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2014/1/12  20:24

二人のT君  日記(I love one day)
 前の記事の塾でなつかしいのは二人のT君です。
 他の人は顔は何となく覚えているのですが、名前をどうしても思い出せません。
 私を異常性欲者から救ってくれた恩人たちなのに、私もひどいですね。

 二人のT君のうち一人は私学にいっていた子、もう一人はとても勉強のできる子で明るい子でした。
 前者のT君はたしか2ケ月ほどでやめてしまいました。
 最初から「一人っ子は根性がない」とかわけのわからないことを言われ、酷いいじめを受けていました。
 我慢していましたが親に「死にたい」と言ったようで、親があわててすぐにやめさせました。
 誰も恐れて話しかけないので、私何回か話しかけたことがあるのです。
 「私学なので授業の進み方も公立校とは異なる、学校の進み方に懸命についていっているが、この塾の進み方はそれとも異なるのでとてもあわせられない。」ということでした。
 親も大切な一人息子を預けたのに、それを理由に教師からいじめを受ける。
 その親は子供の言うことを信じるまっとうな常識を持っていた。
 たぶん先生もいつもの嘘八百で引きとめようとしたが、息子の言うことを信じる親にそんなことは通用しません。「いつまでも自己満足の世界に浸ってなさい」ということでしょう。ただちに辞めさせました!
 やさしい子でした。
 実際にはその子が一番勉強ができたと思います。
 いわれのないことで難癖をつけられいじめられ、実力を発揮できる機会もなく本当に気の毒でした。

 もう一人のT君は、本当に明るくて勉強ができる子でした。
 家を訪ねたこともありました。
 お詫びをしに・・・ね・・・。
 横浜日野高校に入ってわりと近くに家があったことを思い出し、昔の記憶をたどりながら探したのですが見つかりませんでした。
 わりと大きな家で「たしかこのあたり」と思ったのですが、記憶にある家は見つけたものの別の人が住んでいました。
 見つけ方が悪かったのかもしれませんが、とても残念でした。
 
 今でも疑問があるのです。
 異常性欲者に二度目に襲撃された時、彼らは本当に大丈夫だったのだろうか?と。
 ゆっくり思い出すと、T君はリーダー格であったのでいきなり相手に突き飛ばされ抑えつけられましたが、周辺の子が一斉に蹴ったりぶつかったりしました。
 私はその混乱を見て少しずつ相手の注意をひくように離れ、相手がこちらを見て目が合った瞬間に踵を返して走って逃げました。(といってもシルエットしか見えませんが。)
 その時相手はT君から離れやや中腰で立ち上がっていました。 
 相手がこちらに向かおうと体をこちらに向けた瞬間、向こうっ気の強い子が懸命にしがみついていました。
 「あ・・・馬鹿なことをするな・・・大丈夫逃げられるから」と思ったのを少し覚えています。
 不思議なことは・・・私は走りながら笑ったんです。狂人のように。
 山でもありますが、人間は極限に近いところまで恐怖がくると笑うのです。
 たぶんあの時・・・発狂する直前だったのだと思います。
 みんなに詫びましたが、彼はリーダー格で突き飛ばされ抑えこまれて恐い思いをしたので、家まで訪ねて詫びたのです。
 彼は男らしく頭のよい勇敢な少年でした。

 もう二人とも私を忘れているでしょうけど、今でも元気にしているかな。
 きっと成功しているよね。
 元気でいてほしいと思います。

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タグ: 人権 暴力 思い出


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