ジョージアからフロリダ、ワシントンDCを経て、ニューヨークに移ったのは2003年9月12日。
9.11からちょうど2年後のアメリカを見た。
テロ以降、アメリカは国家の職員が徹底的に登場チェックを行う。アラブ面の僕なんざ、ひどいもんやった。革靴の踵までナイフで切られてチェックされた。
国内線には必ず私服の警官が乗り込んでいる。機内アナウンスは、離陸後30分と着陸前30分は席を立たないようと流れる。席を立とうもんなら、すぐさま私服が飛び掛ってきて問答無用で離陸した空港にUターンとなってしまう。
ワシントンDCからニューヨークまで1時間のフライト。ってことは、一切席は立てんわけやね。
ワシントンDCの空港で乗り込んできたのは、社員旅行かなんかの日本の団体さんやった。一杯引っ掛けて上機嫌って感じやった。
何やら繰り返し機内放送が「日本語と英語を分かる人は申し出てくれ」とアナウンスしてる。同行してた連れは英語・北京語ができる。
「行ってきたり」と言ってしばらくすると彼女の声で飛行中は一切席を立てない旨のアナウンスが聞こえてきた。
あわててトイレに駆け込むおのぼりさんたち。
日本語喋れるスタッフっておらんのね?
なんだこんだでニューヨークに降り立った。
この街はなんとなく馴染めない…。
グラウンド・ゼロは、すっかり観光地になってた。
アメリカ本土で唯一大規模な「空襲」を受けた場所やな。
その時、僕は車を運転してた。
まだ、ジェイミーが日本にいる頃で、テレビを見ろとメールが入ってきた。車載の携帯テレビに映し出された炎上するツインタワーは、未だに目に焼きついている。
「テロではない。これは戦争だ」
ジョージ・ブッシュはわめき散らした。
それから、日本は、この戦争の片棒を担がされたわけやな。わずか60年前に日本の国土を火の海にした連中に追従してね。
今年、8月6日、ヒロシマで歌う。
「Rockin' In The Free World」「Blowing The Wind」を歌おうかな、と思ってる。

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