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2013/6/12  1:05

人道の港 敦賀ムゼウム  日記(I love one day)
 敦賀記事の最後は「人道の港 敦賀ムゼウム」です。
 岐阜の八百津町の杉原千畝記念館にパンフレットがありました。
 行ける機会があるとは思わなかったのですが、高速道路を運転している間に無性に行きたくなってしまいました。
 急に敦賀に行きたくなったのも、無意識のうちにこのムゼウム(資料館)を見たかったのだと思えたのです。
 なぜそう思えたのかはわかりません。
 八百津の記念館の影響は大きかったのでしょう…不思議な心持ちがしました。
 ムゼウムの正面玄関の脇に写真でも小さく写っていますが、日本語とヘブライ語でたしか「自由の館」と書いてある碑がありました。
 訪問した日はポーランド孤児を受け入れたことについて展示しておりました。
 ポーランドは長くロシアの支配下にあり、政治犯としてシベリアに送られた人の子供が孤児となっていたのです。
 西欧では孤児の救出事業が市民により行なわれており、敦賀にも逃げてきて敦賀の人は受け入れた。そのような話でした。
 他に敦賀港についての説明も一階にありました。

 二階に昇ると、八百津の記念館でも聞いた杉原千畝の肉声のインタビューが流れておりました。そして命のビザについての展示がありました。
 視聴覚コーナーがありましたので一作見ました。
 食糧に困り高級時計を貴金属を換金しようと、敦賀の渡邊時計店に来たユダヤ人に、時計は必ずしもいらなくても窮状を見かねて懸命に換金に応じた話。
 そして地元の人が窮状のユダヤ人を助けようと旅館や銭湯を開放したり、おいしいものを食べさせたりした話がとりあげられておりました。
 何よりも命のビザを得て1年近くかけて敦賀まで逃げてきて、「皆絶対生き延びるのだ」という強い絆を得ていたこと、そして敦賀の人が自分たちの生活も決して楽ではないのに懸命に助けようとしてくれたこと。
 ある女性は「天国」と呼んでいました。
 美しい日本海の海をゆき遠くに雪をいただいた山が見え、そして上陸したらそこの日本人は自分たちを懸命に助けようとしてくれた。
 そこには戦争はなく平和そのものだったそうです。
 残念ながら日米間の対立がひどくなり、敦賀の生活も一年ほどでユダヤ人は最終目的地へ去っていきました。
 しかし敦賀の人や日本人への感謝の気持ちは決して忘れないのだそうです。
 私も不覚にも涙を流してしまいましたが、後ろで見ていた老夫婦のご主人も涙を流していました。
 戦争になれば世界のどの民族よりも勇猛な日本人が、どれだけ寛大でやさしい人達だったか・・・ユダヤの人々は記録に残し覚えてくださっているのです。
 一方で捏造した罪を日本人にきせて金を盗り名誉を傷つけようとする人々もいる、ユダヤ人は自分たちを迫害した人を記録に残し永遠に忘れません。
 日本人だって同じことです、迫害に屈しては決してなりません。
 人権を守るというのは、中傷に耐えるということなのかもしれません。
 ヒトラーはユダヤ人を日本が匿っていることを知り、再三「引き渡せ!」と言ったそうです。
 日本はそれに屈することはありませんでした。
 日本は決して豊かではなかったので、ユダヤ人を匿ってもそれほど豊かな生活を与えられたわけではありませんでした。
 しかしナチスのユダヤ人絶滅計画から守ったことは事実です。
 杉原千畝さんのような勇気を少しでも持ちたいものだと思いました。
 写真は金ケ崎緑地の「人道の港 敦賀ムゼウム」と、緑地の横にあった赤レンガ倉庫です。
 何かかわいい赤レンガ倉庫でしたので掲載させていただいます。
 よいところに行くことができました。

(人道の港 敦賀ムゼウム)
http://www.tmo-tsuruga.com/kk-museum/index.html

(金ケ崎緑地の人道の港 敦賀ムゼウム)
クリックすると元のサイズで表示します

(金ケ崎緑地から道をはさんだところにある赤レンガ倉庫)
クリックすると元のサイズで表示します

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