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2021/2/28  23:07

新しい制服っていいなと思った  文書(document)
 春になり、通勤途中に制服を売っているお店があって、店先に新しい制服があった。
 多治見の商店街でその類のお店を見た時も思ったが、「やはり新しい制服っていいな」と思った。

 調べてみれば中古制服の通販サイトとかも今はあるのですよね、でも私のように違う高校の制服をボタンだけ変えて着るのはダメだと思う。

 黒だけど微妙に色違っていたし、ゴマかすのが大変だった。

 今は洗える制服も多くていいね、自分が結婚して子供でもいれば毎日見れたのだろうけど、そういう楽しさがないのが残念です。

 お金に困れば制服を節約したい気持ちもわかる、でも眼鏡でも度が違うのはダメだし、サイズが違うのを着せるのは反則でしょうよ。

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2021/2/28  5:28

父は趣味や課外活動には寛大でした  文書(document)
 父は趣味や課外活動には寛大でした。
 それは父方の祖母の家が地方の旧家の地主で、趣味人が多かったのを見ていたからだと言います。
 父が寛大だったので母も「何でお金にならないことなんかに」と思いつつも、寛大に見てくれたので、茶道とかワンダーフォーゲルも出来て、中学生の時の囲碁部での活動も父は大喜びしてくれたのです。

 高校のワンダーフォーゲルは成績が下がったので母は辞めさせようとしましたが、父は頑として首を縦に振らなかったそうです。

 高校のワンダーフォーゲルについては、父は異常なほど頑固だったと聞いています。

 高校で終わりかもしれないから、せめて好きなことをやらせてあげようと思ったのかもしれません。

 そして将来を考え、体力をつけた方が後日役に立ち、大学に行くにしても就職するにしてもプラスになる、後で勉強するにしてもスポーツをしていた方が伸びる、父は元教師でしたから冷静に考えたのだと思います。

 横浜日野高校もまた部活動を奨励する学校で、特に体育部への入部を勧めていました。

 やはり高校ではスポーツをするべきで、その方が大学受験の時も伸びるという考え方でした。

 私はあまり伸びなかったのでどうだったのかな?と思いますけど、当時の大東文化大学はレベルの高い大学だったので、就職から大学に変えて受験勉強をはじめて何とか間に合った感じでした。

 3年の時に少し予備校にも通わせていただいたのですよね。

 受験勉強を始めるのが遅かったため、家のことを考え現役で受かりたいが間に合いそうもないため、とお願いしました。

 結局間に合わなかったのですけどね、現役の時は志望する学科さえ決められませんでした。

 母には配慮したのですよ、商業高校には行かなかったけど、自営業である母の考えにも配慮したから経済学部にしたのですから。

 だから母も大学入学を喜んでくれたのかな、どんなことがあっても親の言うことは聞くようにはしていました。

 母からは「いつも言うことを聞いているような顔をして、気がつくと全部自分の思い通りにしている」と毒づかれていましたけど。

 いつも自分の思惑があっていろいろ裏で動くのに、注文を外される恨みがあるのだと思います。

 おとなしいように見えて我が強いのは、昔からそうなのかもしれません。

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2021/2/24  3:30

ライバル校の生徒さんが文化祭で暴れたしたことがあった  文書(document)
 前に書いた時は高校名を隠したが、私が高校生の時の文化祭で市立南高校の生徒さんが横浜日野高校の文化祭で大暴れしたことがあった。

 ライバル校の文化祭をぶち壊してやろうと思ったということだった。

 市立南高校はライバル校として横浜日野高校を相当意識しており、先生は「横浜日野高校には絶対負けるな!」と言っているとのことだった。

 私も現場近くにいたが、わりとすぐに取り押さえられたので、横浜日野高校も問題視したりその生徒の処分は求めず、「過度にライバル意識をあおる指導は避けて欲しい」と市立南高校に申し入れて終わった。

 その暴れた生徒さんも、普通に卒業できたと思いますよ。

 その時にライバル校と言われてもピンとこなかったが、九学区制の時からの宿命のライバルだったのだと10年ほど前にわかった。

 そしてたしかに、18学区制の最後までよいライバル校だった。

 中学時代の多くの友人が市立南高校にいたし、中学時代のあこがれの女の子もいたので、残念だった。

 部活に熱中し疎遠になってしまったが、今何をしているのか?

