1868年5月30日(旧暦)
新選組副長助勤 一番隊組長沖田総司房良 藤原春政
労咳により27歳で病没。
25歳説もあるようです。
新選組の中でも1,2を争う剣の使い手だったようですが戦いの中ではなく病で死ぬと言うのは武士にとってとても辛い事だったのではないでしょうか・・
常に大勢に囲まれていたのに最期はたった独りで逝ってしまいました。
有名な
エピソードとして
黒猫のお話があります。
その猫が毎日のように総司の潜伏先の庭先に現れ何をするでもなく総司の方を見ているのです。総司が愛刀を抜き猫に向けても猫は動じませんでした。
それをみて総司は
自分の剣気が無いことを知り死期が近い事を悟ります。
そして30日夕刻誰にも看取られること無く亡くなりました。
床から抜け出し縁側の傍で倒れていたとも伝わってますが・・・
哀しいです。
近藤勇が捕まり、処刑された事を知らずに居たようです。
辞世の句(?)
動かねば闇にへだつや花と水
豊玉宗匠(土方歳三)の
さしむかう心は清き水かがみ
の返歌とも言われていますが、定かではないようですね。
戒名
賢光院殿仁誉明道大居士
土方歳三氏の戒名
歳進院殿誠山義豊大居士
近藤勇氏の戒名
貫天院殿純忠誠義大居士
近藤さんの戒名は
会津中将容保侯に頂いたようです。
沖田総司・・・
沖田みつさん
言わずもがな、総司の姉上です。大河では沢口靖子さんが演じていました。↓

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