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2016/10/10  3:45

小学校で転校しようと思った時・・・  汽船(エッセイ)
 小学校でいつまでも学区外のところに通うのは不自然なので、中学や高校のことを考えて転校しようとして、その時に先生たちに止められた話は書いたことがあったと思います。
 説得としては「小学校の途中で突然一人だけ転校されるのは困る」と言われましたが、私も子供ながら相当ゴネたので、その時にいとこのことを持ちだされて、「◯◯さんも親戚のお兄さんがいるから心強いのに、転校されてしまうと困ります。」と言うようなことを言われた気がするんです。
 養護の先生に言われたのかもしれません。
 小学生なので私が直接ではないのですが、母親に転校の意志を伝えてもらったら先生にそのようなことも言われたと言っていました。

 正直、将来のことを考えると不安で、高校進学にあたり予想どおり苦しむことになったのですが、先生たちが意外に私のことを心配していることを知り、それで留まることにしたんです。

 そのせいか中学進学の時は、後の高校進学の時と違い嫌味ったらしいことも言われず、役所の手続きもスムーズにすんで進学できました。

 中学にも立派な養護学級があったのですが、いとこは国立の養護学校に進んだので来ませんでした。
 色彩感覚がひじょうに優れているとのことでした。

 ちょっと今だと個人情報に近いことを書いてしまっているのかな、思い出がぽろぽろと・・・。
 前の勤務地の職業大東京校は隣が特別支援学校でしたので、いとこと同じ障がいを持つ子もいました。
 ガラの悪い子もいる学校でしたけど、朝などあいさつしてくる子もいます。
 いつもあいさつを返していたのですが、ある朝後ろに母親がついていて、あいさつを返したらジロッと見られてしまいました。

 そのあといつも母親がついてくるようになったので、気持はわかりますがやりづらくなってしまいました。

 「わからん親御さんだな」と思いました。 

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2016/10/9  3:12

いとこの思い出の一つ・・・  汽船(エッセイ)
 「聲の形」で記憶が刺激されていろいろ思い出すのですけど、祖父は健常者も障がい者も分け隔てない人でしたので、いとこのこともすごいかわいがっていました。
 よくいとこは「おじいちゃん」と言っていました。
 でも祖父がいない時でも言っているので、ひょっとしてと思って自分を指差したら「おじいちゃん」と言っていました。
 おやおやと思って「お兄ちゃん」と言ったら、「おじいちゃん」と言っていました。
 彼にとっては、自分に優しくしてくれる人はみんな「おじいちゃん」だったようです。
 ニコニコして言われてしまえば何も言えませんよね。

 まだ彼もあの頃は小学生、健常者であってもあんな感じだったと思います。

 家の代表だけ行ったので、私は彼を見送れませんでした。
 障がい者施設の方が来ていて、大勢で見送ってくれたそうです。
 それもまた・・・・・・念仏で勘弁してくれればなと思っています。

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2016/10/9  1:54

横浜松坂屋にあった眼鏡店の店員  汽船(エッセイ)
 かつての横浜松坂屋の中に眼鏡店があって、そこの店員さんがとてもよい人でした。
 私は眼科医の先生がおっしゃられた「眼鏡をかけると視力回復の可能性がなくなるかもしれない」ということばを信じて、5年もたてば回復の可能性がないことがわかっても、また0.1以下になることが怖くて眼鏡を授業中以外はかけなかった。
 大学でも同じで、忘れた時は耳だけすませて聞いていた。

 慢性頭痛は、そうですね・・・授業を聞いているとどこかかから音が聞こえてきて、ブーンという虫が飛んでいるような音が頭で聞こえる気がする。
 そうしているうちに頭が重くなり、頭の芯が痛くてたまらなくなる。
 だんだん先生が口だけ動かしているように見えて、姿もぼんやり見えてくる感じになる。
 痺れるような感じかな。
 家だといきなり頭がガーンとくることもあった。

 体を動かすことはできるものの、頭痛がおこっている間はほとんど何もできない。
 大学で眼の運動で、それが克服できることを知ったことはうれしかった。
 それでも完全回復ではなかった。

 横浜港湾カレッジに行って、ふと立ち寄った横浜松坂屋の眼鏡店の店員さんが親切で、それまでの価値観と違うことを教えられた。
 まず、今は「眼鏡をかけると視力が悪くなる」という考え方は否定されていること・・・そうなれば眼鏡をかけない方が危険であること。
 自動車を運転する機会が増えると、眼鏡を忘れてしまうと運転できないわけですから、ふだんから眼鏡をかけた方がよいとすすめられました。

 結局家で眼鏡をかけないのはあいかわらずでしたが、職場や外出の時は眼鏡をかけるように変えました。
 今パソコンを使っていますけど、右眼だけだと画面真っ白で文字もまったく見えません。
 正直、よくこの眼で裸眼で生活していたなと思っています。
 左眼の負担はすごく大きいと思います。

 高校でワンゲルに入った理由の一つも、「美しい景色を見れば眼もよくなるのではないか?」と思ったからです。
 あまり効き目はなかったけど、そんなふうに思っていたんです。

 右眼・・・乱視が治れば戻るんだけどな。
 子供の頃眼鏡をはじめて作る時・・・眼鏡店の人に「テレビばっかり見ていたんでしょ?」と言われて「違うんだけど」と思いましたね。
 母が眼鏡店の人に説明していましたけど、まったくわからない様子でした。

