当時の人からみたトシ様第2弾。
今回は容姿ではなくどんな人間性か・・・的なものをチョイス♪
中島登:新選組隊士
*新選組隊士の錦絵を描いた人で歳三をお母さんと言っちゃった人(笑)
・長ズルニ従ヒ温和ニシテ人ノ帰スル事赤子ノ母ヲ慕フガ如シ
・数兵ヲ卒テ猛虎ノ群羊ヲ驅テ荒走スルガ如ク当世ノ豪傑ト謂フ可シ
(土方)公ヲ慕フテ来会者凡(およ)ソ二千人皆仙(台)ノ城下ニ宿陣ス
*元からの新選組隊士25名に桑名・唐津・備中松山藩の兵と伝習隊士を加え新選組は約120人の勢力となって榎本艦隊と共に蝦夷地へ北走する。これが函館新選組
・退京の後奥羽に英名をとどめ蝦夷島に渡りしばしば美名を顕す
仙台藩士
斗しょうの小人
(器の小さい人)
福地桜痴
人との応対に抜け目なく如才ない男で少し気障なところもあった
桑名藩士:森弥一左衛門
人なり剛直、明敏にして英才は人に長ず、惜しきや慈母に似たり
榎本武揚:蝦夷共和国総裁
・是土方君ノ力也
*土方が指揮をした蝦夷二股口の戦いに於いて、新政府軍(官軍)は近代連発銃装備の大部隊で進撃開始。其れを単発銃(ミニエー銃)装備の土方率いる小部隊が阻止した。因みに土方が率いる部隊は陸では一度も負けていないのである。
・総督の任にあたる人は私が同行いたした土方歳三を於いて他にあるべくは覚えません
旧幕府軍の兵士達
常勝将軍
立川主税:新選組隊士
・函館ハ只土方兵ヲ引率シテ一本木ヨリ進撃ス、土方額兵隊ヲ曳テ殿ス
・土方氏常に下万民を憐れみ戦に出るに先立ちて進みし故に士卒共に勇奮うて進む故に敗をとることなし
島田魁:新選組隊士
*戊辰戦争からは常に土方の傍で戦った。宇都宮で土方が足の甲を撃たれた時島田は背負って退却したとも。函館に於いては新選組本隊とは別行動の土方の守衛隊として戦った。土方の死後は土方の戒名を書いた紙を生涯肌身離さずにいた。明治になってから榎本武揚に明治政府に仕えないか、一度東京に出て来て欲しい等の誘いを受けたが、島田は「用があるなら其方から参られよ」と会わなかった。剣術を教えたり新選組の屯所でもあった西本願寺にて警備をする。彼のお葬式には永倉新八も高齢ながらもやって来た。
既に(一本木関門の官軍を)破り異国橋近く殆ど数歩にして官軍海岸と砂山とより狙撃す。数人倒る、然るに(土方は)撓(たわ)む色無し。巳に弾丸腰間貫き遂に戦没。
依田学海
・函館に於いて諸武士は皆喜びの声を上げ酒に酔い痴れ歌を唄うなどの狂態を尽くす中、歳三独り粗末な菜食に甘んじ婦人を近づけず、今はその様に騒ぎ浮かれる時ではない、じっとこらえて決戦に備えるべきであると云った
・其言質実、絶えて誇張を事とせず蓋(けだ)し君子人也。
(土方の話は飾り気なく真面目で少しも誇張しない。まさしく君子ともいうべき人だ)
・極めて壮士なり、敬すべく重んずべし
小島為政
沈毅にして事に耐え寛裕にして物を容(い)る。
(落ち着いて物事に動じず対処し心が広くゆったりしていて物事を聞き入れる)
橋本政直
・資性沈毅頗る大度あり、喜怒色に顕れず
・義豊(歳三の諱)多く書を読すと雖(いえど)も将帥の器備わり用兵の法蓋し天性に出
続く・・・

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