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2022/5/8  23:24

バブルが人々の虚栄心を大きくした  日記(I love one day)
 父は生前祖父母の虚栄心に悩まされいました。
 祖父母と言っても自分の親ではありません。
 祖父母は商売をしていましたから、父とは何の関係もない、しかし父がよい仕事をしていたことは商売の信用を上げることに役立っていました。
 父もそれを喜んでいましたが、ある時から職場にわけのわからない電話をかけだしたり、手紙を書いたりしだしました。
 父の意見ではなく、陳情のような感じなのですが、いったい何を狙っているのかわからず父も悩んでいました。
 しかし大組織であれば、父の誠実さはだんだんわかってきます。
 大組織だと、そういう親戚がいる人もいるので、父の意見でないとわかれば問題視されなかったようです。
 だんだん相手にされなくなっていたのですが、そうなると苛立ってさらに異常な行動をとっていたようです。

 私も長い間意味がわからなかったのですが、父にはなくて祖父母にあるもの、それは虚栄心ではなかったか?と思うようになった。
 
 父の家は職場に変な電話をかけたりそんなことはしません。

 親類の勤めているところのOBでも、聞かれなければ意見をすることはありませんでした。

 もう一方の祖父は商売をして成功して、そろそろ隠居するかと思いだし、最後に何か名誉職のようなものに就きたいと考えていました。

 謙虚にアドバイスを求めれば、父はきっと「こういう職があるので、希望を出してみてはいかがですか?」と言ってくれたと思う。

 バブルが虚栄心を大きくした。

 商売で成功して頭を下げることができなくなり、自分たちがさも父に影響力があるような顔をして、虚栄心を満たしたくなったのだと思います。

 父の名前をだして陳情をし、そこで名を上げて名誉職を何か得たいと考えたのでしょう。

 もちろんうまくいきませんでした。

 父は黙って耐えていました。

 私はブログなんかもしているけど、父の家の影響もありカリスマブロガーになろうとか虚栄心はない。

 町の喫茶店の会話のような感じで、茶話を書ければよいと思っている。

 細く長くやれている。

 私がブログをはじめた時にカリスマブロガーだった人たちは、今はほとんど舞台にいません。

(追加)
 ぼんやりですが、父はどんなことをされても「悪意を持ってやっているわけでなければ、厳しく言うべきではない。」と言っていたように思います。
 「黙って耐えるのが男」・・・昭和の高倉健の美学でした。
 お母さんを大切にしていたし、弱い者に当たるような卑怯なことは絶対にしませんでした。
 坂東武者ですよ。

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タグ: 日記 文芸 美学

2022/5/8  17:49

西郷隆盛参議は江戸っ子でもある  進歩主義(progressive)
 西郷隆盛はもちろん鹿児島の人なのだが、幕末は京都にいることが長く、奄美大島に流刑になってそこで結婚もした。

 戊辰戦争で東北に長く滞在し、庄内藩と深い結びつきを持った。

 しかし、西郷隆盛の絶頂期は、東京にいて参議として事実上の首相の時だったのではないか?

 征韓論で下野したが、太陽暦の採用をはじめひじょうに評判がよく、福沢諭吉も西郷さんの時は自由に発言できたと高く評価している。

 結局・・・岩倉使節団は戻ってきて、西郷隆盛の評判があまりにもよいので、そちらに危機感を感じたのではないか?
 
 他の明治の元勲たちの銅像はほとんど東京になく、あってもまったく人気がないのに、西郷隆盛は上野公園に堂々あってケタ違いの人気を見せている。

 西郷隆盛参議は江戸っ子でもあるのだと思った。

 敬天愛人か・・・。

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タグ: 自由 平等 友愛


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