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2013/6/27  21:14

官衙跡の魅力  自然(essay)
 官衙は国の下にあった郡の役所跡です。弥勒寺付近に根拠地を置いたのは牟義都国造(むげつのくにのみやつこ)といい今はムゲツ氏一般的に書かれています。
 北美濃を支配した大豪族であったため、私も弥勒寺の遺跡を国府に近いと書いたわけです。
 壬申の乱では大海人皇子に味方し大活躍しました。

 ところで相模については私が青年の頃は国分寺のあった海老名が有力であり今でも根強いのですが、平塚、大磯、小田原などいまだに決まらないそうです。
 大磯に六所神社がありそこが総社だそうですが、国府ははっきりしないそうです。
 昭和54年に鎌倉の御成小で驚くべき発見がありました。
 鎌倉郡の官衙跡が偶然発見されたのです。
 今小路西遺跡というそうです。鎌倉郡が当時相模で最有力であったことから「事実上の国府はここだったのではないか?」と言われているのです。
 鎌倉大仏の高徳院も「事実上の国分寺だった」という伝承があるそうです。
 創建にあたり「東国三十三ケ国総国分寺とされた」と伝えられているのです。
 源頼朝がなぜ鎌倉に本拠地を置いたのか?
 それは源義家や義朝ゆかりの地というだけではなく、相模国府が事実上鎌倉であり役所の機能のあったせいではないか?そうも言われているのです。
 そしてなぜ鎌倉大仏が高徳院で開眼したのか…それは高徳院は事実上の国分寺であった大寺であったせいだとも言われているのです。
 それならすべて合理的に説明ができ、考古学的事実とも一致するからです。

 全国で官衙跡は発見されており古代史の謎を解き明かしているそうです。
 鎌倉の官衙跡は埋め戻されてしまいましたが、弥勒寺遺跡は長く発掘でききわめて魅力的だと思います。
 「美濃の平城京跡」…本当にそんな感じでした。
 地道に長く発掘し歴史の謎を解き明かしてほしいと思います。
 円空さんが入滅された弥勒寺とはそのようなところであったのです。
 本当に人々に尊敬し亡くなられたのでしょうね。
 即身仏となり永遠にその地を守ろうとされたのでしょう。
 武儀郡からは仙がい和尚も出ておられますし、本当におもしろいところだと思いました。
 長く大切にしていただきたいものだと思いました。

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タグ: 鎌倉 関市 官衙

2013/6/27  4:37

関市の官衙(かんが)跡  仁義(Jingi)
 早寝すると起きてしまい朝まで眠れなくなる・・・でも疲れは早寝した方がとれますね。
 先日関市円空館に行ってきました。
 円空入寂の地も参拝してきましたよ。
 仏像を守るにはよいところで池の上に建物があり、ここなら長く円空仏が守られそうだと思いました。
 ところでここには弥勒寺官衙遺跡群と弥勒寺西遺跡というところがあります。
 円空館はここで自動車を停め、竹林などを歩いて達するわけです。
 長良川のほとりにあり水運よく砂鉄もとれ、かつては美濃の中心地の一つとして栄えた武儀郡(むぎぐん)の群衙跡です。
 今の弥勒寺の前に道があり、弥勒寺官衙遺跡群と弥勒寺西遺跡に分けられます。
 円空様は清貧と旅に生きた人ですが、最後は由緒あるお寺で大切にされ入寂されたわけです。
 平城京跡みたいな感じで遺跡はきれいにしてありました。
 円空様入寂の地の周辺だけ竹林になっており、とても特別なところのように感じられました。
 この関市の砂鉄を使いぎふ清流国体を記念して日本刀も作られたようです。
 出雲のたたらほどではないにしても、ここの砂鉄も良質なのだろうなと考えられました。
 ところで美濃の国府は垂井にあったそうですが、相模の国府の海老名と同様国府としては不便なところであったようです。
 相模では鎌倉に官衙が作られ実際にはそこで政務を行っていました。
 美濃では関市に官衙がありここがきわめて大切であったようです。
 事実上の国府に近い地位であったということで、この遺跡は大切なのでしょう。
 美濃は広大ですのでこれから新たな官衙跡が見つかるのかもしれませんが、関市の官衙跡は規模からいっても国府に近い存在であったと考えられました。
 弥勒寺は大寺ではなくなりましたが、今でもそこにあります。

(今の弥勒寺と弥勒寺官衙遺跡群)
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(弥勒寺西遺跡)
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タグ: 美濃 岐阜 茶話

