※ 昨年末以来、途絶えてましたね。すみません。
まあ、読者も然程いらっしゃらないでしょうから、
ちょっと甘えさせていただきました。
実は、新年早々、激しい胃痛と痛風発作に見舞われ、
胃から出血。両足は腫れ上がり、寝たきり状態に。
新年4日には貧血を起こし、意識を失って倒れました。
まあ、今朝も激しい胃痛で目覚めましたから、
良くはなってないんですがね。
おかげで例の感染症で自宅に引き籠ってたせいで
96.5sまで増えていた体重は今朝の時点で76.4kg。
20s減ってまいました。
髭も剃ってるから人相変わってますね。
とはいえ、ずっと書いてないと死んだかな、と
思われそうなんでね…。
さて…、
3月も終わりに近づきました。
卒業の季節。
Facebookを見ると、キング松下氏の御子息も大学を卒業されたとか、
おめでとうございます。
んで、その大学ってのが、かつての勤務先。
懐かしいなあ…。
ちなみに松下さん、僕、教授とちゃいますよって(笑)
さて、幼稚園から大学まで、学校と言われるもんには、大抵、歌があります。
僕の通った幼稚園にも、園歌と呼ばれるものがあり、毎日歌ってましたね。
ところが、入学した小学校には校歌があったもんの、卒業した小学校にはなかった。
実は1960〜1970年代に僕らが住む町は人口が急増し、次々と学校が新設され、引っ越しもしてないのに4年と6年に2回転校することに。
中学も新設校やから校歌はありませんでした。
だから、高校で校歌があったときは新鮮でしたね。
大学に進学すると、一転、学歌、応援歌、逍遥歌の3点セットに加えて柔道部の部歌まで覚えなあかんので大変でしたが…。
さて、古い大学には学歌、応援歌、逍遥歌の3点セットを基本に様々な歌が存在するんですが、比較的歴史の浅い大学では、学歌しかない大学も多いんですね。
松下さんの御子息が卒業された大学も僕が勤務していた当時は学歌しかありませんでした。
そんなある時、当時の事務部長が、応援歌、逍遥歌を公募すると言い出したんですね。
これを受けて飲み仲間の教員たちと「作ってみましょか」ってことに。
作曲を担当するのは京大グリークラブ出身で機械工学科の角家教授。
この方、ジェームス山のご自宅には防音室まであり、お嬢さんはカーネギーホールでリサイタルをされたという方です。
んで、僕が作詞を担当することに。
この大学、学内に教職員が利用できるラウンジがあり、アップライトピアノがあったので、終業後、集まって曲作りをやりました。
結局、1週間あまりで応援歌、逍遥歌が完成しました。
まあ、大人の事情ってやつで非公式のままやったんですが、合唱部を指導していた土木工学科の熊谷教授は学生に指導されていましたね。
こういう曲を作るのは新鮮だったし、大変勉強になりました。


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