ある空虚さと切なさと、そしてあてどない微かな希望のようなものがないまぜになった、そんな気分がひたひたと体のまわりを取り巻いている。
その言葉にしにくい感覚は、どこか懐かしさを含んで、無意識のうちに記憶をまさぐろうとする。
私はこれが何か、いつかの気分に似ていると思い、ハードディスクに残された古いファイルの情報を確認する。
2000年6月18日は日曜日だった。
その頃世界の均衡はパワーの競り合いによって保たれていたかのように、ワールド・トレード・センタービルはまだ、垂直方向に伸びる二本のタワーを維持していた。
前年の暮れ、多いに騒がれたY2K問題も特に大きな混乱なく過ぎていた。インターネットはすでに大きく成長をしていたが、日本ではまだブログのようなプログラムは珍しく、そのかわり掲示板のCGIを援用した日記があちこちに立ち上がっていた。
携帯にはまだ、メールの機能は備わっていなかったハズだ。
私はといえば、すでにちょこちょことWEB関連の仕事にも手をつけていたが、今よりもっとインターネットに幻想のようなものを抱いていた。
それとは別にその数カ月前には、メンタルヘルス関連の興味だったか、はたまたエロ小説を検索してのことか、あるいはその両方で「催眠」というキーワードで検索をかけ「大人のための催眠術」にたどりついていた。
リンク先も含めて当時掲載されていた小説をほとんどすべて読み漁った後だったことは確かだ。
そして2000年6月18日、「秘密の箱」の一番最初のファイルが作られた。(何度か書き直し別名で保存しなおしているが、このファイルが恐らく一番古いファイルである)
それは、現在公開されている1-1のひな形になった。また、プロット的にほとんど変更のない唯一のファイルでもある。
多分その日のうちに、あらかた書き上げたような気がする。
個人的な事情としては、バブル崩壊後、なんとか持ちこたえていたクライアントが倒産したりしたこともあり、仕事の面でのストレスも大きくなっていた時期だ。忙しい時期とヒマな時期が交互に訪れ、あるいは集中と弛緩を繰り返す生活の中で、徐々に疲労を濃くしていったような気もする。
地道さを知らず、かといって金儲けに聡いわけでもない私は、恐らくフィクションに何らかの救いを求めていたようにも思う。
だが、「秘密の箱」はイントロに過ぎない第一部の一章を書き散らかしたまま、しばらくの間、放っておかれることになる。
それを本当に私が必要としたのは、さらに一年が経過し、胃潰瘍の治療が終わりようやく安堵した後の、極度のウツ状態の中だった。
今から思えば、ほとんど燃え尽き状態だったともいえる気がする。
あの当時の苦しみとは比較にならないとしても、今私はやはり、燃えつき状態にある、と思う。
そして、まるでデジャブのように、自らの拙いカキモノを眺めている。
ひとめぐりして、似たような感慨とともに、そこに書かれたフィクションを眺めている。
何に耽溺したかったのか。
何を必要としたのか。
何が賢く、何が愚かな選択なのか。
何を問いたくて、何を知りたかったのか。
なんとなく答えのありそうな方向が見つかったものもあれば、未だに皆目見当のつかないものもある。
だが多分この、空虚さと切なさ、そしてあてどのない微かな希望は、きっと悪いことではないのだ。
歳をとるというのは、きっとこういうことなんだろう。
それが何なのかはわからないながら、私はこれを知っている。

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