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2007/7/3  6:03

江戸時代も遠くなり・・・(市民道について)  社会的市場経済(Soziale Marktwirtschaft)
 私が子供の頃には、まだ明治生まれのの人が大勢いましたし、江戸時代生まれの人もまだまだいました。
 戦前までは江戸時代生まれの人がもっと大勢いました。子供の頃は時代劇を見ても、あまり遠い昔には感じなかったものです。
 「天保生まれ」ということばもあったらしい、明治からの元勲には天保に生まれた人が多かったからだという。
 しかし今年は神戸開港140周年、平成21年には横浜開港150周年です。
 開港からそれだけたったということは、それだけ江戸時代が遠くなったということなのではないでしょうか?それは武士の世から遠くなったことを意味します。

 武士道とは武士が信じていた思想であり、明治維新以降は市民が信じる徳目として引き継がれてきました。それはイギリスにおいて紳士道をブルジョア(市民)が引き継いだのにも似ています。
 最近、「私達は鎧(よろい)をきていたのではないか?」と思うことがあるのです。
 新井白石は宣教師シドッチより、西洋の軍人がもはや鎧をつけないことを知り、その勇気に感嘆しています。
 そしてふと思ったのですが、西洋においても中世以降は市民(ブルジョア)を中心とした社会が作られ、彼らは大航海時代後世界に乗り出していった。どの国にも指導者となれる市民がいて、勤勉と節約を美徳とし、一夫一妻制をよしとする、新しい道徳と文化を作っていきました。そこには「市民的文化人」(これは私の先生のことばですが・・・)を中心とする、「市民道」とも言うべきものがあったのではないか?と思ったのです。

 私は聖人君子ではなく、他人に道など教えることなどできませんが、このことばにより、西洋的な「市民(ブルジョア)」と、東洋的な「道」を融合させた中に新しい価値観が作れるような気がしたのです。

 明治維新以降、日本は少しずつ市民社会をお作ってきました。イギリスにおいても臣民の主力は市民(ブルジョア)であり、彼らが王制を支えているのです。
 夏目漱石は四民平等により国民全員が武士になったと言いましたが、それは明治維新以降の、市民社会のはじまりを宣言するものであったように思うのです。
 イギリスでは富裕な市民は爵位を与えられることもあります。日本にも戦前ありましたが、それにより市民指導者と王制につながりを作っているのです。
 日本でも、今の皇后様が市民出身であることは、実に象徴的であると思います。

 市民はそう気づかないだけで、各国の文化と伝統にもとづいた市民道があります。
 日本にも、東西文化の融合した新しい日本的な「市民道」があるように思います。

 そして韓国には韓国の、中国には中国の、台湾には台湾の、それぞれの歴史と文化にもとづいた市民道があるように思うのです。
 豊かになったからといって、朱子学的世界に戻ることは馬鹿げています。

 日本も軍隊を、大正の頃までは「皇軍」ではなく「国軍」ということのほうが多かったということです。明治の元勲は江戸時代のよいところも悪いところも知っており、それを克服しようとしたのだと思います。軍刀も山県有朋が生きているうちは日本刀を認めず、西洋式サーベルしか認めなかったといいます。一見古く見える人物にも、明治維新を生きた人は、そこにやはり東西文化を融合させた、新しい市民社会をめざす気持ちがあったように思うのです。

「市民道」ということばが正しいのかわかりませんし、私は聖人君子ではありません。
 しかしそれはたしかにそこにあるように思うのです。「市民的文化人」が中心となった日本的な「市民道」が、そこに今あるように感じられてならないのです!
 そして多くの人がすでに感覚的に行っていますが、私達は鎧を脱ぐことができるように思うのです。
 そして身軽になることで、成長の限界を越えることができるように思うのです。
 私のしごと館なども、しごと通じ「楽」な気持ちで「市民道」を学ぶことに目的があるのではないでしょうか?最近はそのように思います。 
 
 
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