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2014/3/6  23:06

八百津の福地(ふくち)に行ってきました  文治(コラム)
 今、0時15分の土岐の気温は零下3℃です。
 昨日の恵那の山道の温度計も零下3℃をさしていました。
 昨日、仕事が終わったあとに先日行った久田見のさらに山奥にある福地というところが気になり、車をとばして行ってきました。
 久田見のところにはゴルフ場もありセンターラインもあるわりとよい道でしたが、久田見をすぎてからはからは街灯がまったくなく、ひたすら暗い道を行き福地という「幸福の地」まで行ってきました。
 目当ての木造校舎がありましたが、真っ暗で写真は入口の光だけです。
 元は中学校なのですが、緑色に美しく塗ってありました。
 いずれ昼間に行ってきます。
 八百津町から近づく道はよい道でしたが、恵那からの道はすれ違うのも難しい道でやはり大変でした。
 途中ノウサギに会ってびっくりして逃げていきました。
 かわいかったーーーーーーーーーーーーーー♪
 しかし恵那まで行く道はやはり大変でしたので、久田見から七宗町に行く道に行くのは無期延期します。
 いろいろ走ってみて、すれ違うことのできない対向車に出合ってしまうと、どうしようもないと思いました。
 文字通り「物損にならないものにぶつけてよける」しかないのかもしれない。
 昨日も土手にぶつけるような感じで何とかすれ違ったことが一回ありました。
 しかし久田見と恵那でバスを見ました。
 あんな山奥まで町と結ぶバスが通っているのです。
 バスと恵那の山中すれ違う直前、夜なのでライトしか見えずランドクルーザーのような巨大なライトを見て、「無理ー!」と思い道幅ギリギリまで寄せて待っていたら相手が来ないので、行って見たらバスでした。
 停留所で停車中だったようで助かりました。
 ひょっとしたらあそこが終点だったのかもしれません。
 バスがUターンできるようになっていました。
 運転手さんもハンドルにもたれて、疲れた目をこちらに向けていました。
 そこから先もしばらく険しい道が続きました。
 最後広い道に出て、ゆっくり走っていたらついてきていた車に後から追い抜かれてしまいましたよ。
 馴れている人は速いのですね、信号のところで追いついてしまったらさらに燃えてとばして行ってしまいました。
 アップダウンのあるところだと、道路が見えなくなり一瞬目の前真っ暗になることがあり、ライトを上げ下げして確認しながら走るところもありました。
 真っ暗なところはハイビームを使わないとやはり見えません。
 先日の国道418号線を走った頃から、たびたびハイビームを使うようになりました。
 夜の山道では必要な技術のように感じられます。
 ただガードレールのないところだと、道路と崖の境界線がハイビームだと見えないので、本当に勘で上げ下げするしかありません。
 街灯のない山道では、実際ハイビームでないと見えないところがあるのです。
 福地では昭和に大規模な土地改良事業が行なわれたようで、記念碑がありました。
 丘の上に小学校があり、麓に中学校・・・通り沿いに中学校の体育館がありました。
 小学校と体育館はしっかりした作りで、緊急時には避難場所として十分な強度がありそうでした。
 この小学校も今の生徒数は推定数十人、ひょっとすると数人になっているかもしれません。
 しかし木造の旧中学校舎は、福地の町のシンボルであり最大の観光資源でもあるようでした。
 「若者自立支援塾」や「山村留学」に使えそうなところでもありました。
 誰かが管理のため住んでいるのか、町役場か集会所の機能があるのか灯りがついていました。
 それなので出入口だけ電気がついているわけです。
 夜の街灯の灯りに、木造校舎のペンキの緑がうっすら輝いていました。
 寒かったので、灯りが何となく暖かく幻想的にも見えてしまいました。
 いつまでも福地が集落として存続できますように。

(福地の旧中学校 木造です 中は今でも利用されているようで灯りがついていました。)
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(よく見ると少し緑色の塗装が見えてきます。)

(福地小学校・・・行った証拠写真にさせていただきました)
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…申し訳ありませんが敷地内に入らせていただきました。)

(体育館横の昭和の福地土地改良記念碑)
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…本当に人間が懸命に守ってきた土地なんだな…と思いました。

(3/10(月) 昼間に行き通り沿いの体育館は小中学校共用ではなく、中学校専用の体育館だったようなので、上の文の一部を修正させていただきました。)

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タグ: 美濃 岐阜 茶話


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