2013/6/26  1:24

静岡市での害虫との戦い  日記(I love one day)
 静岡にいた時も部屋は独身男性としてはきれいにしていた方だったので、ゴキブリはそう発生しなかったと思う。ただ・・・受水槽の加圧ポンプの熱に向かって集まってくるのはどうにもならず、たまに外からどでかいのが入ってきてなかなかいなくならない。なにぶん苦手なので2時間以上かけて追い出したりしていた。上の方の壁にとまるので大変だった。
 ハエについては一回にんじんを買ったのをすっかり忘れて大発生させたことがあったが、ハエトリ紙で撃退に成功・・・
 一番てこずったのはアリ・・・ある日部屋で大発生して当時発売されたばかりのアリの巣コロリで2回ほど撃退したが、そのあとどういうわけかまったくきかなくなった。外からではなく畳の下から発生しており畳をめくって調べたら穴が開けられ床下から大発生している。
 無駄だとわかっていたが不動産業者に電話・・・予想どおり「シロアリでもなければ駆除いたしません。」とのこと、一応確認しまして薬局に行って相談・・・業務用ではないか?と思われる石灰のような薬を購入した。
 まず畳のアリが出てくるところに散布・・・まったく効果なし。
 畳をはがし床に散布、特に床下からわいて出る穴などには重点散布、畳の上にも出てくるところにはあらためて散布した。
 部屋は本当に石灰をまいたような状況になった。
 臭いもそれなりにあったので・・・
 ある程度の効果があったがアリの数がものすごく、駆除しても駆除しても出てくる。石灰のようにまいてある殺虫剤からアリが砂漠の兵士のように出てきた時は愕然としました。しかし何とか耐えられるぐらいの数になり季節が変わるのを待ちました。
 季節がかわりアリがいなくなると殺虫剤を掃除して除去しました。
 畳の下はそのままにしました。
 静岡での最後の夏でしたので、そのあとどうなったのかはわかりません。
 しかしまあ・・・すごいアパートでしたねえ。
 受水槽の加圧ポンプについては、いくつかアパートをまわって音を観察しました。
 その当時でもそんなに音を感じませんでした。
 私は首都圏出身なので騒音に弱いわけではないのです。
 あれは明らかに故障しているか老朽化が進んでいました。
 交換時期がきていたと思うのです。
 点検をお願いしたら一日か二日で連絡がきて「異常ありません」とのこと…あいかわらずの轟音で「本当に点検したのか?」という感じでした。
 「部品をいくつか変えたそうですよ」と言っていましたが、怪しいものでした。
 普通のアパートの加圧ポンプの十倍は音していましたよ。
 少しの投資で問題はおさまるのにひどいものでした。
 口だけはうまい不動産業者で、バブル時代そのものでした。
 静岡市は好きですが本当に思い出したくありません。 

(6月26日(水))
 ポンプ名と水槽名を正確に直しました。

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タグ: 文芸 教養 楽寿

2013/6/25  7:35

アパートも二重窓には最終的になったのだけど・・・  日記(I love one day)
 静岡市のアパートについては、当然旧式加圧ポンプの轟音を何とかしてほしいと言う、単に音が大きいだけではなく低周波音も入っているので、睡眠している私の足が音がするたびにばたついているというのだ。
 結局加圧ポンプ交換や消音措置を不動産業者が拒否し、その代案として二重窓にすることになった。
 頭痛の治療はしたが結局冬場に病気をしていまい赤十字病院に入院した。
 そもそもその受水槽の加圧ポンプはアパートの横に置くようなものではない、学校や団地の横に置いてある受水槽のような大きさなのだ。しかも学校や団地の横の受水槽の揚水ポンプがあんな轟音を出しているのを聞いたことはない、明らかに部品がだめになって故障しているのだが、見てもらってもその事実はないと言い張りどうにもならず結局二重窓になった。不動産業者もある程度良心的な担当者が一名おり、そのおかげで工事ができ何とかそのアパートに住みきった。
 不動産業者としても大家としても一番負担のかからない方法をとったのである。
 「他の部屋からそんな苦情は出ていない」と言い張ったが、私の部屋の前に住んでいた大学生が、引越にあたり「ここは住めません、荷物が置いてあるだけで私も友人の家に住んでいました。」と聞いていて確認できている。
 私の友人が泊まりにきた時も、「静岡に別の友人がいるので場所かえましょう」と部屋には泊まらなかった。
 やはり「何この音?」と言っていた。誰がきてもそう言っていた。
 根本的な加圧ポンプの問題解決もそんなに難しくなくそうお金もかからないのに、長い交渉の末結局一番お金のかからない方法を選択する。
 とても嫌な雰囲気でした
 バブル時代に全国的に悪質不動産業者と大家、それと地上げ屋が横行し問題になっていた。
 その不動産業者も悪質とまでは言えないが、相当なものだったと思う。
 普通にアパートに使っている受水槽と加圧ポンプに変えれば何でもなかった。
 加圧ポンプの消音工事だってたいしたことはなかった。
 何で壊れかかった加圧ポンプに固執するのかわからなかった。
 粘らなければ二重窓にもならなかったけど、まあひどいめに会いました。
 でも静岡市はよい町ですよ、静岡浅間神社、賤機山、臨済寺・・・大好きでした。
 当時行かなかったところに今度行ってみようかな?
 三嶋大社と楽寿園に行ってそんなことを思っています。
 時間も経過し「思い出」となりやっと書けました。

