今日は農作業は玄米選別くらいで特になし
ヒトが食べる米と鳥の餌を機械で選別する
朝からシトシト雨
夕方帰宅して何気なくネットの記事を見る
「2019年4月竹の花が咲いた」と見出し
徳島新聞の記事
竹はイネ科の植物
花が咲くのは当たり前なんだが・・
周期が長く、孟宗竹で60年
真竹で約120年くらいらしい
花が咲けば当然生殖成長が終わり・・栄養成長のあかしの竹本体は枯れる運命にある
しかも地下の茎で一山全部繋がっているから、見た目一斉に枯れてしまう
凶事の予兆と怖れられるけど・・それは単なる植物のサイクルの現象だろう
花が咲けば、実を持つ
実を食べるネズミが爆発的に増えるが・・・・・
食べ尽くせば飢えて個体は少なくなる
一つの記事で映像が浮かぶ
昨年までは、豊かに食べ物が巷に溢れ
人々は飢えに苦しんだ先祖の苦難を思い出さないのが「普通」だった
いつまでも・・なんてことはない。。。歴史を少し読めば単なる幸運
一時的な時代の産物と気が付く
今日は豊か
でも?明日はそうはならないように出来ている
現場で田畑に出る友人をお持ちですか?
と問いかけても、限りなく「商社経由で食べています」と答えるしかない
それはそれでいいのだが、いざ「一握りのおムスビさえ困りますよ」と発信しても、見てもいないのに、そんな事起こらないよ
なんてね
くどいかも知れない
でも・でも・だってみんな高等教育を欲しがるから
肉体を使う労働には目が向かない
いざの時は・・お給料とかプライドなんか何の役にも立たないのは熊本地震や東の地震
朝倉や真備町の水害でも前例がある
卑弥呼の時代なら、歳の始めに天からのご指示が皆さまに伝えられた
今は一般人となんら変わらない人々がその役の地位についておられる
(今朝は名が宮と付く友人と公家と苗字が付く後輩の夢を見た・言葉の意味を調べる)
おお桑原・桑原
何が起こるか天からのお知らせが届かない時代なんだ
個人・個人が、風を読み・月の色を読み・日の強さを観察しないといかない時代が明日から来る
銀行が悪いのではない、どうしようもないから金利が無限に低いのだ
誰もどうしようもないスパイラルに陥ってしまった
新札?旧札との交換レートが1対1なんてのは怪しい
昔は家は1万円で建てられたそうな
いまは2000千万でもウサギ小屋
経済の事は判らないから多く書かないが
少なくとも、価値が目減りしない何かを求めるのは良い
それは何だ?と問われても身長がおのおの違うように個人で様々なので書けない
誰もが「希望して」生まれて来たのだから・・そこはそこ考えるしかない
新築する前に、古い家屋は解体屋さんが取り壊す
当たり前だ
竹も「花咲く」そして種を結ぶ
当たり前だ
乱立する環境破壊の地域はやがて「花咲く・竹林」のように次の時代に向けて新しくなるだろう
祷りの内心の心は「持続可能な社会となりますように」とは良い
そろそろ南方の資源も枯渇するだろう
「生産と消費がバランス良い社会となりますように」
令和を迎えるにあたって
感想なり

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