知り合いのイベント会社の社長でニールヤングコレクターのKさんから連絡があったのは2〜3週間前だったろうか?
Kさんは、学生時代から「ナッシュビル」というガロやCSNYのコピーバンドをやってて、たまにはメンバーが集まって演奏してる。だけど、学生時代のそのメンバーは三重と島根在住だから、なかなか活動は定期的に、ってわけには行かず、そんな時には、僕が応援にステージに立つことがあるんやな。
「6月10日に京都大丸でイベントがあるんや」
ははぁ、Kさんの仕事がらみで助っ人なんかな、と思ったし、スケジュールもポカっと空いた日やったから、いいすよ、と気楽に答えた。過去にもKさんの声がけで、讀賣の24hテレビの神戸OPA会場で、2度ほど歌ったこともある。
今回は、三重在住のEさんと僕とのトリオで出るという。
「(マーチン)D45とD41を並べて演奏しよう。衣装もバッチリ決めて…」
Kさんはノリノリだ。妙に張り切ってる。
「曲は何にする?」と訊ねられた。
Kさんらのレパートリーは、CSNYといっても70年代のそれなんで、「ニールの歌なら何でもいいですよ」と答えた。どうやら、助っ人の僕がリードボーカルをとらなきゃならんようだ。
ま、いいか、と思ってた。
何回かやりとりがあって、結局、「Southern Man」と「Ohio」って、如何にも定番、って選曲になった。
「京都の大丸って、これかな」
とURLをメールで教えてくれたのは、滋賀県在住のRさんだった。
そのサイトを見て、ちょっとビックリした。
「大丸創業290年記念/KBS京都ラジオ開局55周年記念『甦れ!アクションヤング大丸』アマチュアフォークコンテスト」
「へ?」
フ、フォーク? しかも、コンテストぉ??
「70年代のフォーク全盛期、アマチュアたちの登竜門としてコンテスト形式で人気を博した番組がいま復活!」とある。実際、当時、ナッシュビルは、このコンテストに出たらしい。
しかし、コンテストって…。
リハはEさんの来阪に合わせて前日にKさんの会社事務所で行った。この事務所、ギターやら、ブートビデオやら、マニア垂涎の宝庫になってる。まあ、Kさんにしたら、趣味と実益を兼ねた仕事なわけだ。
Kさんのノリノリは止まらない。Eさんの衣装まで買ってきて、乗り気じゃないEさんに着させてた。リハは4時間にも及んだけど、2曲を数回通して演奏しただけだった。
ま、いいか。
さて、当日。5階紳士服売り場の特設ステージ。
到着したときにはPPMのコピーバンドが出てた。何でも70年代当時の初代チャンピオンらしい。現場を見ると僕の場違いさがますます際立った気がした。
控え室で簡単に音出しをする。
前夜、リハが終わってから、明け方まで歌ってた僕の声は当然ダミ声になってる。
Kさんは、「声、ちゃんと出る?」と心配そうだ。
「あきませんねぇ〜。まぁ、誤魔化しますわ」と答えながら、ま、実際は何とかなるやろ、と思ってた。
主催者側の偉いさんがやってきて説明を始めた。
「今日のコンテストで予選通過したグループは、11月の本選に出ていただきます。その時はテレビの収録もありますので…」
な、なにぃ〜〜〜〜〜〜????
ほ、本選???
ありゃー、えらいことなのね…。
だけど、ま、通ることはないだろ、て思ってた。テレビなんかがつくこんなイベントは大抵「どんなユニットが受けるか」て基準で選ばれる。その基準において、僕らは余りにも普通だった。当時を知る人たちのノスタルジーを擽るかもしれんけどね。
さて、本番。
ま、そんなもんやろ、て感じやった。
Kさんの心配も杞憂だった。僕の声はちゃんと出て、たぶん、マイクを通すよりでかい声がフロア中に響き渡ってた。
演奏が終わって、僕はエスカレータ横の椅子に座って眠りこけてた。
とにかく早くビールが飲みたかった。
案の定、入選は流行の若い男の子二人のデュオと爺ちゃんたちのアカペラグループだった。そりゃ、そうだろ。
Kさんは、ちょっと物足りなそうだった。
「楽しかったですよ。また、ナッシュビルでやりましょ。僕もゲストで呼んでね」
と僕はKさんに言った。
こんな違和感も、たまにはいいかな、と思ってる。

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