2022/5/9 19:36
公共のために尽くしたかった祖父母 自我(Ich)
祖父母の行動を思い出しながら文にしてみて、やっと思いが見えてきた。
あまりにも強すぎる虚栄心の光に阻まれて、本質的なものが見えていなかった。
祖父母は公共のために何かをしたかったのだと思う、教育勅語の「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」で育った世代ですから、商売で成功すれば公共のために何かをして、名誉をいただきたいと思うのも当然だったと思う。
その思いがなかなか遂げられず、父にまとわりつく結果になった。
自分たちの行動が父にとってもプラスになると、本気で信じ込んでいた。
たしかに地方から出てきて、家族全員で頑張ってきて、次から次へと首都圏に出てくる親戚たちを無料で食べさせてあげて、仕事と商売で懸命に頑張ってきた。
情愛で出てくる行動に、悪いことなどあるはずがない。
そう信じていたのだと思う。
虚栄心に毒されていなければ、父にとってもよい結果が出てきたのかもしれない。
だけど父の家にはそういう習慣がない、こちらの祖父は懸命に一人で働いた。
祖母がいなくなっても必死に働いて、子供たちを立派に育て希望すれば大学にも行かせてあげた。
家風があまりにも違うのである。
祖父も父も何も言わない人でしたね、そういう人たちでした。
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あまりにも強すぎる虚栄心の光に阻まれて、本質的なものが見えていなかった。
祖父母は公共のために何かをしたかったのだと思う、教育勅語の「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」で育った世代ですから、商売で成功すれば公共のために何かをして、名誉をいただきたいと思うのも当然だったと思う。
その思いがなかなか遂げられず、父にまとわりつく結果になった。
自分たちの行動が父にとってもプラスになると、本気で信じ込んでいた。
たしかに地方から出てきて、家族全員で頑張ってきて、次から次へと首都圏に出てくる親戚たちを無料で食べさせてあげて、仕事と商売で懸命に頑張ってきた。
情愛で出てくる行動に、悪いことなどあるはずがない。
そう信じていたのだと思う。
虚栄心に毒されていなければ、父にとってもよい結果が出てきたのかもしれない。
だけど父の家にはそういう習慣がない、こちらの祖父は懸命に一人で働いた。
祖母がいなくなっても必死に働いて、子供たちを立派に育て希望すれば大学にも行かせてあげた。
家風があまりにも違うのである。
祖父も父も何も言わない人でしたね、そういう人たちでした。
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2022/5/9 1:29
祖父は公共幼稚園を増やす活動をしていました 社会政策(Sozialpolitik)
祖父は公共幼稚園を増やす活動をしていました。
おそらく不動産業をしていたので、幼稚園に行けない子供が大勢いることを嘆き、幼稚園を増やさないといけない、そのためには国や自治体が動くべきだと考えていたのだと思います。
お店の本屋でも児童雑誌や児童図書を扱っていましたから、自然に出てきた発想だと思います。
その意志を示すため、店先に小さな看板を掲げたりしていました。
それはよいのですが、自分が幼児教育の専門家ではない、また国や自治体は幼稚園や保育園を増やす活動はしていたものの、それは首都圏においては民間の幼稚園や保育園を増やす政策になっていました。
それは幼稚園や保育園は子供の多い時代にあっては、ひじょうに儲かる事業であったため、首都圏では手を挙げるところが大勢あったからです。
祖父は不動産業者として、幼稚園や保育園にふさわしい土地を見つけ、そこに誘致するようなことはできたかもしれません。
あるいはやったのかもしれませんが、公共幼稚園を増やそうとすれば、それは政党や自治体への陳情ということになります。
公共幼稚園ではないものの、幼稚園と保育園は増えたわけですから、祖父もよいことをしたと思います。
ですが自分では物足りず、その活動を終え看板を外したあと何か探していました。
公共幼稚園を増やす活動をしていた時は、高度成長期やオイルショックの時代で、まだ子供が多かったかたし、健全な活力を持っていました。
ところがバブルになり、虚栄心が自分でも気がつかないうちに大きくなっていたようです。
父に頭をさげていろいろ教えてもらうことができず、よくわからない陳情を方々にするようになってしまい、たまに新聞や広報誌に活動の結果が出ることがあっても、誰も喜ぶ活動ではなくなってしまいました。
なぜ公共幼稚園が増えないかについても、父に聞けばすぐに教えてくれたと思います。
落ち着いて父に聞けば、よいアドバイスをしてくれたのに、もったいないと思います。
もともと祖父母はそんなに虚栄心が強いわけではなく、田舎育ちのひじょうに素朴な人たちでした。
バブルになっても無理に商売を広げず、堅実にやっていました。
しかし同業者たちはバブルにそまっていました。
その影響を受けていまい、それがあらぬ方向に向いてしまったのだと思います。
しかしやりかたは問題だし、父に多大な迷惑をかけましたが、公共のために尽くしたいという気持ちは本当だったと思います。
父も「何で私に聞いてこないんだ」と、もどかしかったと思います。
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おそらく不動産業をしていたので、幼稚園に行けない子供が大勢いることを嘆き、幼稚園を増やさないといけない、そのためには国や自治体が動くべきだと考えていたのだと思います。
お店の本屋でも児童雑誌や児童図書を扱っていましたから、自然に出てきた発想だと思います。
その意志を示すため、店先に小さな看板を掲げたりしていました。
それはよいのですが、自分が幼児教育の専門家ではない、また国や自治体は幼稚園や保育園を増やす活動はしていたものの、それは首都圏においては民間の幼稚園や保育園を増やす政策になっていました。
それは幼稚園や保育園は子供の多い時代にあっては、ひじょうに儲かる事業であったため、首都圏では手を挙げるところが大勢あったからです。
祖父は不動産業者として、幼稚園や保育園にふさわしい土地を見つけ、そこに誘致するようなことはできたかもしれません。
あるいはやったのかもしれませんが、公共幼稚園を増やそうとすれば、それは政党や自治体への陳情ということになります。
公共幼稚園ではないものの、幼稚園と保育園は増えたわけですから、祖父もよいことをしたと思います。
ですが自分では物足りず、その活動を終え看板を外したあと何か探していました。
公共幼稚園を増やす活動をしていた時は、高度成長期やオイルショックの時代で、まだ子供が多かったかたし、健全な活力を持っていました。
ところがバブルになり、虚栄心が自分でも気がつかないうちに大きくなっていたようです。
父に頭をさげていろいろ教えてもらうことができず、よくわからない陳情を方々にするようになってしまい、たまに新聞や広報誌に活動の結果が出ることがあっても、誰も喜ぶ活動ではなくなってしまいました。
なぜ公共幼稚園が増えないかについても、父に聞けばすぐに教えてくれたと思います。
落ち着いて父に聞けば、よいアドバイスをしてくれたのに、もったいないと思います。
もともと祖父母はそんなに虚栄心が強いわけではなく、田舎育ちのひじょうに素朴な人たちでした。
バブルになっても無理に商売を広げず、堅実にやっていました。
しかし同業者たちはバブルにそまっていました。
その影響を受けていまい、それがあらぬ方向に向いてしまったのだと思います。
しかしやりかたは問題だし、父に多大な迷惑をかけましたが、公共のために尽くしたいという気持ちは本当だったと思います。
父も「何で私に聞いてこないんだ」と、もどかしかったと思います。
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