2006/8/6 8:11
「原爆の図・丸木美術館」の番組を見て 文化国家(Kulturstaat)
テレビ東京「美の巨人たち」で「原爆の図・丸木美術館」をやっておりました。
私が丸木美術館に行ってから何年たったでしょうか?あれは大学に入り間もない頃でした。
大学が東松山市にあり、元ワンゲラーだった私は周りの自然にすっかり魅せられていました。
右膝や腰の古傷も当時は悪化していなかったので、頻繁に木曾義仲関係の史跡等も見るのと共に散策を楽しんでいました。
ある日散策を終えて帰っていくと、いきなり「丸木美術館」という大きな道標にあたりました。
地図で美術館があることは知っていたのですが、あまり当時は興味がなく、何があるのかも知りませんでした。
「ちょっと立ち寄ってみようかな」と思い行ったのですが、受付に人もなく、改装中らしく「トン・トン・・・」という槌音(つちおと)だけが続いていました。
タダで入っても悪いと思い「誰かいませんかー!」と声をかけました。
槌音は一瞬止まりましたが、また「トン・トン・・・」とはじまりました。
「こんな時間に誰がきたのかな、いいよ・・・お入りなさい」と言っているようでした。
そしていきなり出会ったのが「原爆の図」でした。
それと多くの写真、気持悪くなりました。
中国の歴史で清軍が明帝国にとどめをさすべく南京に突入し、ある士大夫の邸宅に立ち入ったとき、全員覚悟を決め自決しており、その凄惨な光景に勇猛をもってなる満州八旗も後ずさりして後ろに引いた話を思い出しました。
死者の霊がうめきながら何かを語りかけている気がしました。
テレビでは決してわからない凄惨な絵です。
薄暗かったので、なおさらすさまじく見えました。
あれは明るいところで見る絵ではありません!あれは薄暗いところで自然の薄明かりに近い光で見ないと、あの凄惨さは見えないと思います。
少し吐き気を覚えながら外にでると、お地蔵様と多くの供養のためと思われる色鮮やかな折り紙、紙細工が目に入りました。
そして都幾川の方に目をやると、たしかに美しいのですが三途の川のよう見えました。
気のせいか多くの霊が浮遊しているように見え、川の水面(みなも)からばんやりとしているのですが、浴衣のような夏の着物を着ているらしい若い女性がこちらを見ている気がしました。
「立ち寄ってくれてありがとう」というような感じで、微笑んでいるように思えました。
他の霊は水の上を漂いながら、「何だよ!俺達はここでのんびりしているんだ」という感じでした。
おだやかに休んでおられるようでした。
そしてその幻からさめると、元の静かな清流に戻りました。
お地蔵様がこちらを見ていました。
二階は当時たしか入れなくて、テレビで見た原爆の図すべては見れなかったようにも思います。
「また行ってみようかな」とも思いました。
丸木夫妻は当時まだ生きて生活しておられたようですが、二階におられたのでしょうか?
原爆の図と共に多くの原爆犠牲者の慰霊のため、あの美術館は存在するのだと思います。
原爆関係では木下恵介監督の長崎原爆を扱った「この子を残して」がよいと思います。
「はだしのゲン」は最近見なくなりましたね。悲惨すぎるせいでしょうか?
ところで丸木美術館での印象と、同じような印象を持ったところがあります。
それは靖国神社内にある「遊就館」です。私はイデオロギーへのこだわりがないので、戦没者の遺品を見て思うことは原爆の図とかわらないものでした。
深い悲しみと強い憎しみ・・・戦争への恐怖・・・国を守る大切さ・・・いろいろな感情が入り混じったものです。
「遊就館」ではたしかに軍隊行進曲が流れているところもありますが、遺品を一つ一つ見ていくと遠くなりいつか聞こえなくなります。
そういう展示になっております。
すぐ隣に慰霊施設があるせいか・・・あまり気持悪くないのです。
私は千鳥が淵戦没者墓苑に行っても気持悪くなるのです。
あの下に故郷に帰れない白骨があると思うと・・・たまらない気持になります。
国内にいて虐殺された人、国外で国のために死んでいった人。
多くの青春を奪われた若者、その若者の帰りを待ちわび殺された人々・・・いずれも決して忘れてはならない人達だと思いました。
「こう思わねばならない」というのは「原爆の図」を見て私はないと思います。
原爆の図は誰でも一生に一度は見るべき、また見られる機会を美術館側も作るべきだと思います。
あとちょっと話しはそれますが、「あったかも知れない日本」(橋爪信也著 紀伊国屋書店)を読んで思うことがありました。
靖国神社境内の大村益次郎像のあるあたりに慰霊碑でもあってよいのではないでしょうか?公園のランドマークになるような・・・。
大村益次郎像は遊就館を国外と同じ戦争博物館にして、その玄関ホールにあってよいと思うし、防衛大学校のキャンパスにあってもよいようにも思います。
原爆、空襲・・・戦争犠牲者すべてを慰霊するものがあってもよいようにも思います。
これは余計なことかな・・・
ともあれ今日は「広島 原爆の日」です。
書いていて「原爆の図」を思い出しまた気持悪くなりました。
あのときは叫びそうになりそうました。
どういうわけか少数意見のようですが、慰霊はイデオロギーを超えるべきものだと私は思います。
