
年度末の日だった・・
朝・「今日はどんな日になるのかな?」と思いつつ起きた
残り籾処理を終わらせようと倉庫に到着したら、不定期の材木配達の依頼が来た
午前9時・・
「いいですよ。今から出て行きます」と返事する
ドラマはあった
配達終えて2t車の警告ランプが赤く点灯する
事務所とやりとりして対策を練る
車検したばかりらしいが、警告灯は「考えろ」と指示していた
ソロリ・ソロリと刀の鞘職人の曾呂利新左衛門のように慎重に帰社する
抜けば瞬く間
納めれば動かぬ
しかし・・疲れた
夕方癒しの「5時から男」だった
いつまでも苗のままでは、ジャガイモは可哀想
大地に降ろした
土に触れると「あら・・不思議」静電気が抜き取られて元気100倍のエネルギーがなだれ込んで来る
神様なんて人間の幻想
法則・法則・法則
こうしたら・・こうなる・・
因果は巡る
土に頭打ち込んで・・糧を得るのは
宗教以前の原理・原則
禱っても空中からはご飯や芋は降りて来ない
デジタル通貨では資産が表示されるが・・
この芋にはかなわないだろう
嫌われる人生・・
結構・毛だらけ
それでも押し寄せてくる仕事・・「どうしよう?」
理路整然とジャガイモ植えるしかない日だった
番外・追記
引用記事
(ウキペディア現在)
曽呂利 新左衛門(そろり しんざえもん)は、落語家の名跡。2代目の死後は空き名跡となっている。
初代(先代)曽呂利 新左衛門
初代曽呂利新左衛門
豊臣秀吉に御伽衆として仕えたといわれる人物。落語家の始祖とも言われ、ユーモラスな頓知で人を笑わせる数々の逸話を残した。堺で刀の鞘を作っていた杉本新左衛門(坂内宗拾)という鞘師で、作った鞘には刀がそろりと合うのでこの名がついたという(『堺鑑』)。架空の人物と言う説や、実在したが逸話は後世の創作という説がある。また、茶人で落語家の祖とされる安楽庵策伝と同一人物とも言われる。
茶道を武野紹鴎に学び、香道や和歌にも通じていたという(『茶人系全集』)。『時慶卿記』に曽呂利が豊臣秀次の茶会に出席した記述がみられるなど、『雨窓閑話』『半日閑話』ほか江戸時代の書物に記録がある。本名は杉森彦右衛門で、坂内宗拾と名乗ったともいう。
大阪府堺市堺区市之町東には新左衛門の屋敷跡の碑が建てられており、堺市内の長栄山妙法寺には墓がある。没年は慶長2年(1597年)、慶長8年(1603年)、寛永19年(1642年)など諸説ある。
逸話
秀吉が、猿に顔が似ている事を嘆くと、「猿の方が殿下を慕って似せたのです」と言って笑わせた。
秀吉から褒美を下される際、何を希望するか尋ねられた新左衛門は、今日は米1粒、翌日には倍の2粒、その翌日には更に倍の4粒と指数関数の法則で日ごとに倍の量の米を100日間もらう事を希望した。米粒なら大した事はないと思った秀吉は簡単に承諾したが、日ごとに倍ずつ増やして行くと100日後には膨大な量になる事に途中で気づき、他の褒美に変えてもらった。
御前でおならをして秀吉に笏で叩かれて、とっさに「おならして国二ヶ国を得たりけり頭はりまに尻はびっちう(びっちゅう)」という歌を詠んだ。
ある時、秀吉が望みのものをやろうというとに「耳のにおいを毎日嗅がせてほしい」と願い、人々の前で口を秀吉の耳に寄せるようになった。大名たちは陰口をきかれたかと心落ち着かず、新左衛門に山のような贈物を届けたという。

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