先週日曜日、柔道の試合に出た。
大阪柔道高段者試合ってやつやな。4段から6段まで、段別に1試合ずつを行う。この成績は昇段のために必要なんやな。
柔道の昇段のシステムってのは、単純だ。
同じ段位の人間と体重無差別の勝ち抜き戦をして勝つことが前提になる。勝てば1点、引分けは0.5点。初段は3点でいい。試合審査が合格となれば、今度は形の審査になる。
細かい基準は講道館のHPをご参考に。
↓
http://www.kodokan.org/j_basic/shoudan_j.html
柔道の段位には初段から10段まである。4段以上がいわゆる指導者資格を有することになり、6段以上は師範――自分の流派を作って弟子を取ることが出来る。まあ、柔道の場合は流派を作るのはほとんどいないんだけどね。これらの文言は段位の認定書にちゃんと明記されているわけだ。
黒帯は初段以上の有段者なら締めることができる。さらに6段〜8段までは赤白帯、9段と10段は赤帯になる。だけど、6段以上でも黒帯を締めることは許されている。
実は、柔道界には暗黙の了解があって、道場で黒帯を締めている先生には、弟子たちは「お願いします」と稽古を求めてもいいけれど、赤白帯以上の人にそれを言ったらあかんのだ。
つまり、6段以上でも黒帯を締めてるってことは、「わしゃまだ稽古すんでぇ〜」という意思表示をしてることになる。だから高段者試合などには6段以上の先生も黒帯を締めて出てくる。試合やからね。
言葉を換えると赤白帯を締めてる先生は「口」で指導が出来る高度なレベルで、4段・5段は身体使って指導せなあかんわけやね。
10歳になる約1ヶ月前に僕は柔道を始めた。
高校に入ってすぐ初段を取り、2年で2段になった。大学1年で3段に昇段。4年で4段になった。4段になると「先生」だから扱いが変わる。町道場に稽古に行っても師範代扱いだ。関西学連の審判にもなった。今でもBライセンスの審判員だ。
正直、5段にはなりたくなかった。下っ端は毎月の昇段試合の審判に借り出されるから。審判やっても1日の日当は2000円とか3000円。たまに東京の大会に行っても8000円てな具合だ。はっきり言って割に合わない。
高段者大会には出て、点数はあったけど、放ったらかしておいた。
1984年に大学を出て、13年が経った。1997年、職場に関西学連のお偉いさんから電話がかかってきた。
「先生、なんで昇段しないの。下がつかえてるんだよ」
「いやぁ〜私ごときが5段なんて不相応です」なんて言って丁重にお断りしたのだけど、電話を切るなり間髪をいれず連盟の副会長してた大学の先輩が怒鳴り声で「お前、昇段させたる言うてんのに何が不服かっ」と電話を掛けてきた。てなわけで5段昇段と相成ったわけですな。
それから数年経って、転職して比較的柔道着を着る機会が増えたのでまた高段者試合で出始めた。「師範になるのもええかな」と思い始めたのもあった。6段になるには、高段者試合に出て点数をためなきゃならない。
ところが、1度出場すると2試合できてたものが、1試合に減らされていた。引き分けても2試合で1点あったものが、0.5点になる。おまけに京都と大阪で年2回開催されていた近畿高段者試合が、大阪のものは大阪府に格下げされ、点数も勝ちが0.5点、引分が0.25点に引き下げられた。
ますます昇段するためのハードルが高くなったのだ。
どうも、先に昇段しきってしまった講道館のお偉いさんたちは、ご自分の段位に値打ちを持たせるために後進の芽をつぶす方法に出られたようだ。
柔道の精神とは「精力最善活用」「自他融和共栄」という言葉で語られる。略して「精力善用」「自他共栄」とも言われるけどね。
曰く、持てる心身の力を最も良い形で生かし、切磋琢磨することで互いが共に進歩していく、という哲学やね。
活劇に出てくる主人公のように自分の必殺技を隠したりしない。むしろ、積極的にその技を繰り出すことによって、相手はその防御方法を工夫する。さすれば、こちらはさらにその技を進化させようと努力する。技を隠すことからは進化は生まれないのだ。相手を蹴落とすのではなく、より高い次元に競い合おうという思想やね。
ある師範の意見を聞いたことがある。その師範は、自分の弟子の昇段を熱心に推挙した人だった。
その師範曰く、「やがて、弟子達は自分の段位にまで昇ってくる。そうなれば、私の昇段について、自分からは言わなくても自然と話題に上るものだよ。これが自他共栄という考え方だ」
今の柔道界にその思想はないんだろな。

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