テレビ朝日系新春スペシャルドラマは『
白虎隊』なんですね〜
2007年1月6日・7日 2夜連続
主役の白虎隊士
酒井峰治を山Pこと
山下智久くん。
会津藩主 松平容保を
東山紀之。
会津藩家老 西郷頼母を
小林稔侍。
頼母の妻 千恵子を
浅野ゆう子。
切腹し
唯一生き残った隊士飯沼貞吉を
崎本大海。
〜白虎隊とは〜
慶応4年(1868年)、
鳥羽伏見の戦いにより
戊辰戦争が勃発。
会津藩は
旧幕府勢力の中心と見なされ、新政府軍の仇敵となります。ちなみに
新選組も・・・
白虎隊は本来は予備兵力です。年齢は
15〜17歳の武士の子。
新選組
土方歳三は時折、白虎隊の少年達と話をしたりして士気を上げていたそうです。
会津藩では
若松城(鶴ヶ城)を死守すべく若松へと至る街道口に主力部隊を展開させて防備に努めたが、圧倒的な物量で迫る
新政府軍に対しては劣勢は否めず、本来城下防衛の任に当たるべく組織された
白虎隊もこれを支援する形で前線へと進軍します。少年兵の投入が焼け石に水なのは誰もが承知のことであったが老若男女が玉砕覚悟で臨む戦局にあっては是非もなく、
白虎隊は各防衛拠点へと投入されました。
しかし会津軍の劣勢は如何ともし難く、
白虎隊も各所で苦戦を強いられます。なかでも最精鋭とされた士中隊も奮戦空しく撤退を余儀なくされます。このうち一番隊は藩主・松平容保護衛の任に当たりましたが、二番隊は戸の口原で決定的打撃を受けて潰走し、戦死者も少なからずあり、負傷者を抱えながら郊外の
飯盛山へと落ち延びました(この間庄田保鉄ら隊員数人が農家で草鞋を貰い受けている間にはぐれた)。でもここから眺めた戦闘による
市中火災の模様を
鶴ヶ城が落城したものと誤認し
総勢20名が自刃。
一命を取り留めた飯沼貞吉(のち貞雄と改名)を除き
全員死亡します。他の隊も市街戦や籠城等の末、戦力としては壊滅しました。
途中はぐれた庄田保鉄らはその後、鶴ヶ城に入城し、士中一番隊の生存者とともにと白虎士合同隊となって、西本丸を守りました。
飯沼貞吉が生還し記録を残したことで、皮肉にも
白虎隊の最期の様子が現在に伝わっています。1931年に79歳で没した飯沼の遺骨の一部は、遺言により
飯盛山に眠る同志と
同じ場所に埋葬されました(但し、飯沼が生き残った事に対し「
武士としての最期を遂げず生き恥をさらした」として非難する向きもあり、飯盛山の墓は他の隊士の墓から距離を置いて建てられています)。
急造の兵力ゆえ戦局への影響力はさしたるものではなかったが、にもかかわらず主力隊が終始一貫して組織的戦闘行動を取れていたことは特筆に価すると思われます。
まさに滅びの美学というのかな。

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