最近、「地頭力(じあたまりょく)」なんて能力が話題に上っている。
けっこう、売れてるのは細谷某が書いた「地頭力を鍛える」(東洋経済)なんて本の類だ。
ここで取り上げられているのは「フェルミ推定」というもの。
エンリコ・フェルミは、イタリア出身のノーベル賞受賞者で、奥さんがユダヤ人だったため、そのままアメリカに亡命し、マンハッタン計画に参加し、原子力の父なんて言われている物理学者だ。
その彼がシカゴ大で教鞭をとっていた時に学生に問いかけていたのが、こんな質問。
「シカゴにピアノ調律師は何人いるか?」
つまり、正解がない、あるいは出題者も正解を知らない問題について、如何に論理を組み立てていくか、という思考方法だ。
「日本全国にある電柱の数」
「東京―新大阪間の新幹線の中で売れるコーヒーの数」
「サッカー場に生えている芝の本数」
「東京ドームの容積」
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なんてのを煙に巻いたように質問するわけやね。
論理さえ組み立てられれば、何の数字を正確に調べたらいいかが分かる。
たとえば、サッカー場の芝の数なら、1平方センチメートルに生えている芝の本数を類推して、サッカー場の面積を掛ければいいわけだ。
東京ドームの容積にしても、ホームランは120m。だから客席を入れて直径180mの円柱と半円形のドーム部分で成り立ってるとザックリ考え、高さは120mのホームランで天井に当たらない高さだから、60m。ちょうど半円形と円柱が30mずつ。半円形の容積が円柱の容積の3分の2…なんて計算すると125万立方メートル(実際は124万立方メートルらしい)なんて近似値が求められる。
実際、コンサルなんかの採用選考では以前から使われていたし、考えようともせず、ヤフーやグーグルを活用して、なんでも「知識」や「情報」として収集しようとする連中の頭を鍛えるためには、面白い教材なんだけどね。
だけど、実しやかに語られるこんな考え方、これに似たような考え方を
1930年代の日本が10代の若者に教育していたとしたら、どうだろう?
僕の親父は、昭和3年3月生まれ。
軍国教育の真っただ中で育成された。
その親父から、僕は子供の頃、こんな質問を投げかけられた。
「遠くに見えるあの電柱まで何メートルある?」
「あの鳥の群れは、何羽いる?」
これ“軍事教練”として旧制中学では教育されてたというんやな。
もちろん、距離の類推は、敵との距離を正確に目測し、砲弾を命中させるために必要だし、数の類推は、飛んでくる敵機の数を数えるのに使われる。
これを一瞬のうちに類推できなければ、自分が殺される、という実践的な考え方やねんな。
だから、僕は細谷某の著書を読んだとき、真っ先に親父の問いかけを思い出した。
地頭力だ、フェルミ推定だ、なんて重宝がってるけど、これも日本の教育が、過去に置き忘れてきた大事な考え方なんだろな。


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