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2007/12/17  6:05

近畿けいはんな学研都市は鬱蒼(うっそう)とした森だった  進歩主義(progressive)
 私のしごと館があるけいはんな学研都市は、京都府、大阪府、奈良県の境目にある丘陵地帯にあり、私のしごと館建設開始当時は木津町、精華町、山城町が主な自治体でした。
 そのうち木津町と山城町が統合し現在木津川市になっております。

 その中で、平城京建設の木材を運び入れた時代から、河川港として栄えていたのが木津町でした。室町時代の山城の国一揆の時代に、守護の戦ばかりする畠山氏を国人の力で兵を撤退させたこともありますが、京都市からも離れたのんびりしたところでした。
 現在学研都市の中心となっている精華町は、林業がある以外は小さな村程度のところだったようです。ところがその場所の近畿のど真ん中にある立地と、地下に遺跡もなく近畿で唯一大規模開発できる土地であるという事情から、けいはんな学研都市の中心地を作ることとなりました。
 私は土建系ではないのですが、推測できることとして、労働保険が比較的余裕のある財源であることから、通常土地を取得した段階で分譲をしているような状況ではないことが多いのです。
 つまり森を切り、土地の整備をし、最後に建物を建てるまで総工費の中に入っている可能性が高いように思います。
 けいはんな学研都市のインフラに関しては、国からの投資があるとはいえ、木津町が大変な思いをされたようです。
 私のしごと館は木津町と精華町の境界にあり、できる前は何でも境界がわかりづらい状態にあったようです。ですので私のしごと館は木津川市でもあり精華町でもある奇妙な住所となっているのです。
 木津町の人々は、「マンパワーは自分達が提供して学研都市を作った」と思いがひとしおのようです。
 平城京を作り学研都市を作り、山城の国一揆を成功させた誇りともいうべきものがあるように思います。

 豊臣秀吉の墨俣の一夜城も、秀吉が行ったのは最後の建物だけで、そこに至る土地整備は佐々成政らがたしか2年近くかけて行った言われております。最後の建物ばかり目立ちますが、場所によっては土地整備のほうがお金がかかることが多いのです。
 
 あの580億円というとてつもない総工費に秘密は、そこにあるように感じております。

 他の施設も「できた当時はまわりに何もなかった」と聞くことが多いのです。労働保険は比較的余裕のある財源なので、あまり財政的に楽でない自治体が多いことを考えれば、土地整備からはじめることが多いように思います。そのためあとで総工費の数字だけ見ると「何か相場より高いな」と思われてしまい、そこにどす黒いものがあるように思われてしまうと思うのです。

 けいはんな学研都市がもともとどのような状態であったかを記憶に残すため、学研都市記念公園には今でも鬱蒼とした森がそのまま残されています。どのような状態から先人達が努力をし学研都市を建設したかということを記念するためでもあるのです。

 ちなみにある本で読んだのですが、全国で「キ」のつく地名は、古代の有力貴族である紀氏と関係の深い土地であることが多いそうです。和歌山県が紀州で紀氏の本拠地ですが、木津町も紀氏の拠点であったと言われます。強大な水軍を誇り物流を抑えた紀氏の河川港が木津町(現木津川市)なのです。
 わたしの出身大学は埼玉県の比企丘陵にありますが、「ヒキ」であることからこれも紀氏の拠点であったと言われております。実際ある寺への寄進書が郷土史家の手により本で紹介されていたのですが、「紀・・・」という名前が並んでおりました。
 鎌倉時代に北条市と覇を競った比企氏は出自が謎と言われておりますが、私は紀氏であったと思っております。
 実際古代の奥州征伐で紀氏の将軍が派遣されたことがあり、紀氏の関東における拠点が比企丘陵であったと考えられるのです。

 そうしてみると、私が木津町関係の仕事に出会ったのも不思議な縁のように感じられました。

 
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