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2019/1/14  12:02

主権の象徴としての憲法  自然(エッセイ)
 友人に教えていただいたのですが、ポーランドに5月3日憲法というのがあります。
 ポーランドの憲法記念日も、日本と同じ5月3日なんです。

 1791年スタニスワフ2世王が成文憲法案を議会に提出し、それが5月3日に議会で採択されたものです。

 直後にポーランド分割があったため、この憲法はポーランド人の主権回復闘争の象徴となったのです。

 「憲法は主権の象徴」です!

 それだから主権のない時代に作られた日本国憲法は、永遠に正統性を問われるわけです。

 昭和天皇と議会が認めても主権がなかったわけですし、直後の総選挙で自由党は惨敗し社会党政権が誕生しています。

 主権のある時代に作られた唯一の憲法が大日本帝国憲法です。

 日本の判例は大日本帝国憲法の時代からあるので、六法全書に掲載されないといけないわけです。

 改憲は主権回復をめざしたものなのですが、なかなか国民は実感を持てない。

 いっそのこと、「大日本帝国憲法と日本国憲法を融合させた憲法案」というコンセプトで、憲法学者に草案を作っていただくのがよいかもしれません。

 ヤッポランド ポーランド情報センター
http://japoland.pl/blog/%E6%86%B2%E6%B3%95%E8%A8%98%E5%BF%B5%E6%97%A5%EF%BC%885%E6%9C%883%E6%97%A5%EF%BC%89konstytucja-3maja/

ポーランドの憲法記念日(5月3日)

 偶然にも日本と同じく、5月3日はポーランドの憲法記念日です。ポーランド語ではŚwięto Narodowe Trzeciego Maja(シフィエント・ナロドヴェ・チシェチェゴ・マヤ)と言います。

 1791年スタニスワフ2世王が成文憲法案を議会に提出し、それが5月3日に議会で採択されました。これは成文国民憲法としてはヨーロッパで初のものであり、世界ではアメリカについで2番目です。

 しかしこの祝日もこの1年後の1792年にポーランド・ロシア戦争が起こり、その直後第2時ポーランド分割、1795年の第3時ポーランド分割のあと1918年にポーランドが独立してポーランド共和国となるまで、祝うことは出来ませんでした。1919年の4月24日、5月3日のこの祝日は議会で正式に国民の祝日と決定されました。第2次世界大戦後は1946年まで祝われていましたが、各都市で学生によるデモが行われていたために、その後社会主義政府によってこの日にマニフェストや集会を行うことが禁止されてしまいました。

 しかし1981年、戦後初めて政府はこの日に記念式典を開催。その後1990年4月6日に再び国民の祝日と認定されました。同年の5月3日の記念式典はワルシャワの王宮広場で行われ、ヤルゼルスキ大統領(当時)が出席しました。

 現在でもこの日には各地でパレードなど、様々なイベントが行われています。

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タグ: エッセイ 自然 未来

2019/1/13  23:34

大学3年の時にはじめて通学定期を買ってうれしかった  自然(エッセイ)
 やはり、高校を決めさせられる時に、母に言われた「交通費を使って高校に行きたいなんて図々しい、何様のつもりなわけ!」と言われたのが印象に残る。
 あの一言で、家にお金がどれだけないかわかったしまった。
 大学に行くのはあきらめたけど、高校卒業後何をするのか見えなかった。
 そして大学に行くのもあきらめきれなかった。
 大学1、2年は徒歩が大学のバスで通っていたが、3年になって家に帰りはじめて通学定期を購入した。
 今度は母も何も言わなかった。
 本当にうれしかった。

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タグ: 日記 記録 記憶

2018/12/21  22:09

父の「ならぬことはならぬ」  自然(エッセイ)
 父の「人の道に反することをしてはならない」は、会津の「ならぬことはならぬ」に通じるようにも思う。

 あの「ならぬことはならぬ」は、日新館の「什の掟」の最後にあるもので、決まりをきちんを守りましょうということだが、とにかく「悪いことをしてはならない」ということだ。