政治的なものにするのは誤りだと思います。
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私が丸木美術館に行ってから何年たったでしょうか?あれは大学に入り間もない頃でした。
大学が東松山市にあり、元ワンゲラーだった私は周りの自然にすっかり魅せられていました。
右膝や腰の古傷も当時は悪化していなかったので、頻繁に木曾義仲関係の史跡等も見るのと共に散策を楽しんでいました。
ある日散策を終えて帰っていくと、いきなり「丸木美術館」という大きな道標にあたりました。
地図で美術館があることは知っていたのですが、あまり当時は興味がなく、何があるのかも知りませんでした。
「ちょっと立ち寄ってみようかな」と思い行ったのですが、受付に人もなく、改装中らしく「トン・トン・・・」という槌音(つちおと)だけが続いていました。
タダで入っても悪いと思い「誰かいませんかー!」と声をかけました。
槌音は一瞬止まりましたが、また「トン・トン・・・」とはじまりました。
「こんな時間に誰がきたのかな、いいよ・・・お入りなさい」と言っているようでした。
そしていきなり出会ったのが「原爆の図」でした。
それと多くの写真、気持悪くなりました。
中国の歴史で清軍が明帝国にとどめをさすべく南京に突入し、ある士大夫の邸宅に立ち入ったとき、全員覚悟を決め自決しており、その凄惨な光景に勇猛をもってなる満州八旗も後ずさりして後ろに引いた話を思い出しました。
死者の霊がうめきながら何かを語りかけている気がしました。
テレビでは決してわからない凄惨な絵です。
薄暗かったので、なおさらすさまじく見えました。
あれは明るいところで見る絵ではありません!あれは薄暗いところで自然の薄明かりに近い光で見ないと、あの凄惨さは見えないと思います。
少し吐き気を覚えながら外にでると、お地蔵様と多くの供養のためと思われる色鮮やかな折り紙、紙細工が目に入りました。
そして都幾川の方に目をやると、たしかに美しいのですが三途の川のよう見えました。
気のせいか多くの霊が浮遊しているように見え、川の水面(みなも)からばんやりとしているのですが、浴衣のような夏の着物を着ているらしい若い女性がこちらを見ている気がしました。
「立ち寄ってくれてありがとう」というような感じで、微笑んでいるように思えました。
他の霊は水の上を漂いながら、「何だよ!俺達はここでのんびりしているんだ」という感じでした。
おだやかに休んでおられるようでした。
そしてその幻からさめると、元の静かな清流に戻りました。
お地蔵様がこちらを見ていました。
二階は当時たしか入れなくて、テレビで見た原爆の図すべては見れなかったようにも思います。
「また行ってみようかな」とも思いました。
丸木夫妻は当時まだ生きて生活しておられたようですが、二階におられたのでしょうか?
原爆の図と共に多くの原爆犠牲者の慰霊のため、あの美術館は存在するのだと思います。
原爆関係では木下恵介監督の長崎原爆を扱った「この子を残して」がよいと思います。
「はだしのゲン」は最近見なくなりましたね。悲惨すぎるせいでしょうか?
ところで丸木美術館での印象と、同じような印象を持ったところがあります。
それは靖国神社内にある「遊就館」です。私はイデオロギーへのこだわりがないので、戦没者の遺品を見て思うことは原爆の図とかわらないものでした。
深い悲しみと強い憎しみ・・・戦争への恐怖・・・国を守る大切さ・・・いろいろな感情が入り混じったものです。
「遊就館」ではたしかに軍隊行進曲が流れているところもありますが、遺品を一つ一つ見ていくと遠くなりいつか聞こえなくなります。
そういう展示になっております。
すぐ隣に慰霊施設があるせいか・・・あまり気持悪くないのです。
私は千鳥が淵戦没者墓苑に行っても気持悪くなるのです。
あの下に故郷に帰れない白骨があると思うと・・・たまらない気持になります。
国内にいて虐殺された人、国外で国のために死んでいった人。
多くの青春を奪われた若者、その若者の帰りを待ちわび殺された人々・・・いずれも決して忘れてはならない人達だと思いました。
「こう思わねばならない」というのは「原爆の図」を見て私はないと思います。
原爆の図は誰でも一生に一度は見るべき、また見られる機会を美術館側も作るべきだと思います。
あとちょっと話しはそれますが、「あったかも知れない日本」(橋爪信也著 紀伊国屋書店)を読んで思うことがありました。
靖国神社境内の大村益次郎像のあるあたりに慰霊碑でもあってよいのではないでしょうか?公園のランドマークになるような・・・。
大村益次郎像は遊就館を国外と同じ戦争博物館にして、その玄関ホールにあってよいと思うし、防衛大学校のキャンパスにあってもよいようにも思います。
原爆、空襲・・・戦争犠牲者すべてを慰霊するものがあってもよいようにも思います。
これは余計なことかな・・・
ともあれ今日は「広島 原爆の日」です。
書いていて「原爆の図」を思い出しまた気持悪くなりました。
あのときは叫びそうになりそうました。
どういうわけか少数意見のようですが、慰霊はイデオロギーを超えるべきものだと私は思います。
政治的なものにするのは誤りだと思います。
