久しぶりにS君の名前を聞いた。
彼の就職先の人事担当と話してたときだった。
彼の近況を聞いて、すこぶる機嫌はよくなった。
S君が僕のところに就職相談に来たのは、7、8年前のことだったろうか?
大学院修士課程で経営学を学ぶ1年生だった。
眼鏡をかけた顔色の悪い学生で、視線を合わすこともできず、俯きながらボソボソと喋った。
どうやら、家庭のゴタゴタの心労で欝を発症し、抗欝剤と睡眠誘導剤の投薬を受けているという。
「こんな状況で就職できるでしょうか?」
もちろん、極めて難しい状態だ。就職活動よりは、まず治療しなければ、就学も困難だろう。
そんな彼に僕は、学内の企業セミナーに参加するよう助言した。
当時、僕は、学内に企業を延べ数百社招き、連日セミナーを開催していた。
「就職先としてではなく、自分の研究目的で企業の事例をヒアリングしてみよう」
と僕は助言した。
翌日から彼はスーツ姿で現れ、次から次へと企業のブースを訪問し、熱心に質問していた。
毎日、5〜8社。彼はフラフラになりながら、メモを取っていた。
もともと、のめり込んだら周りが見えないぐらい集中するタイプだ。
彼の姿を見るたび、「無理するなよ」と僕は彼の健康を気遣った。
1ヶ月が経ったころ、彼に変化が見られた。
太り始めたのだ。顔色も以前と比べるとずいぶん血色が良くなった。
聞けば、毎日、フラフラになるほど企業の話を聞いていると、腹が減って、帰宅後、夕飯を食べながらもコクリコクリと居眠りをするほどだという。
「気がつけばこの1ヶ月、薬を飲んでません」
彼は普通に笑顔になれるようになった。
結局、彼は信用金庫に就職を決めた。株式会社組織で営利を追求する銀行より、非営利団体である信金の方が彼には向いてると思った。
ある日、彼はちょっと不安な表情を見せて相談に来た。
「こんな病気になったことがあるって人事担当に言わない方がいいでしょうか?」
僕は、日本は遅れてるけど、欧米ならパーソナルなカウンセラーや医師がいることはむしろステータスで、今後は日本でもそういう体制を目指すべきであること、この病気はいつ誰が患ってもおかしくない病気であること、むしろ、経験があることによって、兆候を察知できるので、そのときはカウンセリングや投薬を行なえばいいことなどを説明し、むしろ自分をコントロールする術を持っているのだと助言した。
卒業後もたまに彼は姿を見せ、近況を報告に来た。
欝の症状が消えたとはいえ、対人適性が秀でているわけではない。
就職当初は、現場で苦労をしたようだ。
その後、本部の経理に配属になった。
彼の専門はその当時、多くの企業で懸案になっていた国際会計基準だった。
彼はゼミの教員のところに通い、中小企業向けのノウハウを構築していった。
その後、僕はその大学を辞めたので、彼との音信も不通になった。
そんな彼の近況を今回聞くことができたのだ。
経理での仕事が彼の自信になったようで、積極的に提案を行い、同期でもトップで資格を取り、昇格もしているとのこと。
結婚もし、子どもも儲けたらしい。
最高に気分がいい。

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