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2013/7/28  23:09

神岡城の旧松葉家住宅  鬼岩(document)
 先日富山市に行った時の帰り道で知り、飛騨市の国宝安国寺経堂と円空仏のある清峯寺まで行ってきました。国宝と円空仏が見られて幸せでした。父の死後乱れて久しい心が救われる気がいたしました。

 そして先日は通過しただけで行けなかった「鉱山の町神岡町」に行ってきました。
 今は飛騨市となりましたが、鉱山の町神岡町には町のシンボルとして神岡城が昭和45年に建てられ、横に校倉造りをイメージした鉱山資料館があり、他に神岡城と古民家の旧松葉家が郷土資料館として公開されております。
 下から見ると城はよく見えるのですが、登るとどうもどこだかわからない。
 道の駅スカイドーム神岡に車を停め、歩いて探すことにしました。
 よくわかる目印がありました、神岡中学校の横で専用駐車場もありました。
 神岡中学校は神岡鉱山の繁栄を象徴しているかのような立派な建物でした。
 神岡城には再現したものだと思いますが、見事な空堀がありました。
 でも私が気に入ったのは古民家の旧松葉家です。
 神岡の市街地から少し離れた割石(わりいし)にあった古民家を、郷土資料館のために移築したのだそうです。法律の規制にかかってしまうので屋根は茅葺から銅板葺とされましたが、中は当時のままでありよく管理され昔の神岡の集落の雰囲気を今に伝えております。
 木立の中にある古民家にノスタルジーを感じ、思わず写真をとってしまいました。
 ああいう展示は本当によいと思いました。
 銅山からはじまった神岡鉱山ですが、その後銀を抽出したりし、三井財閥の支配となってからは主に亜鉛・鉛鉱山として栄えました。
 鉱山資料館はなかなか見られない鉱山についての資料がよくそろっており、ちょっとした勉強になりました。
 当時使われた機械の展示もありなかなかおもしろいものでした。
 資料映像をゆっくり見る時間がなかったのがちょっと残念でした。

 話は変わりますが、氷菓の神山市は神岡町と高山市からとったのかもしれません。
 商店街は健在でしたが、だんだん人口は減ってきているそうです。 
 スーパーカミオカンデがあり、道の駅スカイドーム神岡にはその模型も展示してありましたが、本当は鉱山資料館を拡張して展示するべきなのかもしれません。鉱山資料館のも資料はありましたが少しさびしく感じました。
 江間氏下館は道の駅の後ろにあるようで道がありましたが、よくわからないので本日は遠慮しておきました。
 でも道の駅から歩けるところに神岡城も江田氏下館があるので、セットで歩くと結構楽しめると感じました。
 ところで、氷菓の古丘殺人事件の廃村は神岡鉱山栃洞(とちぼら)地区の廃墟を舞台としたそうですが、鉱山資料館を見れば私は充分です。鉱山学を専門とした博物館は珍しいので、その気になればいろいろおもしろいことができそうです。博物館は研究機関なのに重要性があまり認識されていないのが残念でした。
 
 それと…栃洞地区の廃墟は危険なので写真を掲載した人も絶対行ってほしくないようでした。サイトで写真を見る程度にしてほしいようです。ともあれ「鉱山の町」の雰囲気たっぷりの神岡町でした。
 しかし商店街の道は狭く制限速度は30キロ、冷汗がでました。
 神岡町は飛騨市となりましたが中心地からは30〜40分かかります。
 高山市からはだいたい1時間ぐらいだと思います。
 山道をえんえん行くので冬季は大変でしょうし、写真で見てもかなり雪が深く鉱山資料館や江間氏下館も冬季休業があるそうです。
 スーパーカミオカンデがあっても、決して楽観はできない神岡町のようでした。
 ところで本当に栃洞地区には行かないでくださいね、これを読んで行かれても私は責任を持てません。
 鉱山資料館で栃洞坑道とはどんなところなのか、確認するぐらいにしてください。
 そのあたりはぜひお願いいたします。

 でも神岡町…もう一度行ってみたいようにも感じました。
 よい経験になりましたし勉強にもなりました。
 
(神岡城にある古民家 旧松葉家住宅)
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タグ: 飛騨 岐阜 茶話

2013/7/28  22:07

高山市の城山公園と煥章館(かんしょうかん)  鬼岩(document)
 本日の記事の前に、前回高山に立ち寄った時に行った城山公園(高山城址)と煥章館(高山市図書館)です。
 写真は高山城の本丸のあったところに再建された石垣です。

