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2007/3/14  21:35

しばらくネット上は近畿におります!  お知らせ
 ゲンチーズでもちろん私は通常神奈川におりますが、神戸港湾カレッジの最終募集の終わる3月20日(火)まで兵庫におります。
 ブログピープルもそれまで兵庫に出張します。
 1日か2日は大阪にいる予定です。そのため少し記事がいつも読んでくださる坂東の方から見ると変な感じになるかもしれません。
 そのためもあって、最近近畿関係の記事を増やしておりました。
 一応定員は確保していると聞いておりますが、辞退者でたら危うい人数なのと、あそこは校舎も新しくまだ人を入れられるので「やる!」ということです。
 近畿の皆様、なにとぞ炎上させないでください。
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2007/3/14  6:05

「天主 織田信長」がめざした新しい武家政治の姿  文化国家(Kulturstaat)
 私の勝手な想像は専門家の方とやりとりしたとき、「歴史学とは古文献を読み、考古学で地道にやるものですよ」とたしなめられたこともありますが、どうもすみません。

 天主の由来ですが、織田信長が岐阜を本拠地としたとき、岐阜を中国周王朝の武王が殷を亡ぼすにあたり出陣した岐山と、孔子の故郷曲阜とあわせ岐阜としましたが、岐阜城の
麓にあった豪華な館の佳名を、京都嵯峨天竜寺の策彦周良(さくげんしゅうりょう)にお願いしつけた名前が「天主」なのです。

 これは策彦周良和尚が、織田信長のなるべき姿を示したもののように思います。
 信長が天下布武の印鑑を用いだしたのもこの頃だといいますし、「天主」は岐阜の館のみならず、自分自身がめざすものの姿であったと思います。

 織田信長は「天主を中心とした武家政治」をめざしていたと思います。
 それにより幕府、古い名称を嫌えば天主府のような新しい名称をつけて、貴族組織から離れた新しい武家政治をめざしたと思います。
 その基盤は琵琶湖、淀川の水運です。
 最上流の安土と最下流の大阪に城を築き大阪城を本拠地とする。
 その途中に京都があり、鬼門を安土城が、裏鬼門を大阪城が守る計画であったように思うのです。
 織田信長は内裏の修築をしたり、公家に土地を与えたりして相当の勤皇家でもあります。公家が織田信長の命を狙ったという説については、もしそうだとすれば恩知らずもはなはだしいと思います。

 もし「天主」という新しい武家の棟梁が認められればどうなっていたか?
 原則として源氏にしかなれない征夷大将軍と、藤原氏にしかなれない関白と違い、天主
は血筋に問わず誰でもめざせるものです。織田信長は出自や血筋にこだわらない人物であり、これはきわめて重要なことです。
 天皇と天主は「皇」と「主」の文字を比べれば、皇の方がより尊いものなので、天皇陛下が天主より上の身分であることは間違いありません。
 そして天主のしごとは「天下のために働く」ことです。それは織田信長が自ら模範を示しました。
 「天主」という新しい地位により、新しい武家政治がうまれれば、近畿は今でも日本の首都が置かれて坂東(関東)を圧倒していたかもしれません。

 「天主」の血筋を問わないことは重要です。アメリカでは建前上誰でも大統領をめざせることで社会が活性化しています。
 今は総理大臣が「天主」の地位にあり、天下のために働いておりますが、徳川家康が征夷大将軍となることにより断ち切られた「天主による政治」、「出自、血筋を問わず誰でも天主をめざせる社会」でも作れば、アメリカのような活力ある社会が日本でも実現できるのかもしれない!そのように空想してしまいます。
 豊臣秀吉も「天主」の流れにある人でしたが、伝統的な「太閤」のみで満足してしまいました。
 「天主」の伝統こそ復活させるべきものなのかもしれません。
 「原則として誰でも天主をめざせる社会・・・」、「原則として誰でも大統領をめざせる社会・・・」、すばらしいことではないでしょうか?この考え方ができれば日本に起業家がどんどん生まれる気がします。
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2007/3/13  5:59

神戸港湾カレッジでは3月20日(火)まで応募受付中です!!!  お知らせ
 昨日まで横浜港湾カレッジでは応募受付をしていたのですが、おかげさまで予想以上の御応募をいただいたということで、大変ありがとうございました。
 御期待に応えられるような、立派な短大になれればと思います。

 神戸港湾カレッジの最終応募受付は、3月20日(火)までということで発表になりました。港湾技術科(物流技術科)なのですが、こちらは校舎も新しいし、交通の便もよく、春にはポートアイランドそのものが「学問の地域」となりますので、神戸圏内の方で御興味のある方は、ぜひ問い合わせしてあげてください。
 下のリンクは二年制はやっていたものの、まだポリテクセンター神戸港といっていた時代の感動的な記事です。

 左の紹介リンクも3月20日(火)まで、横浜港より上にさせていただきます。

 http://www.kobe-np.co.jp/sinsai/95minato/950817minato.html
 (阪神大震災 ミナト便り/復興とともに)
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2007/3/12  6:03

