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2006/4/22  11:59

邪馬台国の金印はどのように使われたのか?  文化国家(Kulturstaat)
 私が不思議に思うこととして、邪馬台国はなぜ金印をほしがったかということです。
 大和朝廷は漢族王朝に金印を求めたことはなく、奴国と邪馬台国のみに独特な行動だからです。
 少し推定されることとして、奴国は後漢、邪馬台国は魏から金印をいただいております。
 後漢の後、漢族の正統王朝として登場したのが魏です。
 魏は最終的に中国を統一することができなかったのですが、魏、呉、蜀の三国の中で圧倒的な力をもち、和国にもっとも距離的にも近かったのが魏でした。
 その魏から金印を授かることは、奴国の持つ金印の無効にすると共に、「魏の和国における総代理人」のような地位を与えられたことになります。
 「邪馬台国は魏に認められている」ことを対外的に示せれば漢族、半島相手の商売にきわめて有利であり、和国でも「魏の商売における和国代理人」のような役割をはたすことができます。
 小国分立の時代であればこそ、必要な権威だったと思います。
 外国船をその権威により、寄港させることも可能です。
 漢族のもたらす商品を一手に扱うことも可能です。
 私は、貿易や商売においてきわめて有利であることが、金印を欲しがった主理由であったと思います。
 そもそも日本(和国)が中国に常に求めることは貿易なのです!
 奴国や邪馬台国は北九州の貿易国家であると考えられるので、信用の拡大に役立つ金印は、漢族王朝にとってはいぶかしげに渡しながらも、和国の一小国にとっては大変な力になったものだと思われるのです。
 航海の安全においても、「邪馬台国の船か?あいつら皇帝から金印をもらった国だなあ」と海賊をおびえさせることもできます。
 印鑑は原則として文書に捺すものですが、当時の印鑑がどのように使用されたかほとんどわかっておりません。
 残念なことに当時の貿易に使用された書類も、ほとんど発見されていないのです。
 発見されれば大発見だと思います。
 竹簡でも出てくればさらに大発見だと思います。
 漢文の文書でもどこかから出てくれば、古代の貿易の実態がわかるのではないか?と期待しております。
 ちょっと興味本意ですが、金印は実際に文書に捺して使用されたものでしょうか?
 奴国の金印は使用されていたような雰囲気はありませんが、もし実際に外交文書に捺されて使用されたとすれば、他国には大変な威圧感になったと思います。
 思い出すことは室町時代の勘合貿易です。
 あれは勘合符・・・割符の役割をはたしたものですが、金印を交易をしたい国への通商外交に使用したとすればどうでしょうか?
 使用しないにしても、後世のお墨付きのようなものであり、効果絶大であったと思います。
 漢族相手の貿易には特に効果絶大であったと思います。
 和人にはあまり権威としては意味のないものであっても、貿易に役立った側面は否定できない、北九州の海洋国家であればこそ、「金印をいただく」というアイデアは出てきたのだと思います。
 ひょっとすると邪馬台国や奴国の王宮は、大和も含めいろいろな国の下賜品があり、それを貿易や外交に使用していたのかもしれません。
 私が「したたかな貿易国家」と呼ぶ由縁です。
 邪馬台国が魏の使者に言った「漢族の子孫」等の発言は、商売人の根性を感じてしまうのです!
 「和人には与えられなくても、漢族の子孫であり風俗も近ければ」・・・、そんなパフォーマンスも倭人伝から感じるのは私だけでしょうか?
 貿易や商売から邪馬台国を見るのも、おもしろいのかもしれません。
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