「悔いはない」って言葉を残して引退した連中を見て、「嘘つけ」って思ってた。それほどまでに自分の競技生活は悔いだらけだったから。
「あの時、ああしてれば」「あそこでもう少し頑張ってたら」
「たら・れば」なんてのはスポーツの世界にはない、なんてことはわかっとるけど、誰だって悔いは残っとるんちゃうの?って思ってた。
たいてい、爆睡するから夢はあんまりみないけど、現役のときの試合は今でもリアルにフラッシュバックすることがある。20〜30年前の試合が、未だに脳裏に蘇るんやな。
これは僕の「悔い」でもある。
今、母校の体育会学生のサポートをしてる。
新入生を見て、自分の過去と重ね合わせる。
僕は結構、計算しながら鍛えた4年間だとは思うけど、もっと4年間を計画的に鍛えたら、もう少し自分が見れなかったものが見れたのかもしれない。それは、悔いで残る。
悔いでは残るんだけど、今の人生が失敗したな、とも思っていない。今の自分だから見れた世界もあると思ってる。
新庄、中田・・・。
彼らにも「悔い」はあるんだろな、と思う。
だけど、彼らにはもっと魅力的な自分の次のステージ、次の可能性に対する興味が大きいんだろな、と思う。
年齢を重ねるとともに、「なれる自分」の選択肢は狭くなってくる。それは仕方ないことだ。少々の軌道修正では取り返しのつかないこともある。
リセットしても、なおさら次の選択肢は限られてくる。
土曜日に柔道を教えに行くと、元北の湖部屋の力士だった教え子が、相談に来た。聞けば師匠のお別れの会に出席したいという。先月、腎臓癌のため、45歳で急逝した二十山親方――元大関・北天佑勝彦のことだ。恵まれた資質ながら、荒い取り口で結局、横綱にはなれんかったっけな。やたら小錦には強かったっけ。そういえば、彼の引退も唐突だったっけ。
部屋を引き継ぐ親方もおらず、11人の弟子たちは北の湖部屋に移籍した。
45歳。身体を酷使した力士は短命とは言うけど、人生の引き際も唐突だったな。
昨日、急な葬儀に出席した。89歳の老人の葬儀だ。医者でもある喪主は、「卆寿の祝いをどうするか相談してたが、入院先で院内感染し、見る見るうちに衰弱した」と挨拶した。
89歳でなお、その死に際は不本意であったわけだ。
その故人の年齢まで、僕はまだ40年余り生きなきゃならない。
潔い引き際ってのは、次のステージが自分にとって魅力的なもんでないとなかなかふんぎることができんもんなんやろな。
だけど、年齢に関わらず、次のステージが見えない「死」という引き際は、これを「往生」と言うには余りにも多い「悔い」があるのだろうな。
好きに生きてきたな、と思う。
それはみんなに迷惑をかけ続けてきたことを意味する。
だけど、これからも好きに生きるんだろな、とも思う。
僕が死ぬときには誰と生きてるんだろかな、とふと思った。たぶん、迷惑をかけ続けてるんだろな。
棺に入れられる多くの花を見ながら、自分の葬式を考えてた。
死に装束には柔道着を着せてくれへんかな?
棺は狭いだろから、ギターはレスポールだけでも入れてくれへんかな?
もう痛風は怖くないから、思いっきり黒ビールをぶっ掛けてくれへんかな?
前々から思ってることだけど、葬式ってのは、ある程度早く死ねば死ぬほど、今まで付き合いのあった連中みんなと一度に会える日やのに、肝心の自分がいないっていう矛盾があるんやな。
悔いを残さんために、遺言を書いとく手もあるけど、「あの楽器はどう処分しろ」だの、「このサイトとこのブログのパスワードはこれこれやから解約しといてくれ」だの、細々したことばっかりしか思い出さんのだろな。
どうせなら、この日を境にすっかり忘れられたいな。誰かの思い出の中で生きるなんて真っ平御免だ。そのほうが清々するだろな。

0