1980年 モスクワ。
日本は辞退した。
4年に1度のことだ。
みな、これを目標にして調整してきた。自分の選手生命のピークをその時に合わせてきたのだ。
2年ごとに行われる世界選手権を4連覇しても、五輪に縁のなかった選手だっている。
代表を手にいれた者は、政治的な理由でボイコットという結果に至ったことに対して、涙して訴えた。
僕の身近にもいた。
ある者は引退し、ある者は異なる道を選び、ある者はプロの道を選んだ。
代表選考は、必ずしも公平じゃない。
少なくとも柔道に関して、初めて競技として認められた1964年は、大阪の大学出身者よりは東京の大学出身者が選ばれた。
世界選手権を取った僕の先輩は、「俺はあの人に一度も負けたことがなかったのに代表になれんかった。世界選手権のメダルと五輪じゃ厚さが違うな」と悔しげに語った。
それでも、夢を信じて、賭けてきたんやな。
夢のまま終わる人間の方が圧倒的に多い。
1980年。僕は兵庫県警の道場にいた。目の前の小柄な選手に必死で立ち向かっていった。ボロカスに投げられたけど、今に見ていろ、と思ってた。それなりの手応えはあった。その選手は1984年のLA五輪の代表になり頂点を極めた。
1982年。僕は日本武道館の試合場の畳の上にいた。減量でフラフラになりながら試合をした。僕に勝った奴は決勝で敗れ、優勝した選手が1988年のソウル五輪の代表となった。
夢に賭けてみようと思った。
だけど、
結局は、僕にとっても夢のままで終わった。
それでも、夢を信じて、賭けてきたんやな。
僕には力がなかった。
だけど、力があっても、それだけではどうしようもならんことだってあるんやな。
その悔しさったらないだろう。
それでも、夢を信じて、賭けてきたんやな。
北京の五輪が揺れている。
言いようのない虚しさを感じる。
参加しようが、どうしようが、
イデオロギーがどうであろうが、
夢を信じて、賭けてきたアスリートたちの尊厳が決して色褪せることはないと、それだけは信じたい。
I’m just a believer, babe, in those dreams of mine.
You see they just keep on coming in a long, long line.
Oh, yeah, I’m the believer.
And like that songbird singing whether it’s red or blue.
Just like those church bells ringing I’m keeping my faith in you.
Oh, yeah, I’m the believer.
Oh, yeah, I believe in you.
And though the sea may rise until they do,
I keep doing the thing I’m doing and believe in you.
I’m making the change.
I’m keeping my faith in you.
Oh, yeah, I’m the believer.
Oh, yeah, I believe in you.
Sure is the windy road that I walk with you.
Look how the trees are bending their leaves are falling, too.
Oh, yeah, I’m the believer.
Oh, yeah. Yes, I do.
I remember my mama saying I want to be.
On this windy road for eternity.
I’m making the change.
I’m keeping my faith in you.
Oh, yeah, I’m the believer.......
["The Believer" by Neil Young]

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