 彼らの背中を見ながら私は努力していたから、彼らがいないと勉強に熱も入らなかった。

 私は、トップランナーには向かない人なのですよ。 

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2021/2/24  2:57

父が亡くなり追憶を語れるようになった  日記(I love one day)
 北杜夫さんは小説「幽霊」などでたくさんの追憶を語ったが、やはり父が亡くなると追憶を語れるようになるのではないだろうか?

 そして北杜夫さんの小説を読みながら、男の子はよほどのことがなければ母の悪口は言わないものだと思った。

 北杜夫さんも、父が生きているうちは追憶なんか語れなかっただろう。

 ルソーの「告白」もそうだが、追憶は小説の元となる。

 私が小説家になろうと思うのなら、ブログなどに無料で書くのは損なことなのだ。

 いろいろ考えたのだが、誰かの想像力をかきたてることがあればそれでもよいし、どうせ私の文は売り物にはならないし、大事な記憶を売り物にするのも不謹慎な気がする。

 ブログというのはほどよいものなのだ。 

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タグ: 日記 文学 Journal

2021/2/21  21:20

新しい高校の制服は欲しかった  自然(essay)
 私はあまり制服とかこだわる方ではなく、当時は「制服は封建的」と言われ、制服を廃止していた高校もありましたから、人が使ったものでも我慢しました。

 たが中学の時は制服を買っていただいたし、大学の時もあきらめていたら両親がスーツを買ってくれて、就職まで冬服一着の一張羅でしたけど、とにかく新しい気持ちで大学に入れました。

 高校の時は詰襟だったので、親族の詰襟を持ってきて押しつけられました。

 ただ肩幅もちょっと合っていなくてきつく、首が苦しかった。

 その詰襟の元の持ち主の方が体格がよく、当時の私は華奢だったので不思議でしたが、首の長さが違うせいだと思われ、肩も怒り肩気味の前の持ち主と、なで肩の私との違いがあったのだと思います。

 ともあれ合っていませんでした。

 でも何とか着られるので、新しい制服は買ってくれませんでした。

 ブレザーなら首は関係ないのでまだよいですが、詰襟で首がきついと辛かったです。

 見るからに合っていないので、高校の友人に何度か指摘され、一度作り直して欲しいと言ったのですけど、「着れるでしょ?」で終わってしまいました。

 あれはかなり勉強の効率を落としたと思うし、何よりも制服が合っていないのは見た目もみっともないので、すごい辛かった。

 それと色も微妙に違っていたのです。

 たぶん同じ詰襟でも、指定されている生地が違うと微妙に色が違うことがある。

 横浜日野高校のはかなり黒が強く、私の制服は黒が薄めでした。

 先生にも「譲ってもらった制服なので」とごまかしていましたけど、入学時はかなり睨まれました。

 制服を譲るにしても、別の高校の制服を着せるのはナンセンスですよ。

 今でも、ネットを見るとけっこう他人から譲ってもらった制服を着ることは多いらしく、中には「あこがれのお姉ちゃんと同じ制服が着られる」と喜ぶかわいい妹もいるようです。

 でもそれは同じ学校だからできることですよ。

 制服の色って同じようでも違うのですよね、高校3年間ですよそれが、浪人中に祖父の葬儀で着たのが最後でした。

 大学のどこかで親に「もう着ないから捨てるよ」と言われ、6年間が頑張ったその制服にも愛着があり、「前に着ていた人がかまわなければ」と答え、もうボロボロだったので前の持ち主の愛着も尽きており、お別れとなりました。

 追憶を語るといろいろ思い出し、新しいきちんと色とサイズの合った制服を着て、高校に通う自分を思うことがあります。

 ネットで読みましたけど、たぶん横浜日野高校のはスーパーブラックと呼ばれるものに近かったと思います。

 だから、制服の値段も高かったのかもしれません。

 それにしても「よく3年間ごまかしきれたものだ」と思います。

 合格してもほとんど誰からも祝福されず、使い古されたボロボロの制服を呆然と眺めて、「何のために努力したんだろうな」と無念でした。

 涙が出るほど悔しいのに、最終的にはトップ校を目指せるほどの成績を取っていた自分がいる、どんなに努力をしてもどうにもならない。

 そして「努力をしても報われない」と感じた。

 その象徴が、真新しくない制服なのだと思いました。

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タグ: 自然 感性 エッセイ


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