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2006/10/9  8:04

日本の立憲主義の伝統  金城(エッセイ)
 最近ボーと本を見て、戦前の二大政党の正式名称は「立憲政友会」と「立憲民政党」で、両方とも「立憲」ということばがついていることをあらためて発見しました。
 言うまでもありませんが、立憲とは「立憲主義」のことで「憲法を守り、議会を中心に政治を行う」ということです。
 「そんなことあたりまえではないか?」と言われそうですが、アジア最初の憲法(大日本帝国憲法)を制定した日本はアジアの奇跡でした。
 それまでアジアにおいては、律令(りつりょう)はあっても、国の礎(いしずえ)を定める憲法は存在しませんでした。
 皇帝と王様、そして貴族が絶対の時代だったのです。
 憲法を制定するということは、皇帝や王様が立憲君主になることを意味し、それはアジアの伝統においては考えられないことでした。
 立憲主義に対立するものとして絶対主義があります。
 日本においては「薩摩、長州、土佐、肥前」出身の元老が中心となった枢密院(すうみついん)を中心とする、事実上は元老中心の、天皇親政を理想とする政治です。
 戦後は元老制度もなくなり、ことさら「立憲主義」を強調する必要もなくなったということのようですが、最近のあまりに多いいろいろな事件を見ていると、あらためて「立憲主義」を強調する必要があるような気がするのです。
 戦前の二大政党は立憲主義では一致しており、立憲主義は二大政党や他の政党をつなぐ唯一の考え方だと思われます。
 言うまでもなく民主主義は自分勝手とは違い、「きまりごと」の上に成り立っていることはたしかです。
 特に民主党はガセネタメール事件、不倫事件等不祥事が続出しており、その背景には「立憲主義の欠如」があるような気がしてならないのでです。
 日本の民主党は「アメリカ民主党日本支店」ではないし、ヨーロッパでルイ・ブランら社会主義者が名乗った民主党とも違います。
 しっかりと日本の憲政(けんせい)の伝統にあった「立憲民主主義」の礎(いしずえ)の上に立ってほしいと思います。
 日本人は憲法九条に対する態度に見られるように、「立憲主義」が西側諸国の中でももっとも強い国民だと思います。
 改憲にしても、個人の恣意(しい)にもとづかない、「新しい立憲国家を作る!」という強い意志が必要だと思います。
 その伝統を破れば、とんでもしっぺ返しがくることを不祥事をおこした議員は知るべきだと思います。
 大正時代の大正自由主義と立憲民主主義は、戦前の日本の絶頂期を支えた思想でした。
 大正天皇ははじめて東京の陵(みささぎ)で眠ることになった天皇であり、まだ健康であられた時、日本は民本(みんぽん)主義のもと、大正自由主義と立憲民主主義によりものすごいスピードで民主化、改革が進み、第一次世界大戦の戦勝国となり、国際連盟常任理事国となりました。
 大正天皇は皇室における一夫一妻制を事実上確立し、そのあたたかいお人柄で家族主義的な新しい皇室のイメージを作られ、それ以後天皇がお隠れになっても、皇后が皇太后となることもなくなりました。
 貞明(ていめい)皇后(大正天皇の后)の、強い意志があったとも言われます。
 大正天皇があまりにも早くお隠れになったことにより、最大の保護者を失った日本の民主主義が長く迷走したことを考えると、大正自由主義と立憲自由主義、特に日本伝統の「立憲主義」は想像よりずっと重いのかもしれないと思いました。
  
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