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2007/7/30  21:47

「生きている兵隊」(石川達三)の慰安所について  汽船(エッセイ)
 昭和を代表する大作家石川達三先生の小説に、「生きている兵隊」という名作があります。
 これは日中戦争(支那事変)の南京陥落後、約一ヵ月後に取材に入った作家が、各一週間づつ首都南京と上海に入り取材し、それをもとに書いたルポ風の小説です。
 私は、石川達三先生は真の文士だと思っているので、その中に嘘はないものと確信しておりますが、その中に南京にあった慰安所の話が出ているのです。

 石川氏が南京に入った直後は、南京には南京市街戦により日中入り混じった兵士の死体がゴロゴロしており、大変悲惨な状態でした。南京市民の多くは難民避難地域に入れられ日本軍の保護を受けており、許可がなければそこから外に出れない状態でした。

 その後治安が回復しはじめ、酒保(飲み屋)や商店が再開する中営業を開始したのが慰安所なのですが、入口で軍票を使い中国人従業員にお金を払い、中に露地のようなものがりいくつかの家から選んで中に入り、中国人娼婦と、まあつまりセックスするというものですが、奇妙なことに中国人女性保護のために入口に憲兵がおり、セックスしている部屋の出入口でも銃剣をつけた状態で警備していたというのです。

 つまり何かあったらその場で刺殺、銃殺か、軍法裁判で極刑ということです。

 おそらくもともと南京にあった売春宿であり、売春宿経営者の要望によるものだと考えられます。軍が管理していたのなら従業員も日本兵のはずですので・・・ 

 慰安所についていくつか読んだのですが、軍人会館や、戦死者の霊安所として使っていたなどという話もあります。どうも全体的にいうと現地の軍人会館のイメージが強いのです。

 ただ南京にあったそれは、建物の構造からいって、南京にもともとあった売春宿を、軍が許可して営業を再開したということのように感じられるのです。
 いかにも売春宿経営者が軍に貢献しているように見せるために、「慰安所」と銘打ったのではないでしょうか?ちなみに韓国人がいたということは書いてありません。
 軍人が管理していないので、公営では明らかにありません。
 最前線までは石川先生は行っていないので、後方の南京における話です。

 ただ南京市街では、いまだに略奪や泥棒が相次ぎ、便衣兵と呼ばれる私服を着たり日本兵の軍服を死体からはがして着た、元中国軍兵士による略奪や放火、そしてどうも本物の今でいう中国正規軍の特殊部隊、つまり都市ゲリラ部隊も混じり、夜間頻繁に放火を行うため、とうとう市街の2/3が焼けてしまいました。

 中華民国軍は南京の無防備都市を宣言せず、重慶を指して政府が逃げてしまい、南京に残された司令官も兵士を見捨てて逃げてしまい、南京は大混乱になってしまったのです。
 都市ゲリラ部隊は日本軍駐屯地周辺に放火を行い、夜間爆撃のかがり火に使っていました。日本兵も天下の要害南京市街戦と、占領後のあまりの事態に士気が低下してしまいました。

 一方酒保(飲み屋)をしながら紙屑となった中華民国の紙幣を集めて、まだ円と交換できる上海に持っていく利ざやを稼ぐ、日中双方の悪徳商人が蔓延していることも石川先生は批判しております。

 金持ちの家に日本兵が入り、抗議されたら「日本軍政下なのに抗議するか!」というような態度をとった兵士の批判、勝ったからといって負けた中国人娼婦を買いに行く、一部兵士を批判しております。

 銃を持つ若い女性を、スパイ容疑で殺害した兵士の狂気と懺悔の気持ちも書いております。

 全体のスタンスからいって戦争の悲惨さ、「聖戦を汚す日本人」を批判しております。一方多感な青年の戦争への空しい気持ち、首都南京が陥落しても続く戦争、最後は再び戦地に兵士が出動するところで終わっております。
 
 治安が回復すれば売春宿に憲兵もいなくなったでしょう。現地司令部が南京の治安回復と、軍紀の弛緩にピリピリしている一方で、終戦後の東京都同じくたくましく復興しようとする南京市民の姿もあるように思うのです。

 「あの話はあくまで小説」という話もありますが、真実に基づく小説です。ですが一方で当時に日本人のモラルの厳しさもわかります。悪質の反日プロパガンダをしている人は、買春旅行を韓国人より先に日本人自ら問題にしたのを見て、「日本人はこのテの話にきわめて敏感、プロパガンダを行えば必ず成功する。」と考えたように思うのです。

 慰安所の描写のほとんどが反日プロパガンダで、他に中国人を斬首している日本兵も、その多くが左足を前に出し、それでは自分の足を切ってしまうため、プロパガンダ用に創作された写真であろうと言われています。

 有名な上海の公園にあったという、「犬、猫、支那人は入るべからず」という看板が、その後上海に住んでいた白人から、「そのような看板は見たことがない」という抗議で中国政府の悪質プロパガンダがばれ、ついに中国政府が引っ込めた例もあるのです。冤罪をはらすことをあきらめるべきではありません。

 戦争の悲惨さや、一部兵士の軍紀違反があっても、大抵の兵士は聖戦を信じ戦い、その一方戦争の行く末に不安を持ちながら戦い、そして石川先生の取材して兵士も、戦死したのかもしれず、「西部戦線異状なし」のような、戦争の悲惨さを書いたのだと思います。

 今日図書室で整理していて久しぶりに会いました。整理でパラパラめくっていたら慰安所の話がたまたまあって、帰宅してゆっくり読みました。これも何かの運命だと思いましたので書いてみました。

 お金を払い入店しする現地の売春宿、他の地域の証言などでは現地の軍人会館、慰安所とはそのようなものであったと考えられます。戦争が長期化し、長期駐屯する兵士のために必要になったものだと思われます。

 皆青年ですし、「生きている兵隊」を読んでも、当時かなりモラルに日本兵は厳しかったようですので、言われるようなことはなかったと確信しまします!

 戦争とは悲惨でいろいろな出来事がある。ただそれだけだと思います。
 
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