織田信長の安土城「天主閣」の哲学  文化国家(Kulturstaat)
 織田信長晩年の居城安土城において、常に不思議に思われていることは、通常「天守閣」と言うところを「天主閣」と言ったことです。
 これはきわめて異例なことで、当時キリスト教を天主教とといったことから、「信長はキリスト教に傾倒していたのではないか?」という説から、「安土城にあった惣見寺という寺が神格化された信長を祀っていたので、晩年信長は自らを神として天皇への反乱を企んだのではないか?」という説から、いろいろ憶測が流れました。
 これは私なりの勝手な推測なのですが、「天主」とは、織田信長が晩年につこうとした新しい「地位」の名前ではないか?と思うのです。
 織田信長は天下布武というスローガンや、天正が「天下を正す」という意味のとおり、「天下」ということばを好み、彼の生き方そのものも「天下のために生きる」人生でした。
 天主ということばは「天下の主人」という、きわめて単純な意味で、宗教的な意味はないと思うのです。
 織田信長は天皇から恐れ多くも右大臣の地位を与えられますが、貴族の位を好まずすぐに返上しております。
 源氏の場合「征夷大将軍」という、貴族組織から分離した幕府を開ける治まりのよい地位がありますが、それ以外の氏族にはそれがありません。
 豊臣秀吉は征夷大将軍の地位の望みましたが、源氏でなかったため果たせず、新しく「源平藤橘」と並ぶ「豊臣」という姓を新たに恐れ多くも天皇陛下からいただき、自らを権威づけようとしましたが、結局貴族化してしまい、長続きしませんでした。
 では「天主」という地位がもしあったらどうか?
 おそらく信長は南蛮人から「天主(神)とは王を守る存在である」ということを聞いていたと思います。
 日本人にとって神は人もなれるものであり、死ぬと神となります。
 東西文化が融合すると、「天主とは天皇陛下を守る武家の棟梁の意味」ということではないか?と思うのです。
 源頼朝も死後祀られたところは「法華堂」といったので、「惣見寺」もそれほど不自然なものではないのです。
 たしかに誤解を招く表現ではありますが、織田信長は堕落した延暦寺を焼く一方、武家の象徴であった石清水八幡宮を修理したり、他にも天皇陛下と武家の権威の復活に努めております。「天下のために生きる」織田信長にとって、天下のためにならないものには厳しいのですが、彼も日本精神文化の伝統の上に生きてはいるのです。
 足利将軍家を京都より追放した彼にとって、「征夷大将軍」は古い地位であり、「天主」とはそれに変わる、武家の棟梁の新しい地位の構想ではなかったのか?と思うのです。
 おそらく彼は後で大阪城を建設し新しい天主閣を作り、大阪に天主を中心とした幕府(もしくは天主府)を作ろうとしていたのだと思います。
 その後安土城に「初代天主」として隠居し、日本の天下は大阪に置く長男の信忠にまかせ、自らは海外の貿易に関心を持ち、海外に雄飛したいと思っていたのではないかと思います。
 淀川、琵琶湖水運の最上流に琵琶湖の安土城があり、淀川下流に新しい拠点大阪に幕府(もしくは天主府)が開かれ大阪城がある。
 新しい武家の棟梁の名称である「天主」が北東と南西から京都を守る。きわめて具体的でわかりやすいと思います。
 何も不思議なことはありません。
 「天主閣」とは「天下の主人」の象徴であり、新しい武家の棟梁の地位の名称として織田信長が望んだものものであったというのが、私なりの推測です。
 武家と政党とは違いますが、今でいえば「天主」とは、「天皇陛下を守る武家の棟梁の、今で言えば総理大臣のような地位」であったと私は思うのです。
 「天主」という地位がもしあったら、どのようなものになっていたのでしょうか?想像がかきたてられます。
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2007/3/11  14:10

安倍総理が神戸製鋼加古川製鉄所を訪問  汽船(エッセイ)
 昨日、安倍総理大臣が昔神戸製鋼におられたとき勤務経験のある、神戸製鋼加古川製鉄所を訪問しました。
 何でも昭和55年5月から9か月間工程課厚板係として勤務されたということで、建設中の新高炉に入れるブロック(レンガみたいな感じだったけど?)に自分の書を書かれていました。
 高炉は3月にもできるということです。
 神戸製鋼は鉄冷えのみならず、阪神大震災において高炉に大損害を受けたということで大変だったということです。
 また神戸製鋼が神戸市灘浜地区に神戸製鉄所を建設し、銑鉄から鉄鋼までの一社で行う「銑鋼一貫体制」を築いたのは、昭和34年(1959年)ということ、こちらも大変な苦労があったということです。
 華麗なる一族は60年代後半の話ですが、あの話も「銑鋼一貫体制」をめざす鉄鋼マンの夢にかける話なのです。
 ちなみに日本鋼管において活躍したトーマス転炉は、川崎市民ミュージアムの前庭にあります。
 これは高炉において作られる銑鉄は不純物が多いためそれを取り除くためのもので、高炉→転炉→圧延へと続く製鋼を支えるものであり、昭和12年(1937年)にイギリス人シドニー・G・トーマスが開発し、ドイツで普及していたこの転炉を導入、翌年昭和13年(1938年)から昭和32年(1957年)まで、川崎にある日本鋼管京浜製鉄所で活躍しました。
 日本鋼管は民間企業としてはじめて銑鉄一貫体制(製鋼一貫体制)をとったのは昭和11年(1936年)ですが、このトーマス転炉の導入によりそれは軌道にのり、日本鉄鋼業の繁栄に貢献したのです。
 華麗なる一族は、当時神戸製鋼が銑鋼一貫体制を実現した余韻が残る中での作品なのかもしれません。
 神戸製鋼は高炉建設に成功し、その前に日本鋼管も成功していました。
 高炉建設がすべて敗れるわけではないし、その後マネーゲームに狂奔した金融マンの成功こそいかにはかないものであったことを、歴史は示しているのです。

 http://www.kawasaki-museum.jp/
 (川崎市民ミュージアム)

 http://www.gijyutu.com/ooki/gijyutsu1.htm
 (技術科@スクール このコンテンツも参考にしました!大変おもしろいです。)

 http://www.gijyutu.com/
 (技術ドットコム 技術@スクールの本体)
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