2011/4/4

たいていのことはすぐ傍にヒントがある  ぶっくデイズ

この週末に読んだ本にあった言葉ですが、妙に腑に落ちたのでちょっと抜粋します。

「僕らみたいなもんでも、自分のつくってるものが少しは語り継がれたらいいなと思う部分があるんですよ。(中略)人はある種の気付きや教えみたいなものがどこかにないと、伝えていこうっていう気を持たないんですよ。特に実生活者は。親に喰わせてもらっている人たちは、真摯な生活の厳しさを感じてないから、ちょっとしたことでもワーッと騒いで飛びつくけど、一家を持ってたり、会社をやってたりっていう人は、気付きや教えがないとそうは読んだり買ったりしないですよ。」
稲川淳二・平山夢明「怖い話はなぜモテる」

このところこの「気づき」という言葉をしばしば目にするようになりました。

私にとってはかつてのザ・プラン9作品はそういう「気付き」のある作品でした。
(まあ、それは一種の思い込みだったのかもしれませんが)
残念ながら今では殆どそれが感じられません。

加えて、同じ本からの抜粋
「気付きがなく、ただ単に一発芸みたいな怪談だと、いくら毎回新しいネタを発表したとしても、いつかは飽きられてしまうものですよ。」

まあ、お笑いにとってはあってもなくてもかまわないものなのかもしれません。

しかし、以前久馬さんはご自身のブログで
狂言「墨塗」「歌仙」をご覧になったおり
「作者も、この時代まで披露されているコトを知ったらさぞ喜ぶことだろう。彼にもそういった作品を残して欲しいモノだ。」と、書き残しておられます。

そのために何が必要なのか
それが今後の作品にどのような形で現れるか
既に現れているのであればファンはもうその変化に気がついているのか
気になるところです。

でも、手っ取り早く「残す」のであれば
大川興業がここ数年
独自で発表している「暗闇演劇」を
早々に商標として登録してしまったように
「月刊コント」における
「複数の芸人の複数のネタを最後に1つのコントとしてまとめる」
というスタイルにちゃんとした名前をつけ
確固たる「(お笑い)用語」として確立させれば
間違いなくそのスタイルの第一人者として
後世に名前を残すことができますよね?

「月刊コント」「久馬歩プロデュース」
ないだけに留まらず
このスタイルをもっと外に向けて発信すればいいのに…。
(久馬さんを意識した上で
真似してくれる作家さんが出てくるとなお良いのですが…)














(追記)
http://yell.yoshimoto.co.jp/

後何年かかるかは判りませんが
今回の東北地方太平洋沖地震の記憶が
薄らぐほど復興したときに
他の人のエールは
誰が何と書いていたのか
すっかり記憶から抜け落ちていることでしょう。
でも、松本さんのエールだけが
きっと記憶のどこかに残っていることでしょう。

「笑い」で爪痕を残すには
やはりそれなりの覚悟がいるようです。








ところで

神保町花月「POLI袋」のチケット払い戻しって
結局どうなってるんだろう?
「仇男」のときも払い戻しがあったけ
払い戻しって案外手数料分とかは含まれないので
なんか損した気分になるんだよなあ。
この際だから、払い戻してもらう代わりに
義捐金として寄付してもらうことになってたりして。

と、思っていたら
半分ほど当たっていて吃驚。

ま、チケットは買ってないですけど。

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