昨年の秋、引越をした。
最初はなれないこともあったけれど、ようやく落ち着く場所ができたと安心した。
同じ棟に、親しく話のできる方もできた。
いらないものを捨て、いるものはもう少し大事に保管できる状態にしようと思った。
自分の中の、あまり「快適」に結びつかない考えを検証しながら、落ち着いて静かに暮らせるようにしたいと思っていた。
相変わらずお金はないし、仕事も不安定ではあるけれど、納得のできる仕事、自分が満足のいく作業を通して、「よい仕事」をしていきたいと思った。
引越以来、押し入れの中に入れたままのダンボールも、もう少し暖かくなったら少しずつ整理して、本棚には本当に必要な本、本当に好きなものだけを並べようと思っていた。
すべきことと、しなくてもいいことをきっちりとわけ、したいこと……そして創作の続きを、ゆっくりと落ち着いて進めたい。
──それは今もまったく変わっていない。
9.11が起きた時、私はいてもたってもいられず、とにかく何かせずにはいられなくて、もちろん私にできることなんてタカが知れているので、とにかくすぐにサイトを起ち上げた。……その残骸は今でも残っている。
でも、今年の3.11では、アイデアは出たものの、それすらかなわなかった。
事態は刻々と変化し、状況は今もまだ変り続けている。
サイトを起ち上げる、……それがどのようなものなら意味を持つのか、それがわからずにいる。
3.11の次の一週間、仕事が伸びたせいもあって、私はテレビとネットにかじりつき、とにかく情報収集に夢中になった。
なまじ中途半端な知識があったせいで、知っていたこと、知らなかったこと、そして、さらに中途半端にしか伝わってこない現地の状況や、政府、東電の発表にイライラしながらも、自分なりに毎日情報をまとめ続けた。
仕事が伸びたのをいいことに、自分のまとめた情報を友人・知人にメールで送り、その返事に追加の情報を加えてさらにレスをして、ふたたびネットとテレビとに戻る……。そんな生活が続いた。
次の一週間、遅れていた仕事が始まり、今度は固まって押し寄せてきた。
相変わらず頭の中は原発のことでいっぱいで、仕事は手に付かなかったが、遅らせ遅らせながらもなんとかすすめて、次の一週間もそんな感じだった。
原発の情報を収集し、仕事をし、メールを書いて、ブログや掲示板に情報をのせ、仕事の続きをして、メールに返事をし、食事を作って食べながらテレビの会見やニュースを確認し、ネットで情報を収集し、仕事して、ちょっと寝て、……そんなことのくり返しだった。
その合間にクリニックに行って、簡単に状況を説明し、薬は今のままでいいと伝え、抗うつ薬(トレドミン)睡眠時2錠と、安定剤(メイラックス)昼1,睡眠時1を貰ってきた。
日中の安定剤は焦りが激しい時だけにしている。(もちろん、医師にも説明済み)
ヒロシマ,ナガサキ、ビキニ、チェルノヴィリ、あるいは他の様々な地域、そして福島第一で被曝した方々には本当に申し訳なく、不謹慎なこときわまりないが、
私はそんなある日、「あ〜、もっとヒバクしてぇ〜」とつぶやいていた。
多分、私のそういう変な一面をよく理解してくれているだろう連れ合いは、「雨の中、走ってくれば」と笑いながら言ったが、もちろん私にそうするつもりはなかった。
高レベルで被曝されている方々、本当にすみません。
でも、なぜ私がそう思ってしまったのか、それが今日、ほんの少しだけわかった。
NHKのETV特集で「原発災害の地にて〜対談玄侑宗久・吉岡忍」を見た。
最近、テレビにうんざりしていただけに、久しぶりに本当に良質のドキュメンタリーを見た気がした。
吉岡忍が訪ねていった先には、
高レベルの放射線が降り注いでいることを知りながら、未だにそこに住んでいる人がいた。
様々な理由で、そこで生活したり、避難できずにいる人がいた。
1000年後のために、桜の種を育てている人がいた。
──私個人の感覚では、東京はすでに十分、被曝圏内である。
だが、政府の言葉を借りれば「直ちに健康に影響があるレベルではない」。
何万人にひとりか何千人にひとりか何百人にひとりか知らないが、確率的に何らかの影響が出るレベルに過ぎない。
これはもう、高レベルで被曝した人々だけでなく、津波や地震で被災した方々全員に対して、申し訳ないことだとわかっている。
──わかっているが、私はそこへ行ってみたい。
支援のためではない。
ただ、行って、見てみたいのだ。
特に、壊れ果てた福島第一原発の1号機から4号機を、間近で見てみたいと思っている。
テレビカメラを通してではなく、そこの匂いをかぎ、そこで活動する人々の姿を感じ、ピットからあふれそうになっている高レベル汚染水を、この目に焼き付けたいとすら思うのだ。
それがかなわなくとも、できるだけ近くまで行き、そこで生きている人々の、真の姿を見たい。
山や森や、道路や瓦礫がどうなっているのか、見てみたい。
実は明日、福島へ向けて知人が車で向かう。
特に親しい人というほどではないけれど、頼めば乗せてくれるだろう。
でも、明日はすでに仕事が決まっていて、朝から働かなければならない。
その仕事が終わっても、まだ次の仕事が待っている。
だから私は、明日もまた原発関係のニュースを見て、ネットを漁って、情報を収集することになるのだろう。
しかしながら、福島第一の事態が完全に収集するのには、まだ数年かかる。
幸い、現地へ向かうNGOやボランティア、ジャーナリストのツテもまるでないわけではない。
──今はまだ、きっとその時ではないのだ。
私はいつかあの場所へ、できるだけ近くまで足を運びたいと思っている。
想像や映像ではなく、「死」や「滅び」や「破壊」を、この身で直に感じ取りたいと願っている。

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