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2006/9/17  10:28

「横浜商人の太祖」−中居屋重兵衛  文化国家(Kulturstaat)
 横浜の有隣堂で出版されている本で、「炎の生糸商 中居屋重兵衛」という本があります。
 横浜商人といいますと、天下の名園「三溪園」を造った原三溪や、野澤屋(現横浜松坂屋)の茂木惣兵衛が思い出されますが、彼らの先輩商人であり、横浜開港当初の「伝説の大商人」であります。
 横浜が戦前まで「生糸商人の街」であったことはよく知られております。
 生糸商を誰がはじめたか今でも議論があるのですが、二つ証言があり、中居屋重兵衛という説と、野澤屋の創業者、野澤屋庄三郎という説と二つあります。
 私の推測ですが、同じぐらいの時期に横浜商人の方々に、「生糸を商品として扱わないか?」という北関東の商人からの売り込みがあり、野澤屋庄三郎がまず扱いだしたものを、横浜一の大商人であった中居屋重兵衛が、「これは外国への輸出品となる!」と目をつけたところからはじまったのではないでしょうか?
 野澤屋のほうは、後の古老の生糸持ち込みの証言が具体的であるのに対して、中居屋は具体的なものがなく、生糸については野澤屋に軍配をあげたいと思います。
 私は「横浜生糸商の太祖」としては野澤屋庄三郎であり、「横浜生糸商の太宗」が中居屋重兵衛であったと考えております。
 中居屋重兵衛の偉大なところは、彼が商業資本家と産業資本家の二つの顔を持っていたということです。
 中居屋はすでの江戸において成功した豪商であり、彼は火薬の調合や理化学の造詣があり、科学者として商品を開発するだけではなく、文人として文章を書いて本まで出版する、蘭学やおそらく漢学にも詳しいルネサンスの「万能の天才」のような人物であったということです。
 後の原三溪も文人として高名でしたが、中居屋重兵衛も文人として高名だったのです。
 彼は幕府の命令で開港間もない横浜に移住してきて、そこで「外国に対する生糸貿易」・・・つまり、「外国に売れる商品を開発し売り込む」という、横浜だけでなく日本の貿易成功のモデルを作ったというところに偉大さがあったと思うのです。
 彼が作った銅葺(どうぶ)き屋根の横浜本町にあった中居屋は、「銅(あがね)御殿」と言われ横浜の名物となりましたが、武器商人であり勤皇の志士にも武器を売り友誼を結ぶ中居屋は、「お上を怖れぬ不届者(ふとどきもの)」と見なされ、「銅は御禁制の品である」と難癖(なんくせ)をつけ牢屋に入れてしまいました。
 後日釈放されながら、すでに再帰不能の状態であったらしく、数年後に流行の麻疹(はしか)で亡くなったということです。
 彼こそ横浜の商業資本家、産業資本家の双方に偉大さのある「横浜商人の太祖」というのにふさわしい商人であったと思います。
 彼は「正直」を信条としていたらしく、それが幕府の理不尽な命令に反発させ弾圧を受けました。
 後の横浜商人が「謙譲」を信条とし、東京に異常なまで気を使ったのは・・・そのせいなのかもしれません。

 
 
 
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