(6月26日(水))
 ポンプ名と水槽名を正確に直しました。

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タグ: 文芸 教養 楽寿

2013/6/25  1:42

バブル崩壊後・・・  日記(I love one day)
 頭痛の治療をきちんとしたのは社会人一年目、アパートの騒音と社会人一年目の生活が思うにまかせずよく眠れなくなり、頭痛が再発したので社会人となってお金もできたので、誰にも文句を言わせないということで病院に行ってきちんと精密検査を受けて見ていただいた。
 長年懸念していたことは脳には見つからなかった。
 あったとしても長い月日のうちに完治していたのだろう。
 それは本当によかった。

 静岡市の嫌な思い出を少し書いてみましょう。
 社会人一年目のスタートで失敗したのは住むところ、3月に行った時にひどい豪雨と銀行口座を作れということで作った結果時間がなくなってしまい、そう何度も行けるところでもなかったので職場にお願いしてしまったのだが、不動産業者が選んだところがとんでもない部屋で、毎日ものすごい受水槽の加圧ポンプの轟音でまったく眠れなかった。
 引越料金と敷金礼金を支払ってしまうと自分にはほとんどお金はなく、それにすぐ引越してしまうと周辺気を悪くしてしまうし、引越すと当時はまだバブル相場で家賃がどこも高い、かなりの出費なので引っ越せなかった。
 それに当時の静岡市は土日不動産業者が休みという変なところで、もちろんネットなど当時はない、部屋を見つけることができなかった。
 無理に時間を作って同じ不動産業者に言うと頼むと高いところばかり紹介される、新人で6万円以上するような部屋になど住めない。
 当時はバブル崩壊間もなくまだまだ不動産業者が威張っていた。
 今でも静岡市は家賃相場が高いが、当時はバブル相場でさらに高かった。
 埼玉県で大学生の時に住んでいた部屋はたしか3万8千円・・・それでも静岡市のアパートの部屋よりはるかによかった・・・静岡市の家賃はたしか4万2千円(4万3千円だったか?)ぐらいだったと思うが、当時は不動産業者もバブル感覚が強くまったく悪い感覚がなかったようだ。首都圏でもないのに大学時代よりも高い家賃を払って、相当グレードが下がる部屋に住むのは正直しんどかった。
 音だけではなく・・・害虫もひどかったのですよね・・・部屋が殺虫剤で真っ白になるぐらいでした。しかも害虫の大きさが半端ではなかった。
 何でかというと超旧式大型大音響加圧ポンプの真横でしたので・・・受水槽と加圧ポンプに虫が寄ってくる。しかも不動産業者が受水槽を清掃している様子がなく聞いたら実際していないということで生水も恐かった。
 地方に行けばまず何よりも静かな生活ですよ。
 あそこは問題外だったと思うが、せっかく静岡市は富士山も見えて安倍川もあり水も食べ物もおいしいところなのに、住むところの失敗で社会人スタートでつまづいてしまった。
 今は土日不動産業者が休みの町なんて全国どこにもないだろから、そんなこともおきないのでしょうけど、バブル期は座っているだけで不動産業者は儲かったからそんなこともできたのでしょうね。
 土日に不動産業者がやっていれば、ゆっくり静岡市内をまわってよい部屋を見つけられたと思います。
 今では考えられない不思議な世界がバブル期にはありました。
 静岡市はよいところだったのに、不運が重なりいまだによいイメージを持ちきれません。
 当時はバブル崩壊間もなくひどい時代であったのだと思います。
 バブル期の日本はとにかく傲慢で崩壊後もしばらく続いたのです。
 バブル後も変わらない美しさだったのは富士山と安倍川だけでした。

(6月26日(水))
 ポンプ名と水槽名を正確に直しました。

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