ふと思い出した。
高校2年、ローカルな市の柔道大会。
僕は、2週間ほど前に右膝の内側側副靭帯を部分断裂していたけど、二段以上の部に出場した。2週間後には、国体予選がある。調整にはもってこいの大会やった。怪我さえしてへんかったらね。
二段以上の部は、ほとんど大学生か社会人がエントリーしており、高校生は僕だけ。
今みたいにしっかりしたサポーターもない時代、僕は、自転車のチューブで膝を固定し出場した。
右足は組手が左の僕にとっては軸足。得意技の内股も大外刈も右足を軸にする技ばかり。それでも右膝を庇いながら決勝まで勝ち進んだ。
決勝戦。開始早々、内股で技有を取った。
これで残り時間、無理せず戦うことができる…って思ってたら、相手は苦し紛れにタックルに来た。
「やべっ!」
場外に伏せてかわしたけど、右膝を強打した。
「いててて…」
靭帯の挫傷って経験した人はわかるだろうけど、やった瞬間は「バリバリ」って靭帯が骨から引き剥がされるような音とともに激痛が走る。だけど、しばらくすると痛みがましになる瞬間があるねんな。その晩はやたら疼くけど…。
その痛みが和らいだ瞬間に、その関節が“物理的に”戦える状態かを判断するわけやね。
痛みは感情と切り離せば、ある程度コントロールできるから。
この時も、断裂とまではいかないまでも、けっこうな痛みが走った。
タイムをかけ、僕は膝に巻いたチューブを緩めた。真っ黒な自転車のチューブを見た観客がざわついた。
うん。この感じなら、一度チューブを緩めてからまた固定すれば戦えるな、って思った。
立ち上がってちょっとジャンプしてみた。うん、いけそうやな。
その時、監督から声がかかった。
「やめとけ。棄権せえ」
「いけます」
「やめとけ」
「いや、いけます」
試合場に戻ろうとする僕に監督はドスの効いた声をかけた。
「お前が勝負賭けなあかん試合はこの試合と違うだろ」
わかりました、としか答えられへんよね。
あと1分間ほど立ってるだけで優勝なんやけどね。
僕は棄権した。会場から拍手が沸いたけど、悔しかった。拍手なんかいらんと思た。
だけどね…
その試合は優勝できんかったけど、監督には感謝してる。
駅伝で四つん這いになりながらもタスキを渡した選手のことが物議をかもしている。
両膝は擦り剝け、骨折もしてたらしい。
監督は棄権を申し入れた。
だけど、大会運営側は続行させた。
なんで?
選手がまだ走ろうとしていたって?
当たり前やろ。選手はまだやりたいよ。
せやけど、それを大人が守ってやらなどないすんねん。
ボクシングで、コーナーからタオルが投げられた。それでも戦わせるなんて権限はレフェリーにはない。
タオルを投げられて、試合を止められた。
戦ってる本人は悔しいよ。
だけど、必要なことやねん。それが選手を守るってことやねん。
感動した、との声も多い。それは否定しいひんよ。
だけど、僕には憤りしかない。

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