五輪って場所は、競技人にとっては、ほんまに特別な場所なんやと思う。
4年に1度。短い競技人生のピークを如何にそのタイミングに合わせるか、本当にそれからの人生を左右されるんやな。
柔道が初めて五輪競技に採用されたのは1964年の東京五輪。体重別といっても軽量・中量・重量・無差別のわずか3階級。今のように7階級もなかった。代表選手と出身あるいは在籍大学は、軽量・中谷(明治大)、中量・岡野(中央大)、重量・猪熊(東京教育大)、無差別・神永(明治大)。みんな東京の大学だった。
代表になれなかった僕の大学の先輩・松田博文さんは、その後の世界選手権で優勝したとき、「金メダルが軽い(薄いだったっけ?)」と言ったそうな。当の五輪代表に負けたことがないのに代表になれなかった無念さ、てのは何とも無念だったろう。
実際その当時なら日本の一流どころなら、誰が出ても優勝確実やったんやからね。選考基準の曖昧さなんてのは、今に始まったこっちゃない。
「国を代表して」とか「日の丸を背負って」なんて表現には胡散臭さを感じるけど、何でも一番になる人間には、強烈な「エゴ」がある。「自分が一番」なんて自負がなければ、それだけの技量を身につけることはできない。
もちろん、対人競技と記録競技では意識なんかは違うんだろう。
カルガリ五輪の直前、フィギュアで代表だった加納誠って選手と話す機会があった。彼は五輪代表にして大学の工学部電気工学科で学ぶ変り種だった。大学生だって言うてもスポーツ推薦のない大学やったからね。
「ずばり、五輪での目標は何位?」
インタビューアが安易な質問をぶつける。
彼は、いつも尋ねられるんですが、と前置きして語った。
「自分にとってベストの滑りができなかったら優勝しても悔しい。逆にベストの滑りができたなら何位であっても受け入れられる」と。
「ははぁ、こりゃ俺たちとは考え方が根本的に違うな」と思った。僕ら対人競技の人間にとっては、勝つか負けるかってのは非常にウエートが重い。ベストを尽くしたって負けりゃ死ぬほど悔しい。負けを受け入れるってのは、そいつに「屈服」することやからね。情けない話かも知れんけど、言い訳であっても負けた理由付けを必死になって探すよ。
んで、二度とこいつに負けんためには、どないするか、必死になって考える。どんな手段とってもリベンジしたる気になるんやな。
まあ、実際は、それでもどないしようもないぐらいの屈辱を味合わされることになるんやけど、とにかく負けを受け入れるのには相当な力が要る。
そんな者にとって、戦う場に立てないことなんてのは、どないやねん、て思う。自分は負けてへんのに、「過去の実績」とか、「学閥」とかで戦う場にすら立てない。
競技こそ違ってもそんな思いを抱いてる連中は、今回の五輪にもきっといると思う。
過去の実績で代表になり、たった200g体重が足りないだけで失格になる。
本人以上にその場に行けなかった多くの選手の悔恨を感じるよ。
だけど、これを当の選手の責任だけにするのなら、こりゃ、協会自体腐ってるな。

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