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2013/1/11  0:49

「学校の名誉」というプレッシャー  心氣体(fitness)
 桜宮高校の事件を知り、何か中学や高校時代の思い出がいろいろ浮かんでは消え浮かんでは消えている。
 私も高校時代それなりに真面目には生きていても、どこか自暴自棄気味だったのはそのせいかもしれません。
 「学校の名誉」ということばは人を狂わせます。
 高校時代に所属したクラブは私は全然何もできませんでしたが、他の人の活躍で好成績をおさめ続けました。
 スポーツ校にはかなわず優勝はできなかったですけど。
 待遇がよくなり他のクラブに嫉妬されたりもしました。
 今は別の高校となり、統合した両校の伝統が息づいています。
 学校の記録としては残っているのでしょうけど、クラブはもうないし記録の中に忘れ去られていることでしょう。
 今考えると「学校の名誉」というプレッシャーは大変重いものです。
 私が高校時代どこかおかしかったのはそのせいかもしれません。 
 慢性頭痛もそのせいだったのかな?

 中学時代は何とかプレッシャーとも戦えたのですが・・・
 私は中学時代のクラブでやっていたことについては「絶対感覚」がないので、中学を卒業したら趣味として続けるつもりで高校ではやらないつもりでした。今は平凡なあまり強くもないなただの趣味人の世界です。
 私は強引に誘われて二年生から入ったのですが、胸を貸した子が急激に強くなり全国大会にまで行きました。
 実力は同じぐらいなのですが、どうも彼とは相性がよくありませんでした。
 三年時は私は予選で調子がよくなく本戦に進めないと思っていたのですが、前年度の成績で選ばれ前年度を上回る成績をおさめましたが、彼は調子がよくなく入賞できませんでした。
 少し仲が悪くなっていたのですが、前年は二人で校長先生から賞状をいただいたので一人でいただくのも申し訳なく、その年は遠慮させていただきました。
 彼とは卒業後会っていませんが、中学時代の彼は天才でした。

 私は知らなかったのですが、高校時代バスケットボールの有名選手だった学生から指摘され、中学校の同学年に後にバスケットボールで富岡高校で活躍し、シャンソン化粧品を日本一にした女の子がいたことを知りました。
 私は静岡にいたのは二十代前半でしたが、シャンソン化粧品は静岡が本拠地ですので、同窓生が同じ頃に静岡県を盛り上げていたのですね。
 私のいた中学校はのんびりした感じで、個性を伸ばすのにとてもよい雰囲気だったのかもしれません。
 ただ中学も高校も私がいたクラブはもうありません。
 公立高校は指導者がどんどん転勤しちゃいますから、それはどうしても仕方のないことなのかもしれません。
 転勤した先生は別の学校を強くしていくのですから。

 桜宮高校は指導者は傲慢になり、自殺した部長は「学校の名誉のため自分がやらねばならない」というプレッシャーがあったのかもしれません。
 亡くなったのは指導者への抗議でしょう!

 横浜でも生徒のいじめにより自殺した小森香澄さんという女の子がいました。
 その子は「優しい心が一番大切だよ」ということばを残しました。
 その子があこがれた吹奏楽部の指導者中澤忠雄のモットーは「音楽は心」でした。
 そこから紡ぎだされたことばであったのかもしれません。
 学校側は反省の意を示し吹奏楽部の大会出場辞退を言い出した時「それは娘の遺志ではない!」ときっぱり断ったそうです。
 本は申し訳ないがとばし読みです。つらくて読める本ではありません。
 1998年に亡くなられたそうですが、中澤忠雄が亡くなったのは1996年ですから少女の夢を叶える場所はそこにはもはやなかったのかもしれません。

 きっと桜宮高校の亡くなったバスケットボール部長も、バスケットボール部の仲間が試合ができなくなることを求めてはいないと思います。
 指導者は責任をとるべきですが、生徒に青春は与えてほしいと思いました。

 バスケットボールに罪はありません!

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