしようもなく愛している女の子に死なれちゃう
男の子の話を集めたオムニバスですが、
これらも取り残された男の子の心の痛みが全く伝わってきません。
悲しい話のはずなのに全然泣けません。

同時収録の「ドリルホール・イン・マイ・ブレイン」は
暴漢に頭をプラスドライバーで刺された男の子が
2つの人格を持ってしまうお話で、
やっぱりいっぱい人が死んでゆくのに
悲惨な感じがまるでありません。

結局他人の痛みは他人のもので
その痛さの度合いはその人しか判らないから
気持ちは察することができても、痛さまでは感じることはできない
ということでしょうか?

確かにひつじにもそういう
人に傷みがよく判らないところがありますし、
して善いこととして悪いことの区別がはっきりせず
モラルに欠けているなあと思われるところがあります。
でも、それは、個人的な事柄ではなくて
世の中全体が平和すぎてそういう方向に向かっているから?
一家皆殺しなんてもうそう珍しいことでもなくなってますしね。
経済新聞は朝からスポーツ紙に載るような
H小説を臆面もなく載せていますし。

不倫や監禁が純愛に様変わりしたように
小説に描かれるモラルも徐々に何かが変化している様に思えます。
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