 あの横浜松坂屋の店員さんよかったな、おかげで今は眼鏡の自分が好きになっています。
 裸眼だけで生きたいとは今でも思いますけどね。

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2016/10/8  10:41

高校での不調の原因はいったい何だったのだろう?  汽船(エッセイ)
 いまだに高校時代の慢性頭痛と勉強の不調については、原因がよくわからないです。
 治ったきっかけは、大学ではじめて一人暮らしをしていろいろ考えられたこと。
 簡単な速読法の付録についていた眼の訓練を3ケ月ほどして、大学1年の夏休みに終える、それ以降眼の状態がいくぶん改善し、勉強がひじょうにできるようになったこと。
 流れとしてはこんな感じ、やはり慢性頭痛で集中力を欠き治療をしないまま高校生活を送っていたので、よくなかったのだろう。

 その慢性頭痛の原因については、もちろん人間の生理的なものがあるのだろうが、右眼の大怪我と学区外進学の苦痛などが思い当たる。
 
 今だと、まずきちんと慢性頭痛の治療をすべきだったのが第一だろう。
 頭痛と精神病を混同し、治療をさせなかった行動は医学的にも完全な誤りである。
 その結果として眼の状態もきちんとわかったと思う、当時はまだ眼の怪我から治る途中で視力は両眼たしか0.2以下だった。
 それでもほとんど眼鏡をかけていなかった。
 当時の眼科治療は、あまり眼鏡をかけることをすすめない人が多かったし、私もそれが常識だと思っていた。

 女の子なんかだとコンタクト買うお金がないと、近眼なのに眼鏡をかけない人多かったですよね。

 ただ私の場合、調子のよい時は視力2.0まで見えていたのに突然0.1以下の世界になってしまったことです。
 眼の怪我をしたのは、自分で言うのも辛いですが私の不注意・・・そう思うしかありませんが、きちんと治療をしていれば慢性頭痛や後遺症、運転免許取得に苦労するなどなかったと思います。

 Yahoo掲示板をたまたま見たら、私の眼科医と同じく「視力の低下が、もともとの近視なのか、打撲によるものか判断できない。」と言っているということでした。
 どうも眼科医はスポーツによる怪我の場合、原因をはっきり言わない習性があるようです。
 そして「もともと視力が悪かった可能性がある」と言い出すのです。

 これは、怪我をさせた相手がいるからだろうと思います。
 スポーツによる怪我は罪には問われませんが、怪我をさせたのであれば損害賠償請求などがおこる可能性があるからです。
 眼科医はその診断をすることを避けているのだと思います。
 しかし…「もともと視力が悪かった可能性がある」などと、明らかな嘘をついてよいのでしょうか?
 一気に視力が下がる怪我は普通の怪我ではありません。

 眼科医さんは、慢性頭痛などがおこる可能性をわかっていたんじゃないかな?

 そのYahoo掲示板の方も、たぶん単純な眼球打撲ではないと思いますよ。

 プロスポーツ選手では視力の悪化で引退する人もいる、どんなことがあっても嘘をつくべきではないし、きちんと正確な情報を患者に教えるべきだと思う。慢性頭痛を精神病と考えて治療させない親もいるのですから。

 ただ私の母が「先生目薬も何もつけませんけど、本当に治るのですか?」と言ったのは正解でしたね、眼科医は「危険なので目薬はつけられません。またこの状態では意味がなくつけるのは危険です。自然治癒を待つしかありません。」とおっしゃいました。
 つまり「目薬をさすのも危険なほどの怪我」だったのですよね。
 正確には何だったのでしょうか? 
 眼球打撲ではあっても、視力低下の理由は・・・?

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2016/10/6  0:47

「リアリティがない」と思ったこと・・・  文化国家(Kulturstaat)
 「聲の形」はもちろんフィクションなので、リアリティがないと感じることは当然多い、だがそれが真実に迫っていれば芸術作品としてすばらしいということになります。
 それはガキ大将だった石田将也さんが、かつての子分二人相手に負け続けるところです。
 ケンカというものは、数が少ないからといって負けるわけではありません。
 一撃で一人倒してしまえば、あとは雑魚一匹です。
 そもそも集団で向かってくる相手というのは、一人一人は雑魚だから固まっていることが多く、一人倒してしまうとすぐパニックをおこしてしまうものなんです。

 私は小さい頃、母の「相手を絶対に殴ってはならない、殴るのなら殴られなさい。」という教えをできるだけ守っていましけど、相手の態度がどうしようもない時だけ、少しだけ反撃していましたっけ。

 石田将也さんが行った高校はそれなりの進学校であるらしく、子分二人は一人が塾に行き、担任の先生に媚びて一生懸命いじめにも参加しましたが、二人とも植野直花さんを除き所在がわからない状態になってしまった。
 原作の担任の先生の、石田将也さんの制服を見てよい高校に行ったことを知り、嫌味を言い続ける姿はみじめでした。
 かつての子分二人も仲間に対し尊大な態度をとれば、周囲の評判は推して知るべしだったのでしょう。
 石田将也さんはそう不幸であったわけではない。

 彼はむしろ実は気に入っていた西宮硝子さんを失い、そのショックをひきづったまま高校まで行ってしまっただけだった。
 手話を覚えながら、西宮硝子さんとの再会を願っていた。
 彼女もまた、石田将也さんとの再会の機会を願っていた。
 好き合っていた二人が再び出会う、実はどこも不幸ではない話でした。

 むしろ悲劇は、最後まで二人が自分の気持ちに気がつかないことからきている、互いに相手を守ろうとしおこる悲劇にある。
 障がい者への差別を扱ったように見えながら、実は青少年好みのラブストーリーになっている。
 私は・・・・・・「あまりにもよすぎる話」と思ってしまいました。

 でもそれが・・・・・・青春なのですよね! 

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タグ: 文化 芸術 美学


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