 高山城は金森氏の居城として築城されました。
 小牧山城や安土城と同じタイプの平山城であり、山の山頂に立派な御殿風の本丸があったそうです。
 金森氏から天領となり高山陣屋を政務の中心となったので高山城は取り壊されましたが、城山公園として大切にされています。
 再建の石垣であるにもかかわらず、荒城の月でも歌いたくなる雰囲気でした。
 金森氏の栄華を感じさせる城跡でした。
 山腹に御母衣から移築した照蓮寺と、他に金森長近像がありました。
 
 煥章館は氷菓にも出てきた図書館です。
 城山の麓にあり小学校を改築したものだそうです。
 中は市立図書館であり、小さな近代文学館が二階に設置されています。
 近代文学館には飛騨の文士の書斎が再現され、資料が展示してありました。
 中は飛騨高山にふさわしく木がふんだんに使われています。
 風通しはよく当日も一階は窓を開けているだけで充分涼しい状態でした。
 小学校であったのでひじょうに長い建物で奥行きを感じさせます。
 突き出た塔は展望台となっており高山市を一望できます。
 でもひょっとすると新築するよりも手はかかったのかもしれません。
 すぐれた見識と感じたのは、町の象徴であった伝統的建築物をいかした新図書館設置であるということです。
 その建物を見ることで高山の伝統と歴史を感じ、市民から愛される図書館をめざそうというよい意図を感じました。
 こういう新図書館設置ももっとあってよいのではないか?と思いました。
 城下町では特に映える発想だと感じました。

(城山公園 本丸跡 石垣は再建)
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(煥章館 高山市図書館 城山の麓)
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2013/7/28  1:08

祖父母に感謝する!  自然(essay)
 祖母の小さい頃からいろいろ聞かされていたのだが、どうしても疑問が消えないことがあったんです。「あのプライドの高い祖母が正体のわからない人物を信用するのだろうか?」ということです。
 それに動物たちがいった「かけおち」というのもどうにも信用できない。
 かけおちするにあたり夫に大金を要求することはありえない。
 よく鳴く動物が集団で私にぎゃんぎゃん言うので、逆に「こいつら一枚かんでいたんじゃ?」という疑惑が強かった。
 それに祖母は一人で放浪していたしその後子供を作らなかった。
 横浜で偶然見つかった時も一人でした。
 決定的なこととして、周辺で未遂も含めて類似の事件が数件あったということです。
 そして被害にあった家は、今でも異様な防犯をしているということでした。
 そうしてみると答えは簡単・・・事件だったと思ったのです。

 横浜には少なからずヤクザ者がおり戦後は特にひどかった。
 また今と違い家の恥になるようなことは表に出しませんでした。
 今でもカルトなどとのトラブルはそうだと思います。

 夫は働き者で子供たちは有名私学に通う、実家も農地改革で小さくなったとはいえまだ旧家の威厳を保っている。自分は助産婦の資格などもあり夫が怪我などで働けなくなればすぐに支えることができる。実家の支援も戦後混乱期は特に少なく、食糧難の時は大変だったそうですがそれも夫と共に切り抜けた、幸せそのものだったと思うんです。幸せな家庭でおこった不幸な事件だったんです。
 祖父も陰口を叩かれていましたが、長年に町の世話役をし葬儀では大勢の方が来られました。
 陰口の努力とはうらはらに町の人はちゃんとわかっていたのです。
 祖父の葬儀の時…弔問客の予想を聞き父以外の家族は、誰も信じられませんでした。
 「そんなに小さな葬儀じゃ全員入らない!」と、町の生前の祖父をよく知る人に怒られたように聞いています。
 仕事を定年退職してずいぶんたち晩年は外に出ることも少なくなっていたので、そんなに来られるとはどうしても私には思えませんでした。
 ところがはじまると、大勢の人が次から次へと鎮痛な表情でやってくる…私たちがびっくりしてしまいました。
 「誠実に努力をすれば世間はわかってくださるのだな」と思いました。
 祖父が亡くなり20年以上たちますが…祖父は家にかけがえのないものを残してくださったと今でも感謝しています。
 そして祖母も間違いなく何かを残していることが最近わかってきました。
 氷菓を見て記憶が刺激され…悲しい記憶がいろいろとびだしてきてしまいました。
 もうじきこの病気もなおるでしょう。
 南無阿弥陀仏。

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タグ: 金港 希望 出航


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