 父らしいといえば父らしい。

 あまり自分の哲学は語らなかったが、頑なに人の道を守ろうとしたのでしょうね。

 あらためて、「ならぬことはならぬ」と言うことだったのでしょう。

(会津藩校 日新館 什の掟)
一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです

※什により、一つ二つ違うところもありましたが(「戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ」はすべての什にあったわけではないようです)、終わりの「ならぬことはならぬものです」は、どの什も共通でした。

https://nisshinkan.jp/about/juu

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2018/12/20  22:43

父も祖父母の無礼に怒ったことがある  自然(エッセイ)
 こういうことは、よその家でもよくあることではあるのでしょうけど、正月に父は祖父母のあまりの無礼な言動と態度に憤り、帰りの車で「もう年始のあいさつには行かない」と言い出し、母が呆然となってしばらくの間、いろいろなところで懸命にとりなしていたことがあった。
 正直私は当時父がなぜ怒っているのかわからなかったが、積もり積もったことがあったのだろうと思う。
 ただ父は最終的には争いを好まない性格だったので、腹に据えかねることもすべて呑み込んでいた。
 そんな父は女性にひじょうに人気があった。
 私は子供だったのでわからなかったが、父はバブルになって変わってゆく祖父母に気がついていたのだと思う。
 そしていくら妻の実家とはいえ、深くつきあうことへの危険さを感じていたのだろう。
 そして父の危惧は祖父の死後に的中した。
 人の道に外れたことをしてもしばらくはうまくいく、祖父母にとっては父との友好関係が命綱だったのだ。
 それに気がつくのがあまりにも遅すぎた。
 父は、人の道に反することは決してしなかった。
 それは一見すると頑迷にも思えたが、今思うと正しいことだった。 

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2018/12/19  18:03

バブル時・・・父と私の地道さは親戚から馬鹿にされていましたね・・・  自然(エッセイ)
 祖父母の商売も別に生き馬の目を抜くようなことをしてうまくいったわけでなく、長い時間をかけて儲からない事業をやめ、儲かる事業を残していった結果、不動産業と書店が残った。そうしていたらバブルという特需がきただけ、地道に働いていたのを天が見放さなかった。

 だがバブルになり苦労しないでも儲かるようになった結果、何か考え方が変わっていった。
 しかし祖父は借金経営が嫌いであったので、商売を広げなかった。
 
 自営業の経営者は融資を受ける時に保証人にならないといけない、破産法は出直しを奨励しているにもかかわらず、実際には保証人になることでほとんど無一文となってしまう。
 祖父はその怖さが身にしみていたのだと思う。
 つつましい生活も変えようとせず、最後に自分たちの年金がわりの収入を生み出す中規模マンションを建てることに力を尽くした。

 しかし周辺は違った、時代の雰囲気は「生き馬の目を抜くようなことをして一儲けしよう!」・・・それがバブルの雰囲気だった。

 そういった中で、祖父母はあからさまに父の地道さを馬鹿にしだした。
 似たような考え方の私も徹底的に馬鹿にした。
 父は悩んでいた、自分としては祖父母に礼を尽くし良好な関係を保とうとしているのに、祖父母があからさまに馬鹿にした態度をとる。
 母に、「お前が変なことを吹き込んでいるから、お父さんやお母さんがあんな態度をとるんだ!」と、八つ当たりしていたこともあった。
 父が私の前で怒る時は、「いずれお前の手で何とかしてほしい」と考えていることが多い、どのような態度をとっているのかよく知らなかったが、父は無念だったようだ。

 バブルの異様な雰囲気が、人間関係を壊していたような気がしてならない。

 バブルがなければ祖父母は地道な考え方しか受け入れなかったろうし、父や私を馬鹿にすることもなかったと思う。

 バブルの繁栄は今でもなつかしい、しかしあれは人の心を壊していたように思う。

 そしてその影響は今でも続き、一部の日本人の行動を見苦しくしている。 

 そんな気がしてならない。

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