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2011/12/19  23:49

軍属としての売春婦は存在しない  国軍
 従軍慰安婦問題で、あたりまえですが軍が軍属として売春婦を連れていくような余裕はありません。
 戦場の娯楽はきわめて限られており、日本軍は特に軍紀が厳しかったから戦場で売春婦と遊び惚けていることは不可能でした。
 戦場として占領地としてあたりまえの光景があり、その中に売春婦がいたという程度の話です。
 積極的な売春婦への性病検査は行なっていたと思いますが、日本の公認遊郭以上の対応はしなかったと思います。

 戦後帰還兵が大勢いた時は嘘もすぐバレてしまいますが、だんだんと少なくなり戦場の記憶も薄れてくれば嘘もなかなか論破しづらくなります。
 ただ日本軍の軍紀は「鉄の軍紀」と言われ大変厳しいものでした。
 そういった中で言われているようなことは、おこらなかったと考えます。
 別に日本軍は当時でも腐敗していませんでした。

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2011/12/19  0:08

乃木将軍が農作業を好んだのは軍事訓練の意味もあったのでしょうか?  国軍
 乃木将軍は農作業を好んだり、軍馬と共に馬小屋にいることを好んだりしたことはよく知られます。
 それはそういった素朴な生活が将軍の好みだったこともありますが、農作業は塹壕掘りなどの軍事訓練にも役立つと思われ、実際的な意味もあったのかもしれません。
 旅順要塞戦も要塞周辺は、日本軍の塹壕を中心として陣地だらけだっただろうと思われます。
 当時の要塞戦は空からの攻撃がないため、攻撃側は塹壕戦だったのです。
 二○三高地は海側にある要塞施設を攻撃するのに必要なことでしたが、そこにはロシア軍が強力な陣地を築いており、乃木将軍は別の丘を狙いましたし、現地司令部も参謀も同意見でした。
 しかし大本営と海軍は二○三高地奪取を厳しく命じ求めました。
 児玉総参謀の前線視察は二○三高地やむを得ない政治情勢であることを乃木将軍に伝えること、渋る現地の参謀や司令官に、大本営の厳命であり別の選択肢はないことを伝えるためであったと思います。
 厳命である以上乃木将軍は一所懸命戦いましたが、予想を超える犠牲者のおおさに呆然とせざるえなかったのでしょう。
 しかし二○三高地はロシア軍も懸命に守ったように、まさに旅順要塞戦の天王山であり、日本軍は旭川の第七師団を中心に懸命に戦い、ついに天王山を制し旅順要塞、旅順艦隊、そして日露戦争の勝利そのものを手に入れたのです。

 海軍の秋山真之参謀が確実に立案したと言われるのは、旅順港閉塞作戦だけであったと思われます。これはキューバ戦争において実地で見ていたからです。
 二○三高地については陸軍参謀本部が立案したと思われますが、決戦場となったのはロシア軍がそこをそうしたからで、偶然の要素が大きいと思います。
 日本海海戦については、これは東郷平八郎元帥の直感だと言われております。
 小説だから話が大袈裟になりますが、実際にはそんなところのように感じます。
 秋山真之参謀の功績は、当時最新の海軍理論だったアメリカのマハン理論の日本への紹介にあったと思います。
 アルフレッド・セイヤー・マハンの弟子になったことが、彼の最大の功績だったのです。
 彼も陸軍の川上操六や乃木希典と同じ留学組のエリートであったのです。

 兄、秋山好古将軍のフランス軍に倣った騎兵隊創設の功績も非常に大きかった。
 どちらの方が上とも下とも言い難い話ではありますが、「日本騎兵の父」と言われた秋山好古の功績は、戦車と自動車の時代になっても決して忘れてはならないものです。
 よき騎兵をもった国はすぐれた戦車部隊を創設しているからです。
 日本の今の戦車部隊も騎兵の伝統なしには不可能であったでしょう。
 陸軍の世界では騎兵の伝統もまた永遠です。
 だからこそ競馬は今でもなくならないのだと思います。

 ちょっといろいろ書きすぎました。

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